魔力のバランス
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翌日、シエナは日の入り頃にシェフィールズ公爵家にやってきた。白銀の竜の背から降りたシエナを、エリオスが出迎える。
「来てくれてありがとう、シエナ嬢。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
エリオスはシエナを連れて、竜のいる部屋へと案内した。氷の中で、白銀の竜が目を閉じている。
「前回お邪魔した後、エリオス様の聖竜が動いたことはありますか?」
「いや、残念ながら。君が魔力を注いでくれた時に、薄く目を開けたのが最後だ」
「わかりました」
シエナの頭上で、彼女の白銀の竜は、氷の中の竜をじっと見つめている。
(やっぱり、この竜を心配しているのね。前に、私はこの竜に睨まれたような気がしたのだけれど、私の魔力を注いで問題ないかしら……?)
頭上の竜は、シエナに視線を移した。その澄んだ金色の瞳が大丈夫だと言っているように感じて、シエナが小さく頷く。
「……では、魔力を注ぎますね」
シエナは、エリオスの左手首の腕輪の宝珠に触れた。
(私の魔力が、少しでもこの竜の力になりますように)
宝珠を通じて、氷の中の竜が輝きを帯びる。竜が放つ輝きが次第に増していくのを、エリオスは静かに見つめていた。
強い光を放つ白銀の竜が、氷の中でゆっくりと目を瞬く。
(あっ、また目を開けたわ……!)
再び、竜の目とシエナの目が合った。前回は睨まれたように感じたのに対して、今回は、どことなく竜は戸惑っているように見えた。少なくとも、敵意は感じない。
竜は、今度はエリオスに視線を移すと、明らかに嬉しそうに金色の瞳を輝かせた。
エリオスの顔が嬉しそうに綻ぶ。
「ありがとう。今日はここまでで十分だ」
エリオスの声を受けて、シエナが宝珠から手を離す。
「魔力は足りたでしょうか?」
「ああ、十分過ぎるくらいだ。竜の様子を見ながら、次の手を打ちたいと思っている。本当に助かるよ」
気遣わしげに、エリオスがシエナの顔を覗き込む。
「気分が悪くなってはいないだろうか?」
「いえ、まったく。次は、エリオス様に魔力をお分けしますね」
シエナがエリオスの手に触れると、少しして彼は口元を綻ばせた。
「何度魔力を分けてもらっても、信じられないような気がするよ。俺も、これほど魔力を分けてもらったら、もう問題ない」
頷いたシエナがエリオスから手を離す。
「次の手というのは、何かお考えはあるのですか?」
「竜の魔力がある程度持つようになったら、あの傷口を確認したいと思っている」
エリオスは氷越しに、竜の傷口を指差した。
「俺の見たところ、治癒すべきあの傷口には、蛭のように竜の魔力を奪っていく、少し変わった種類の魔法が混ざっているようだ。そのまま傷口を治すと、恐らくその魔法は竜の体内に残ってしまう」
シエナの眉尻が下がる。
「それは厄介な魔法ですね……」
竜の魔力残量の減りが早いことにも、シエナはエリオスの説明で腑に落ちていた。
「ああ。竜にとっては生死の境を彷徨うような傷を負ったところに、この魔法だからな。魔法の種類が詳細にわかれば、恐らく対処もできるだろう。こうして君が来てくれるまでは、次の手を打つ余裕すらなかった」
エリオスが優しい笑みを浮かべる。
「恩に着るよ、シエナ嬢」
「い、いえ! お役に立てたなら、何よりです」
美しいエリオスの笑みに、シエナの心臓は跳ねて、自然と頬に熱が集まった。
(こんなに優しい表情を向けてくださるなんて……)
クリストフの、どこか冷たく自己中心的に感じる笑顔と、エリオスの笑顔は正反対のように感じる。エリオスの前では、今はあまり緊張することもない。
シエナは、気になっていたことを彼に尋ねた。
「あの竜が怪我をしてから、エリオス様は、竜なしで魔物討伐を行っていらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだ。最上級の魔物が複数同時に出没するような場合を除けば、俺一人でも十分に戦うことは可能だからな。魔術師団でも、主従関係を結んだ魔物を使役している団員は半数ほどだ」
「……そうなのですね」
(でも、エリオス様は、竜の魔力を日々自らの魔力で補いながら、残りの魔力で戦っていらしたのだもの。相当におつらかったのではないかしら……)
エリオスは竜に視線を移した。
「あの竜は俺の優れた相棒で、一緒に戦うことで俺の戦力は何倍にもなる。竜を欠く今は、大分戦力が落ちてはいる。竜の魔力を補うために、遠征に行くこともできないし、周囲には負担をかけて申し訳ないが――俺にとって、あの竜は家族も同然だ。決して見捨てることはできない」
「エリオス様の竜の状態は、口外しないようにとのお話でしたが、それには何か理由があるのですか? お医者様を呼ぶこともできないのでしょうか……?」
「残念ながら、周囲の氷を解かしたら生死にかかわるこの竜の場合、医者に診せるのは難しい。竜という生き物自体、気難しいところがあって、見知らぬ他人に触れられることを嫌がるしな。それに……」
少し口を噤んでから、エリオスは続けた。
「こうして、主従契約を結ぶ魔物が傷を負った場合、しばらく休ませることは珍しくはない。ただ、余程の重傷となれば、また話は別だ。公爵家同士の対立があるこの国で、シェフィールズ公爵家の足元を見られかねないという理由もある。回復するまでは、竜の怪我の重さを他家に悟られたくないというのが正直なところだ」
「そうでしたか……。そんなに大切なことを、私には共有してくださったのですね」
政治的な事情も知って複雑な表情を浮かべたシエナを、エリオスは見つめた。
「君は味方として信頼しているからね。……さて。次に、君の攻撃魔法の特訓に移ろうか?」
「は、はい! ありがとうございます!」
エリオスとシエナはシェフィールズ公爵家の中庭に移動した。中庭といっても、シエナの実家の敷地がすっぽりと入ってしまいそうな広さがある。
「まずは、君が一番得意な攻撃魔法を見せてくれるかい? 遠慮はいらない」
頷いたシエナは、少しエリオスと距離を取ってから、彼に向かって風魔法を放った。どれだけ魔力を込めても、彼は軽々と身を躱す。弟のユーグが彼女の魔法を躱したのと比べても、さらなる経験と能力の差を感じる、まったく危なげのない、余裕のある身のこなしだ。
焦って力むと、さらに風魔法が明後日の方向に向かってしまう。
(どうしよう……。こんなことでは、クリストフ様になんて敵わないわ)
そんなシエナを、エリオスは手を上げて制した。
「いったんここで止めよう」
「はい」
肩で息をするシエナを見つめて、エリオスは微笑んだ。
「まず、君の攻撃魔法の基礎はしっかりしている。それに、何より素晴らしいのは、君のその魔力量だ。さっき、竜と俺に魔力を分けてくれた上で、難なく風魔法が繰り出せている。君以外の人間には、そんな芸当なんて不可能だ」
厳しい言葉を覚悟していたシエナは、ぽかんとしてエリオスの声を聞いていた。
「全然掠りもしなかったので、てっきりお叱りを受けると思っていたのですが……」
シエナの魔法を見る度に、見るに堪えないといった表情で眉を顰めていたクリストフが思い出される。
けれど、エリオスは首を横に振った。
「魔術師団の入団試験に受かったのだろう? それだけの実力が、君には確かにある。ただ、魔力量が人並み外れて多いことで、魔法とのバランスが取れていないようだね」
「魔力量と魔法のバランス、ですか……?」
(もしかして、それってユーグが言っていた『ちぐはぐ』というのと同じことかしら?)
エリオスが頷く。
「ああ。無意識のうちに、魔法に魔力を乗せ過ぎているようだ。魔法には、その威力に相応しい魔力量というものがある。その限度を超えて魔力を乗せてしまえば、逆に魔法のほうが耐え切れなくなり、コントロールに歪みが出る。まあ、普通はそんな問題自体が起こらないから、君の特殊性によって生じる問題だと思っていいだろう」
「では、どうしたら……?」
「そうだな。君が乗せている魔力を、十分の一くらいにする感覚で魔法を放ってごらん?」
シエナは驚きに目を瞠った。
「十分の一、ですか!?」
(そんな量の魔力では、魔法がそもそも放てないような気もするけれど……)
戸惑うシエナに向かって、エリオスが頷く。
「ああ。試してごらん」
半信半疑ながらも、シエナは手に込めた魔力をできる限り小さくすると、風魔法を唱えた。




