エリオスの竜
「これは……!」
内側から美しい虹色の輝きを放つ宝珠に、エリオスが目を瞠る。
「こんな宝珠は、初めて見た」
「さっきお話ししたように、この子が持ってきてくれたんです。とても高品質な宝珠のようですね」
頭上に揺蕩う竜に、シエナは感謝を込めて微笑みかけた。
「この宝珠に触れても構わないかい?」
「ええ、もちろんです」
そっと宝珠に触れたエリオスが、困惑したように呟く。
「信じられないな。竜は感覚が鋭いから、こうした宝珠を森林や山岳で見付けてくること自体は、少なくはないのだが……」
「それほど珍しい宝珠なのですか?」
「宝珠自体も稀少なものだが、込められている魔力量が桁外れだ。少し触れただけでも、溢れるほどの温かな魔力が感じられる。これほどの宝珠が自然界に存在するとは、とても思えない」
「あの……その魔力は、私が宝珠に込めたものです」
「君が!?」
呆気に取られたように、エリオスがまじまじとシエナを見つめる。
「こんな魔力量を保持しているなんて、魔術師団でも類を見ないぞ」
「魔力量はあるのですが、お恥ずかしながら、その魔力を魔法に乗せるのがあまり得意ではなくて……。もっと魔法の技量を磨いて、この魔力量を活かせるようになりたいと思っています」
それから何かを考え込むように視線を下げて黙り込んだエリオスを見て、シエナは戸惑っていた。
(私、何かおかしなことを言ってしまったかしら?)
ふと見ると、エリオスの左手首にも、シエナと同じように、宝珠のついた腕輪が嵌まっている。
長く続いた沈黙に耐えられなくなったシエナは、彼に尋ねた。
「エリオス様が主従契約をしているのも、やはり聖竜なのですか?」
「ああ、そうだ」
なぜか、シエナの目には、エリオスの金色の瞳が悲しそうに翳ったように見えた。シエナが頭上の竜に視線を移す。
「この子がここにやって来たのは、仲間の竜に会いたいと思ったからなのでしょうか」
白銀の竜は、肯定を示すように、そして何かを訴えかけるように、両の瞳でシエナをじっと見つめていた。エリオスがゆっくりと口を開く。
「そうかもしれない。聖竜は絆の強い生き物だからな」
「……こんなことをお願いしてよいのかわかりませんが、エリオス様の竜に、この子を会わせていただくことはできますか?」
シエナの竜は、どことなく思い詰めているようにシエナには思えた。主従契約を結んですぐにシェフィールズ公爵家にやってきた竜の願いを、できることなら叶えてやりたいと思ったのだ。
シエナの知る限りでは、魔法陣を介することによって主従契約を結ぶと、主となる者の腕に現れる腕輪に、契約した従たる相手を格納したり、また出したりすることができるらしい。
その具体的な方法は知らなかったけれど、エリオスの竜も、腕輪の中に格納されているのだろうかとシエナは思ったのだった。
一瞬の躊躇いを見せてから、エリオスは言った。
「わかった、俺の竜のところに案内しよう。だが、他言はしないと約束してくれ」
「……? はい、わかりました」
不思議に思いながらも、シエナが頷く。立ち上がったエリオスは、シエナを連れて応接室を出ると、廊下を進み階段を上った。
上階の突き当たりにある部屋の前で、エリオスが立ち止まる。
「俺の竜は、今はこの部屋の中にいる」
エリオスが部屋の扉を開ける。薄暗い部屋の中で、大きく透明な水晶のようなものが淡く光っていた。
(これは……!?)
水晶のようなものの中に、とても美しい白銀の竜がいた。目は閉じており、凍り付いたように動かない。
シエナの竜は羽ばたいてその竜に近付くと、悲痛な鳴き声を上げた。
言葉を失っているシエナに、エリオスは続けた。
「これが俺の竜だ。魔物討伐の際、瀕死に陥ってしまったのを、咄嗟に凍り付かせて眠らせた。今でも、かろうじて生命の灯だけは保っている」
エリオスは悔しそうに拳を握った。
「竜の傷は深く、消耗も激しくて、死を避けるにはこれしか方法が思い浮かばなかった。今は、俺の魔力を注ぐことで生命力を維持している。竜の体内にある魔力が尽きれば、すぐに死んでしまうだろう」
「そんな……!」
シエナの瞳が揺れる。
「この竜を助ける方法はないのでしょうか?」
エリオスは首を横に振った。
「今はまだ見付かっていない。決して諦めるつもりはないが、命を保つだけで精一杯というのが現状だ」
左手首の腕輪に着いた宝珠に、エリオスが触れる。彼が魔力を込めると、氷の中にいる竜の身体がふわりと輝いた。
(こうやって魔力を分け与えているのね……)
膨大な魔力が宝珠を通じて竜に流れ込んだことが、シエナには手に取るようにわかった。
シエナの竜も、氷の中の竜を食い入るように見つめていた。仲間を心配する竜の悲しみがシエナにも伝わってくるようで、胸がひどく痛む。
エリオスは氷越しに竜に触れた。
「君もきっと、次第にわかってくると思うが、主従契約は、従えたものを単に使役する契約ではない。契約相手とは、深い感情――喜びや悲しみ、苦しさといったものまで共有することになる。まるで自分の分身のような、かけがえのない存在になるんだ」
さっき感じた胸の痛みを思い返しながら、シエナが頷く。
「少しずつ、私にもわかってきたような気がします」
「この竜は、俺を庇ってこれほどの深手を負った。竜がいなければ、俺は命を落としていたかもしれない。絶対に俺を守るという迷いのない思いを、最後にこの竜から感じた。……その思いに報いるためにも、俺の命に代えても、必ず助ける方法を見付けてみせる」
強い意志を滲ませるエリオスを、シエナが見つめる。その顔色がひどく青白いことに気付いて、シエナはどきりとした。
(もしかして、エリオス様は魔力が切れかかっているのでは……?)
魔術師として高名なエリオスが魔力量に優れていることは、容易に想像がつく。それでも、魔術師団で魔物討伐を繰り返しながら、竜の命を守るためにこれほどの魔力を注ぎ続けているとしたら、魔力を切らしたとしても不思議ではなかった。
「あの、エリオス様。竜へのこうした魔力の補充は、どのくらい行っていらっしゃるのですか……?」
「毎日だ。一日でも欠かしてしまえば、魔力切れを起こしても不思議ではないからな。だが、注げる魔力量は、これくらいが俺の限界だ」
隠し切れずに疲れの滲む顔でそう言ったエリオスを、シエナは切ない思いで見つめた。
(これほどの魔力を、毎日竜に注いでいるというの……?)
エリオスが言っていた、『命を保つだけで精一杯』という言葉の重みが、シエナにも伝わってくる。竜の命を保つために、毎日身を削るように、ぎりぎりまで自分に負担をかけているのだということが、痛いほど感じられた。
(これでは、時間の経過につれて自然と魔力が回復するよりも、消耗のほうが激しいんじゃないかしら)
彼の魔力には、魔法の腕に特別に優れた者に特有の、独特の鋭さや重みがあるようにシエナには思えた。市販の魔力回復薬が、彼にどれほどの効果があるのかはわからない。
けれど、氷の中の弱った竜は、エリオスの魔力の残量にかかわらず、日々魔力を必要としている。彼よりも、さらに切羽詰まって死の淵にいる状況だ。
しばし口を噤んでから、シエナは思い切ってエリオスを見つめた。
「差し出がましいかもしれませんが、私にもエリオス様の竜に魔力を注がせていただけませんか?」
「だが……」
瞳を揺らしたエリオスに、シエナが畳みかける。
「エリオス様の、その左手首の宝珠に魔力を込めればよいのですよね? エリオス様と私の魔力の相性が合わなければ、きっとほとんど効果は表れないと思いますが……それでも、試させてはいただけませんか?」
シエナの強い翡翠色の瞳を見つめて、エリオスはふっと笑みを浮かべた。
「なら、君の言葉に甘えさせてもらおう。お願いできるかい?」
「はい」
シエナは緊張をほぐすように深呼吸をしてから、エリオスの左手首の宝珠に意識を集中させた。頭上から、シエナの竜も彼女を見守っているのがわかる。
シエナが宝珠に触れて魔力を注ぐと、氷の中の竜は再び淡い輝きを帯びた。
(どうか、この竜に力を……!)
シエナには、どことなく、魔力に不自由していなかった以前に輪をかけて、魔力が身体の中にさらに潤沢に湧き出してくるような感覚があった。シエナの願いに呼応するように、竜が放つ光は次第に輝きを増していく。そんな竜の姿を、エリオスは瞬きもせず氷越しに見つめていた。




