竜公爵エリオス
白銀の竜の背に乗りながら、シエナは町を見下ろしていた。夕陽が沈んだばかりの空は、橙色と藍色の淡いグラデーションを描き、家々には温かな灯りがともり始めている。
「……何て綺麗なのかしら」
これほどの解放感を覚えたのは久し振りで、シエナは夜に沈み始める町をうっとりと眺めていた。頬を撫でていく涼しい風が心地よい。
滑るように上空を進む白銀の竜に向かって、シエナが尋ねる。
「どこか目的地があるの?」
空中散歩にただ連れ出してくれたにしては、竜は迷いなく飛んでいるようにシエナには思えた。竜はちらりとシエナを振り返ると、そうだと言いたげに鳴き声を上げた。
やがて、竜は高度を落とし始めた。さらに闇に沈んだ空には三日月が浮かび、星々はより輝きを増している。
シエナは竜が向かっている方向に目を凝らした。近付いてくる荘厳な屋敷の門扉の上に、美しい竜の像が飾られているのを見て、竜の目的地を理解する。
「あれは、シェフィールズ公爵家……」
王国の三大公爵家の一つであるシェフィールズ公爵家は、昔から竜とのかかわりが深いことで知られている。竜を従える歴代の公爵家の面々は『竜公爵』とも呼ばれ、魔物討伐では比類なき力を発揮して活躍してきた。
門扉の前に着地した竜の背から、シエナが降りる。立派な門扉とその上に飾られた竜の像を、圧倒される思いで見上げていたシエナのところに、門番が近付いてくる。
門番の姿を見て、シエナははっと我に返った。
(どうしよう。こんな高位貴族のお屋敷に、お約束がある訳でもなく、突然来てしまうなんて……)
慌てるシエナに向かって、門番が尋ねる。
「どのようなご用件でしょうか? 公爵様とのお約束ですか?」
門番は大きな竜に驚いた様子で、月明りに照らされる白銀の竜とシエナを交互に見つめた。
「ええと……その……」
(この竜がここに連れてきてくれたんです、なんて言えないし……)
どぎまぎと口籠もったシエナの耳に、近付いてくる足音が聞こえた。目を上げて門の奥を見ると、駆けてくる銀髪の青年の姿が見える。
(あの方は……!)
銀髪の青年が、魔術師団の拠点でぶつかった人物だとシエナが気付いたのと、彼がシエナのことを認識したのが同時だった。
「君は、さっきの……」
「先程はお世話になりました」
頭を下げたシエナの頬が、恥ずかしそうに染まる。
「すみません。お借りしたハンカチをお返ししにやってきた訳ではないのですが……」
彼にシエナが借りたハンカチは、まだ家に置いてきた鞄の中に入ったままだ。
申し訳なさそうなシエナを見て、青年はふっと口元を綻ばせた。
「そんなことは気にしないで。……ところで、ここにいるのは君の竜かい?」
「ええ、そういうことになるのでしょうか。さっき、この竜と主従契約を結んだばかりなんです」
「……そうか」
青年は驚いたように目を瞠ってから、シエナの横で大人しくしている白銀の竜を見つめて目を細めた。
「美しい竜だね。理知的な瞳をしている」
シエナは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、聡明な子だと思います。主従契約を結んだ後、この子の背中に乗せられて、気付けばここに着いていたのですが……」
「そういうことだったのか」
納得したように頷いた青年は、公爵家の屋敷を指し示した。
「少し君の話を聞かせてもらえないだろうか?」
「はい、私でよければ」
(この子を連れて入ってもいいのかしら……?)
戸惑った様子で大きな姿の竜を振り返ったシエナを見て、青年は落ち着いた笑みを浮かべた。
「その竜とは主従契約を結んでいるのだろう? 問題ないから、連れてきてくれ」
「ありがとうございます」
ほっと安堵の笑みを浮かべたシエナの横で、竜は二人の会話を聞いていたかのように、するすると小さく姿を変えると、シエナの肩の辺りにふわりと浮かんだ。
「ふふ。やっぱりあなたは賢いわ」
シエナが頭を撫でてやると、竜は嬉しそうに目を細めた。その様子を、青年は微笑ましげに見つめていた。
青年がシエナに手を差し出す。
「申し遅れたが、俺はエリオス。君の名前は?」
(エリオス様……! シェフィールズ公爵家のご嫡男、『竜公爵』エリオス様だわ)
魔術師団でも名高い彼のことは、シエナも耳にしていた。畏れ多いような気持ちで、シエナが彼の手を握り返す。
「私はシエナ・フレミングと申します」
「シエナ嬢、さあ、こちらへ」
エリオスに招かれるままに、シエナは竜を連れてシェフィールズ公爵家へと足を踏み入れた。




