クリストフの焦燥2(クリストフ視点)
僕が初めてシエナに会ったのは、魔法学校の授業後に、眩暈を堪えて木陰のベンチで休んでいた時だ。
攻撃魔法の授業では、いつものように教授から褒め言葉をもらった僕だったけれど、身体から力の抜けるような感覚を我慢していた。
(また、魔力が切れかかっているのか……)
自分が不甲斐なくて、思わず溜息が漏れた。
僕は物心つく前から、ずっと英才教育を受けてきた。魔法の教育も、当然その大切な一部だ。家庭教師を驚かせるほど、魔法のセンスに優れていた僕だったけれど、魔法の技術に比べると、魔力量は今一つだった。
とはいえ、魔法学校の同級生たちと比べれば、魔力量でも上位一握りに入るのは間違いない。ただ、僕が使える魔法があまりに強力で、コントロールが緻密なせいで、そのために消費する魔力量が大きくなり過ぎてしまうのだ。
魔法学校に入学する前から、それは僕の大きな課題だった。せっかく素晴らしい魔法の能力を生まれ持っているのに、魔力量がネックになって、才能を活かしきれない。そのことに、ずっともどかしさを感じていた。
しばらく休みさえすれば、そのうち魔力は回復する。少しの間ベンチで一人になりたかった僕に、躊躇いがちな声がかかった。
「あの……大丈夫ですか?」
目を上げると、一人の女子生徒が心配そうに僕を見つめていた。翡翠色の大きな瞳が、僕の顔を覗き込んでいる。まあ、可愛い令嬢ではあったけれど、またかという苦々しい気持ちを呑み込んだ。何だかんだと理由をつけて、僕に近付こうとする令嬢は少なくない。言い方は悪いけれど、このくらい可愛い令嬢に声をかけられることなど、いくらでもあった。
舌打ちしそうになるのを我慢して、僕はいつものように作った笑顔を貼り付けた。
「ありがとう、気にしないで。別に何も問題ないから」
「でも、魔力が切れかかっていますよね?」
彼女の言葉に、僕ははっと目を瞠った。
(どうして、それがわかったんだ……?)
具合が悪そうな僕を見て、当てずっぽうに言っただけなのかもしれない。きっと、僕の顔はかなり青ざめていたのだろう。
それにしても、ほかにも貧血とか体調不良とか、考えられる原因は色々とあるはずだ。それなのに、本当に僕の魔力切れをすぐに見抜いたのだとしたら、『魔力』そのものに対する感覚というか、嗅覚のようなものが、かなり優れているのだろう。
「あまり効果はないかもしれませんが、私の魔力を分けさせていただいても?」
彼女に興味を持ち始めた僕は、とりあえず頷くことにした。魔力の相性が良い相手なんて、そう簡単に見付かるものではない。魔力の質が合わなければ、彼女の魔力の大半を分けてもらったところで、ほんの少し楽になるかどうか、といったところだろう。それで恩を売られても面倒だし、多少の警戒はしていたものの、彼女は、どうやら親切心からそう言ってくれているようだ。
「ああ、ありがとう。じゃあ、お願いしてもいいかい?」
「はい」
僕の手に、彼女がそっと触れる。途端に、力強く温かい膨大な魔力が、僕の身体に流れ込んでくるのを感じた。
「……!?」
僕は呆然として彼女を見つめた。まるで身体を雷が走り抜けたような衝撃がある。
空になりかかっていた魔力のタンクが、一瞬で満たされたような感覚があったけれど、すぐにはそれが信じられなかった。
「ああ、よかった! 顔色がよくなったようですね」
彼女は嬉しそうに笑った。彼女が分けてくれた魔力が、まるで何でもなかったかのような顔で。
(嘘だろう……?)
僕の最大の魔力量だって、少なくはない。それなのに、目の前の彼女は涼しい顔をしていた。これほどの魔力を分けたなら、ぐったりと疲れて、地面に座り込んでしまったとしてもおかしくはないというのに。
彼女の魔力になんて全然期待していなかった僕が、いい意味で期待を裏切られて言葉を失っていると、彼女は軽く頭を下げた。
「では、私はこれで」
本当に、魔力切れをただ気遣ってくれた様子の彼女に、僕は拍子抜けしていた。僕に自分をアピールしようとか、そんな意図はまるでなかったようだ。
背を向けて去っていこうとする彼女の手を、僕は慌てて掴んだ。
「待って。君、名前は?」
「私、ですか? シエナ・フレミングと申します」
「僕はクリストフ・ウェルブルックだ」
「! あの名門、ウェルブルック侯爵家の……?」
僕は彼女の手を握ったまま、できる限り綺麗な笑みを浮かべた。
「ありがとう。君のお蔭ですっかり魔力が回復して、気分がよくなったよ。もう少し話せないかな?」
「えっ? ……はい、私でよければ」
シエナは薄らと頬を染めて頷いた。素直で初心な令嬢のようだ。
ベンチで僕の隣に腰を下ろした彼女から、色々と話を聞いた。
入学前から、魔力量は豊富だったこと。けれど、それを魔法にうまく込められず、魔法学校の授業では苦戦していること。それでも、授業は楽しくて、もっと魔法がうまくなりたいと思っていること、等々。
僕がした当たり障りのない話にも、彼女は興味深そうに耳を傾けてくれた。
次の授業の時間が近付いてきてベンチから立ち上がった彼女に、僕は微笑むと言った。
「こんなに魔力の相性がいい相手に出会えるなんて、思わなかった。今度、今日のお礼をさせてくれないかな?」
彼女は顔をさらに火照らせて頷いてから、僕と話せて楽しかったと、丁寧に礼を言って立ち去っていった。
僕は興奮が抑え切れず、思いがけない宝物を見付けたような気持ちで、彼女の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
(魔法学校に、こんな令嬢がいたのか)
この時、僕はシエナを絶対に手に入れると心に決めた。彼女が側についていてくれるなら、僕の将来は明るい。魔力が回復しただけでなく、身体の奥底から力が漲るような感覚があった。
魔法学校の成績が芳しくなかろうが、伯爵令嬢だろうが、僕にとって、彼女ほど価値のある令嬢が他にいないのは明らかだ。
そして、魔力に対する感覚が鋭いとはいえ、彼女の感覚にはまだムラがあるように僕には感じた。完全に感覚が鋭ければ、僕の魔力が完全に回復したことだって、すぐにわかったはずだ。シエナに聞いたら、何となくしっくりくるような感じはあったけれど、そこまで回復したとはわからなかった、と驚いていた。彼女自身の魔力に対する感覚が鈍いというか、過小評価しているように思える。
それは多分、魔法学校で成果を出せていないせいなのだろうと感じた。
考えてみると、もっとその部分の感覚が鋭ければ、恐らく、魔法に魔力をうまく乗せることだって、もう少し上手にできているはずだ。人一倍優れてはいるけれど、磨き切れていない才能――シエナの魔力に対する感覚を、僕はそう評価した。魔力量については、文句の付けようがなくトップレベルだ。底知れない、湧き出してくるような魔力を感じる。
純粋なシエナを囲い込んで、彼女と婚約するまでに、そう時間はかからなかった。
そして、魔力目的で婚約したはずの彼女に、僕はいつしか惹かれていった。
はじめは、相性が良い膨大な魔力のあるシエナなら、僕の役に立つはずだという、計算ずくの婚約だった。掌の上で簡単に転がされるような素直さも、御しやすいだろうと思った。
けれど、シエナの優しい笑顔や、ひたむきで努力家で、一途に僕を想ってくれるところなど、気付いたら、僕のほうが彼女にぞっこんになっていた。可愛い彼女が魔力を分けてくれる時には、体内に満ちる魔力とともに、甘美な思いが胸を満たす。
ただ、シエナには、脇が甘くお人好しなところがあった。魔力切れを起こしている生徒を見ると、僕の時と同じように、つい手を差し伸べたくなるようだ。
魔力の相性さえ合わなければ、ただ具合がよくなった、と感じる程度かもしれなかったけれど、僕の背筋は冷えた。他に誰か相性の良い人が見付かったらと思うと、我慢ならない。
彼女の魔力は、豊富なだけでなく、非常に質が高いようだ。他に相性が良い者がいるとすれば、それは僕と同じかそれ以上の、相当な魔法の才能の持ち主なのではないか――そんな不安が、彼女を好きになればなるほど、僕の胸の奥に渦巻く。彼女が男子生徒と楽しげに話しているのを見るだけで、僕の心には猜疑心が湧き上がった。
――僕以外に、その笑顔を見せないでほしい。
――君の魔力は、僕だけのものだ。
そんな独占欲を満たすため、シエナには時に厳しく、冷たいことや細かなことも言ったけれど、その分、僕の言うことを聞いてくれる限りは、最大限に甘く、優しくした。ウェルブルック侯爵家で、僕がそうやって育てられてきたように。
できる限り早く僕のものにするために、僕の卒業に合わせて、シエナが学生のうちに結婚したいと思っていたけれど、その計画は崩れた。彼女の母が他界したからだ。
シエナにしか興味のない僕にとっては、喪に服する一年間、彼女と結婚できなくなることが不満だったけれど、うっかりそれを零したら、彼女は傷付いたような顔をしていた。
指折り数えるように日が経つのを待って、ようやく結婚が近付いてきたというのに、シエナは魔術師団に入りたいなどと言っている。僕との婚約解消を言い出したことだって、僕には彼女が駄々を捏ねているようにしか見えない。シエナには、結婚して僕の家に入ったら、いくらでもいい生活をさせてやると言っているのに。
(彼女がもし魔術師団に入って、その才能を磨き、万が一にも開花させてしまったら……)
想像するだけで、嫌な汗が額から吹き出る。
シエナには未知の可能性があることを、僕はどことなく感じていた。
魔法学校では、あくまで扱える魔法によって成績がつく。魔力量が多ければ、強い魔法を出力しやすい。そういった意味で、魔力量が豊富なほうが有利だが、魔法に活かせないなら、魔力そのものが評価されることはない。
でも。
もしも、彼女が魔術師団で指導者に恵まれ、うまく魔力を活かせるようになったなら。あの魔力量なのだ、場合によっては僕のことだって凌駕してしまうかもしれない。
――そんなことは、許さない。
シエナは何も知らないまま、僕の隣にいてくれれば、それだけでいい。
彼女の世界が広がることなんて、あってはならない。
「君は僕だけのものだよ、シエナ。婚約解消なんて、絶対に認めない」
シエナの父上から届いた手紙をビリビリと破いて、火にくべる。
傾きかかった伯爵家に、侯爵家との婚約を解消する力があるとは思えない。喜んで支援を受け取ればいいのに、なぜ無駄な抵抗を示すのだろうか。
(まあ、シエナを納得させる必要はあるか……)
僕には逆らえないと、シエナも早くわかってくれたらいいのに。
僕は溜息を一つ吐いてから、返事を書くために、便箋にペンを走らせ始めた。




