第5話 明かされる「悲恋」の真相(過去回想)
ロクサーヌが自宅のベッドで「完璧なお飾りになろう」と涙を堪えていたその頃。
王宮の王太子執務室では、若き王宮次官、ニコラスが、机に書類を叩きつけて苦渋の表情を浮かべていた。
「エドワード……。どうして君は、あの馬鹿げた『悲恋の噂』を否定してくれなかったんだ」
幼馴染であり、主君でもある王太子エドワードは、心苦しそうに眉を下げて息を吐いた。
「すまない、ニコラス。だが、姉上のプライドとローゼンタールとの国交を守るためには、君と姉上が『学園時代に身分違いの恋に落ち、涙ながらに別れた』という物語が最も都合が良かったんだ。……君に泥を被せてしまったことは、本当に申し訳なく思っている」
エドワードの言葉に、ニコラスは深くため息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。
社交界でまことしやかに囁かれている、ニコラスとビクトリア王女の『至高の悲恋』。
その美しい物語の裏側にある真実は、ロクサーヌや社交界の人々が想像しているものとは、全く異なる泥臭い政治の裏工作だった。
時計の針は、三年前へと遡る。当時、ニコラスは学園の二年生だった。
一学年上の先輩だった第一王女ビクトリアは、その頃、十歳も年上のローゼンタール国王ルドクリフへの輿入れが内定していた。相手国にはすでに側妃がおり、子供までなしている三十手前の男の元へ、十八歳になったら政略結婚で嫁がねばならない運命。
まだ多感な時期だったビクトリア王女の絶望は、計り知れないものだった。
『エドワード、私、あちらへ行けば一生、義務と政治の道具として生きるのね。……お願い。嘘でもいいの。本当の恋でなくていいから、同じ年代の恋人同士のような、普通の疑似恋愛を経験してみたいわ』
涙を流して訴える姉の姿を気の毒に思った王太子エドワードは、最も信頼できる幼馴染であり、決して不祥事を起こさない堅物な男――ニコラスに、頭を下げて「姉の恋人役」を懇願したのだ。
『ニコラス、これは我が王家から君への、非公式の最高機密任務だ。姉上が隣国へ発つまでの学園生活の間、つまりこの一年間だけでいい。彼女の「理想の恋人」を演じてやってくれ。もちろん、清い交際のままでだ』
主君からの直々の頼み。そして、国のために身を捧げる王女への、臣下としての憐れみと忠誠。
ニコラスは「御意」とだけ答え、その任務を引き受けた。
ニコラスが二年生、ビクトリアが三年生だった、あの最後の一年間。
学園の庭園を並んで歩き、微笑みを見せ、周囲に「仲睦まじい恋人同士」だと思わせる。
すべては、傷ついた王女の心を慰め、十八歳で異国へ発つ彼女に『普通の少女としての思い出』を持たせるための、ニコラスの完璧な「演技」に過ぎなかった。
ニコラスにとって、ビクトリア王女は守るべき主君の姉であり、それ以上の感情は一滴も存在しなかった。当然、彼女の卒業と輿入れを機にその役割は終わり、ニコラスは綺麗さっぱり頭を切り替えていた。
しかし――ニコラスは気づいていなかったのだ。
ビクトリア王女が、その「疑似恋愛」の最中、本気でニコラスを慕い、恋い焦がれてしまっていたことに。
王太子エドワードだけは、姉の瞳に宿る本物の恋心に気づいていた。
けれど、あえてそれをニコラスには打ち明けなかった。任務として割り切っているニコラスに余計な情を抱かせれば、かえってビクトリアの輿入れに支障が出ると判断したからだ。結果、ビクトリアはニコラスへの秘めた想いを胸に抱いたまま、涙を流して隣国へと嫁いでいった。
これが、社交界中を感動させた『悲恋』の、あまりにもお粗末な真実だった。
「その噂のせいで、ロクサーヌが傷ついている」
ニコラスの声は、怒りで低く震えていた。
「彼女は、僕の心にいまだにビクトリア殿下がいると思い込んでいる。だから、僕がどれだけドレスを贈っても、優しくエスコートしても、まるで借りてきた猫のように怯え、一歩引いた目で僕を見るんだ。……『良いお飾りでいられるよう努めます』なんて、あんな悲しい顔で笑う彼女を、僕は見たくない……!」
ガシガシと自らの漆黒の髪を掻きむしるニコラスを、王太子はどこか呆れたような目で見つめた。
「ニコラス、お前……ダグラス伯爵令嬢のことが、本当に好きなんだな。あの冷徹と言われた王宮次官が、そこまで余裕をなくすとは」
「好き、なんて生ぬるい言葉で片付けないでくれ。僕は、母上のお茶会で彼女を見たあの日から、ロクサーヌを僕だけの妻にするためだけに生きているんだ。学園の噂なんてすべて叩き潰して、今すぐ『僕が愛しているのは君だけだ』と拉致するように抱きしめたい!」
ニコラスのアメジストの瞳に、ギラリとした執着の光が灯る。
「だが、王家との最高機密任務である以上、僕から真相を話せば国家の問題になる。……クソ、どうすれば彼女の心を僕だけで満たせるんだ。優しくすればするほど、彼女は僕を『王女の身代わりを探す可哀想な男』として同情の目で見てくるんだぞ……!」
「……それは、気の毒に」
主君の生返事など耳に入らない様子で、ニコラスは深くため息をついた。
(ロクサーヌ。君を傷つけたいわけじゃない。僕の心にいるのは、最初から、そしてこれからも君だけなんだ。……お願いだから、僕から逃げようとしないでくれ)
叶わぬ想いに悶える婚約者をよそに、ニコラスはただ、愛しい少女をいかにして自分の腕の中に閉じ込めるか、その独占欲を水面下でますます肥大化させていくのだった。
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