5-1. 結婚は、しなくてもいいはず! 1
(露の女王が、逝く姿をサラに見せたか……)
アルフレード王子は、ふと執務の手を止めた。
この国で起こることは、すべて王子に入ってくる。
露の精のように力が弱く、しかし人間に近い妖精たちは、この1,000年の間特に苦しんできた。
(サラは悲しんでいるのだろうな……。いや、おそらくだが。どうもサラの感情は読めない。お妃君だからか、人間だからか?)
ただでさえ、人間であるサラの感情は複雑で強い。
おそらく本人も自覚していない感情が渦巻いている状態を、アルフレード王子は何度か読み取ろうとして、不可能だと悟った。
この国に在って、読み取れない存在など、サラが初めてだ。
その一点を以てしても、彼女は王妃にふさわしいと思う。
羽ペンを置き、イルクに片手で合図する。
「お妃君が目覚めたようだ。ご機嫌伺いに赴こう。話の続きもしなければならないしね」
イルクは黙ってうなずいた。
今の王子の言葉はむしろ、執務室にいるほかの者達に向けたものだ。
大臣達とて、決して一枚岩ではない。
アルフレードへの忠誠はまちがいないが、こと人間に対する感情については、種族によってもっとも差が大きい部分なのだ。
王子がサラを大切にしていること、お妃君としての権能だけでなく、王妃に望んでいることを、できるだけ早い時期に多くの種族に知らしめなければならない。
(――少なくとも、サラが自分で自分の身を守れるようになるまでは)
本来、人間は最強だ。おまけにサラは「お妃君」でもある。
だが、サラはこの国のことも、人間の力も、まだ知らなすぎる。
「だからこそ、私が守らなければな」
その低いつぶやきは、イルクにしか届かなかった。
幼なじみは、呆れたような視線を寄越してきた。
「義務感でプロポーズされて、あのお妃君が受けると思ってんのか。たいがいにしろよ、おまえも」
「たいがいとはどういう意味だ。私は少しもふざけてなどいない」
少しムッとして言い返したら、イルクが肩を落とす。
「あー、まーなー。おまえがそういうヤツだって俺は知ってる。が、お妃君には分からんからな。――あのな、アル。人間って、恋愛感情がないと結婚しない生き物なんだよ」
驚いて、思わずイルクの顔を見つめてしまった。
「まさか。……少し前まで、人間はそんな婚姻形態ではなかっただろう」
「いつの時代のこと言ってんだ。――あー、おまえの言いたい事も分かる。たしかに、現代でもそういう人間ばかりじゃない。うん。正しく言い直すと、恋愛感情を伴って結婚することがステキと思い込んでるんだ、最近の人間は」
一瞬、混乱した。
「ん? つまり、本当は恋愛感情ナシで婚姻しているのに、それは望ましくないと考えているということか?」
「いや、そう言い切っちまうのも、少しちがうんだが」
どう説明すっかな、とぼやくイルクに、やはり人間は難しいと改めて思う。
「ネレスィマナンきっての人間通のイルクがそう言うとは、そうとうの難題なのだな」
「……難題つーか、まあ、いかにも人間っぽいってこった」
完全には理解し切れていないまま、アルフレードは執務室のドアを開けた。
開いたドアは、そのままサラの居室につながる。
「ああ、“渡り”も、サラに教えなければ」
「あのお妃君なら、余裕だろ」
イルクが一歩踏み出した場所は、サラの寝室の前のバルコニーだった。
お妃君はそちらで朝食タイムらしい。
「ああ。私も、そちらは心配していない」
サラに魔力は、まったくない。だが、彼女には呆れるほど大きな別の力が備わっている。
「おはようございます、サラ。よくお休みになれましたか」
アルフレード王子はにこやかにお妃君に声をかけた。
心地よい風が吹き抜けるバルコニーで、沙良はスコーンをのどに詰まらせそうになった。
「おはっ、げほっ。ゲホゲホ。…………あいかわらず、破壊力抜群で……っ」
とてつもなくキラキラしい存在が、無造作に自分に向かって歩いてくる。
なぜか、今日の王子とイルクはスーツ姿だった。上品な三つ揃いで、現代のヨーロッパあたりの会社役員ぽい。一分の隙もない着こなしだけれど、唯一、ネクタイでなくクラバットなところが王子感をかもし出している。
明るい陽の光で見る王子の姿は、いっそう彫像めいていた。金髪もアイスブルーの瞳も輝いていて、なんなら全身からも淡く発光している。
(うわ、発光する彫像……。シュールだぁ)
当面、唯一の庇護者なのだから早く慣れなければならないけれど、この美の化身のような王子様に、いつまで経っても慣れられる気がしない。
そして、 昨晩までのローマ皇帝のような恰好ならまだしも、エグゼクティブぽいこの感じは、もろに沙良の好みど真ん中だ。
イケメン王子で、おまけにスパダリリーマン。こんなのが自分の夫候補だなんて、どれだけ贅沢なのか。
「大丈夫ですか。ゆっくり話していいですよ」
目の前に座り、長すぎる足を優雅に組む王子。
沙良は涙目でむせながら、なんとか言葉をひねり出す。スズシロ様が背中に回って、さすってくれた。
「きょ、今日は、スーツなんですね……っ?」
結局口から出てきたのは、たぶん今この場でいちばん重要度の低いセリフだった。
「ええ。沙良に合わせてみました。ああ、沙良の新しい衣服も揃えておきましたので」
「え。ありがとう、ございます……。あの、現代の人間のことに、お詳しいんですね?」
昨晩最初に目が覚めたとき、出てきた夜食はサンドイッチだったし、スーツで寝落ちしてしまった沙良に手渡されたのはネグリジェだった。
スズシロ様の件があったので、サンドイッチの中のレタスやトマトが微妙に気になったものの、今朝のスコーンと紅茶の朝食に至るまで、沙良の衣食住にはほとんど違和感がない。まあ、おそろしく豪華ではあるけれど。
王子が頬杖をつき、麗しい流し目で微笑んだ。
「それは、もちろん。サラに心地よく過ごしていただくために、調べました」
「はっ、え、あ、そっ、それはお手数をっ、あーいえ、わたしとしましては、べつに昨晩のお召し物でも全然っ」
あわあわしている沙良の手を、ひんやりと美しい手がそっとつかむ。
「ひえっ?」
「私はサラから、最上の評価をいただかねばなりませんから。そのための努力は惜しみません。サラの好みがうかがえれば、もっときちんと対応できるのですが?」
「ひゃぁっ! さ、昨晩よりはスーツ姿のほうが好みですっ! いえ、あの、昨晩のトーガ姿もおキレイでしたけどねっ? やっぱり、働く大人としては、スーツ姿にこそ萌えるといいますかっ」
「サラはスーツがお好みなのですね。それはよかった」
周囲の光景もかすむほどの笑みを真正面から浴びて、ただでさえ低い沙良のイケメン耐性は崩壊した。
「もっ、もう、今日は、打ち止めで……っ」
「まだ10分も経っていませんよ。私達も一緒にお茶をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ど、どーぞお好きに…………」




