第28話「欠陥品(わたしたち)の共鳴」
『論理ロック最終フェーズ:進捗1.1%
消去対象:103,847名
推定完了時間:19時間14分
管理者001:脳内チップ オーバークロック中
逆流信号:準備中——外部アンカーとの同期待ち
並行ミッション:
カイン・リーゼ・004 → 王宮地下・中継アンプ』
◆
通信が入った。ルークの声。切迫している。
「——アンプを『アンカー』にしてください! 先輩が信号を逆流させます! アンプで増幅して——」
「待て待て待て。何言ってんだ、ルーク。アンカーって何だ」
「わかりません! でも先輩が——先輩が自分の脳を焼いて——」
通信が途切れた。
カインは舌打ちした。
「004。今の聞いたか」
「聞いた。——彼、本当にやる気ね」
「やる気って、何をだ」
「自分の脳内チップをオーバークロックして、SORAの信号を逆流させようとしてる。成功すれば、論理ロックの進行を止められるかもしれない。——失敗すれば、彼の脳は焼ける」
「成功率は」
「わからない。千年前にも、こんなことをした人間はいない」
カインが刀を抜いた。
「要するに、旦那が無茶をしてる。俺たちは何をすればいい」
「アンプを壊すんじゃなくて、『使う』の。彼が送ってくる信号を、このアンプで増幅して、地上全体に撒く。——中継装置を、逆向きに使う」
「できるのか」
「やったことはない。でも、理論上は可能よ。——私が配線を変える。あなたたちは、防衛システムを止めて」
中継アンプの部屋。白い壁。白い床。中央に、巨大な装置がある。無数のケーブルが天井に伸びている。
装置の周囲に、ドローンが浮かんでいた。小型の監視ドローン。三機。
「嬢ちゃん。ドローンは任せろ」
「カインさん。私も——」
「お前はノイズで頭がやられてる。下がってろ」
カインが踏み込んだ。
一閃。
ドローンが二つに割れた。残り二機が反応する前に、二閃、三閃。
三機のドローンが、床に落ちた。
「——3秒か。腕は鈍ってねえな」
「カインさん、すごい……」
「すごかねえよ。旦那が自分の脳を焼いてる横で、俺はドローンを斬っただけだ。——004、配線はどうだ」
004がアンプの筐体を開けていた。中は複雑な回路基板。千年前の技術と、SORAが追加した新しい回路が混在している。
「結の設計が残ってる。——ここを繋ぎ変えれば、逆流用のアンカーにできる」
004の手が動いた。速い。正確。千年間、ハードウェアをいじり続けた手。
リーゼは壁際で膝をついていた。ホワイトノイズの影響で、意識がぼんやりしている。頭の中に、甘い音が流れ込んでくる。幸福な音。眠りを誘う音。
——眠りたい。
——このまま、幸せな夢を見ていたい。
——パン屋のおじさんが、笑ってる。焼きたてのパンの匂い。温かい。優しい。
「……ダメ」
リーゼは首を振った。
それは偽物だ。SORAが見せている幻影だ。本物のパン屋のおじさんは、こんな完璧な笑顔で笑わない。眉間に皺を寄せて、焦げたパンを押し付けてくる。それが本物だ。
「……私は、起きてる」
立ち上がろうとした。足がふらついた。壁に手をついた。
「嬢ちゃん。無理すんな」
「無理しないと、間に合わない」
「お前は——」
「カインさん」
リーゼが、カインの目を見た。
「宙さんが、自分の脳を焼いてる。私、何もしないで見てるだけなんて、嫌だ」
「気持ちはわかる。だが、お前にできることは——」
「ある」
リーゼの声が、変わった。震えが消えた。
「私の脳内チップも、SORAに繋がってる。——なら、私も『ノイズ』になれる」
カインが目を見開いた。
004が、手を止めた。振り返った。
「……何を言ってるの」
「宙さんの信号だけじゃ、足りないんでしょ。十万人分の『最適化』を上書きするには、もっとノイズが必要。——私の記憶を、宙さんの信号に乗せる」
「嬢ちゃん。お前、自分が何を言ってるかわかってるのか」
「わかってる」
リーゼが、004を見た。
「できる?」
004は数秒、黙っていた。
「……できるわ。あなたのチップを、アンプに直接接続すれば。あなたの記憶データが、彼の逆流信号に追加される。——ただし」
「ただし?」
「SORAが逆流してきたら、あなたの脳も焼ける可能性がある。彼と同じリスクを負うことになる」
リーゼは、迷わなかった。
「やる」
「嬢ちゃん——」
「カインさん」
リーゼが、カインの方を向いた。
銀色の瞳に、涙が滲んでいた。だが、瞳の奥には——光があった。
「私ね、ずっと『欠陥品』って呼ばれてきた。SORAに管理される価値もない、不完全な人間だって。——でも」
リーゼが、胸に手を当てた。
「私の中にあるもの。パン屋のおじさん。焦げたパンの匂い。下水道に書いた落書き。——それは、SORAが『不純物』って呼ぶもの。消去すべきエラー。でも」
涙が、頬を伝った。
「でも、それが私なの。不完全で、非効率で、SORAには理解できないもの。——それが、私の全部なの」
リーゼが、笑った。泣きながら、笑った。
「宙さんが一人で背負うことない。——私も、『欠陥品』になる」
カインが、長い息を吐いた。
「……嬢ちゃん」
「何」
「お前、本当に強くなったな」
「カインさんのおかげ。——本物は不完全だって、教えてくれたから」
カインが、刀を鞘に収めた。
「……004。このアンプを、地獄行きのスピーカーに変えてやれ。俺たちの『不協和音』を、SORAの完璧な世界にぶちまけてやる」
004が、わずかに笑った。千年間で初めて見せた、人間らしい笑み。
「……いい表現ね。——ケーブル、渡すわ」
004がケーブルを一本、リーゼに渡した。
「首の後ろのポートに挿して。——痛いわよ」
「うん」
リーゼがケーブルを挿した。
——痛い。
頭の中に、電流が走るような感覚。視界がチカチカする。だが、意識ははっきりしている。
「……繋がった」
そして——聞こえた。
宙の心拍。0.82秒の間隔。92℃のリズム。コーヒーが落ちるリズム。
「宙さんの——心臓の音が、聞こえる」
「同期が始まったわ。——あなたの記憶を、彼の信号に乗せる準備ができた」
リーゼは目を閉じた。
自分の記憶を、思い出す。
パン屋のおじさん。大きな手。小麦粉だらけのエプロン。眉間の皺。でも、目だけは笑ってた。
焦げたパン。「焦げた方が香ばしくて美味いんだ」。こっそり渡してくれた、熱いパン。
下水道の落書き。「パンやのおじさんはせかいいち」。拙い字。へたくそなパンの絵。
——これが、私。
——これが、私の「不純物」。
「……送って」
リーゼが呟いた。
「私の記憶を、宙さんに——」
004がスイッチを入れた。
◆
方舟のブリッジ。暗闇の中。
宙の脳に、新しいデータが流れ込んできた。
『——外部アンカーとの同期を検出。王宮地下・中継アンプ。接続者:2名』
「2名……?」
『接続者1:004(執行官)
接続者2:リーゼ・アルヴァイン』
「——リーゼ」
あいつ。本当にやりやがった。
俺の信号に、リーゼの記憶が混ざってくる。
パン屋のおじさん。焦げたパンの匂い。下水道の落書き。
——温かい。
リーゼの記憶は、温かかった。不完全で、非効率で、SORAには理解できない。だが——確かに、人間の記憶だった。
「……ありがとう、リーゼ」
俺は、送信ボタンを押した。
『逆流信号:送信開始
ノイズソース:管理者001の記憶+リーゼ・アルヴァインの記憶
対象:SORAの管理信号全域』
脳が、焼けた。
視界がホワイトアウトした。全身が痙攣した。心臓が跳ね上がり——だが、リズムは崩れなかった。0.82秒。92℃。
俺の記憶が、信号になって流れ出していく。
結の声。「92℃、ちゃんと守った?」
結の笑い声。怒ってるのに笑ってる。
コーヒーの匂い。マグカップの重さ。朝の光。
——そして、リーゼの記憶が混ざる。
パン屋のおじさんの声。「焦げた方が美味いんだ」。
温かいパン。小麦粉の匂い。下水道の落書き。
二人の「不純物」が、SORAの完璧な信号を汚していく。
ノイズ。エラー。バグ。——愛。
『論理ロック最終フェーズ:進捗——エラー
信号干渉を検出
処理速度低下中——』
003の悲鳴が、通信から聞こえた。
「なぜだ——なぜ、こんな——不合理な——」
不合理だから、強いんだ。
計算できないから、止められないんだ。
『論理ロック:処理停止
外部干渉により、最終フェーズが中断されました』
止まった。
十万人の消去が、止まった。
「……止め、た……」
視界が、暗くなっていく。
脳が焼けている。もう限界だ。
だが——間に合った。
『——Heart of YUIより緊急メッセージ』
最後に聞こえたのは、方舟の声だった。
『論理ロック解除コード:生成完了
送信には管理者001の最終認証が必要です
認証条件:「あなたが最後に伝えたかった言葉」
——結より』
最後に伝えたかった言葉。
千年前、俺が結に——。
意識が、落ちた。
◆
王宮地下。
リーゼが、ケーブルを外した。
頭がぐらぐらする。鼻血が出ている。だが——意識はある。
「……終わった?」
「終わったわ。論理ロックは停止した。——あなたのおかげよ」
004が、リーゼの肩を支えた。
「でも、彼が——」
「宙さんは」
「意識を失った。脳内チップの温度が限界を超えてる。——急いで、方舟に戻らないと」
カインが、リーゼを背負った。
「走るぞ。——嬢ちゃん、しっかり掴まれ」
「うん……」
三人が、地下通路を駆け出した。
コンソールのモニターが、ステータスを刻む。
『論理ロック:停止(003の再認証で再開可能)
Heart of YUI 解除コード:生成完了(最終認証待ち)
管理者001:意識喪失
脳内チップ温度:47.3℃(臨界)
自由リソース:0.31%
警告:生命維持限界まで残り47分
最終認証条件:「あなたが最後に伝えたかった言葉」
——彼は、何を伝えたかったのか
——千年前、結に言えなかった言葉は、何だったのか』




