お母さん頑張れ
「導子、急がないと。あの親子、夜なのに海に入ってる」
「……っ!」
私は全力で走った。
――――
「こんばんは。可愛い赤ちゃんですね」
「……ありがとうございます」
どこか疲れた声だった。
「このままだと、風邪ひいちゃいますよ」
「……そうですね」
波の音が静かに響く。
「お母さん、ちゃんと休めてますか?」
「……いえ」
少し間があく。
「この子、なかなか寝なくて……」
「……」
「ほとんど、休めてないです」
導子はゆっくりうなずいた。
「……大変でしたね」
「……はい」
声が少し震える。
「一度、お子さんを預けて休むのも一つの方法ですよ」
「……でも」
女性は首を振る。
「出産のときに仕事を辞めてしまって、
保育園には預けられないんです」
「そうなんですね」
少し考えてから、導子は続ける。
「“一時預かり”って知ってますか?」
「……いえ」
「働いていなくても、短い時間だけ
子どもを預けられる制度があるんです」
「……そうなんですか」
「月に数時間でも、休めるだけで全然違うと思います」
女性は少しだけ顔を上げる。
「それでも大変なときは、
ベビーシッターさんを頼るのもありだと思います」
「……ベビーシッター」
「はい。家のことも手伝ってくれるところもあります」
沈黙。
「……あなた、一人で抱えすぎてます」
優しく言う。
「頼っていいんですよ」
「……」
「今まで、よく頑張ってきましたね」
その瞬間――
女性の目から涙があふれた。
「……私」
声が震える。
「夫が、海外に単身赴任で……」
「……」
「ずっと、一人で育ててて……」
「それは……本当に大変でしたね」
女性はうなずく。
「休みたくても、この子、ずっと泣くから……」
「……」
「休めなくて……」
導子は静かに言う。
「お疲れ様でした」
「……」
「本当に、よくここまで頑張りましたね」
女性は泣き崩れる。
「……こんな毎日が続くと思うと、つらくて」
「……」
「だから、私、この子と一緒に――」
「大丈夫です」
導子はやさしく遮る。
「一人じゃないです」
「……」
「これからは、頼っていいんです」
女性は赤ちゃんを見る。
その小さな手が、母親の服をぎゅっと握っていた。
「……ほら」
導子はそっと微笑む。
「お母さんのこと、大好きみたいです」
赤ちゃんが、少しだけ笑う。
「……」
女性の表情が、わずかにゆるむ。
「……この子、幸せですね」
「……」
「こんなに愛されてるんですから」
長い沈黙のあと――
「……がんばってみます」
小さな声だった。
でも、確かな一歩だった。




