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第14話 決意の帰路

「――ビクトリア王妃殿下。僕の婚約者に、これ以上指一本でも触れないでいただきたい。たとえ貴方であろうと、僕のロクサーヌを傷つける者は絶対に許さない」


 薔薇園に乱入してきたニコラス様は、私とビクトリア王妃の間に割って入るなり、恐ろしい殺気を放ってそう言い放った。


 王宮次官としての立場も、かつての最愛の人への礼儀もすべて投げ捨て、私の肩を抱き寄せ、これ以上ないほど強く、壊れ物を扱うように私をその腕の中に囲い込んだのだ。


(ああ……優しいニコラス様。本当に、お労しい方……)


 だけど、彼のその必死な拒絶のポーズすら、今の私の歪んだ視界には『哀しい義務感の現れ』にしか映らなかった。


 彼は、ビクトリア王妃を愛している。愛しているからこそ、大国の王妃となった彼女をこれ以上スキャンダルに巻き込むわけにはいかないのだ。もしここで二人が焼けぼっくいに火がついたように復縁すれば、両国の国交は破綻する。だからニコラス様は、自分の本心を必死に圧し殺し、あえて冷酷な悪者になって私《義務》を選んでみせたのだ。


 私を守るためではない。ビクトリア王妃の『名誉』を守るために、彼はあえて私を盾にしたに違いない。


「ニコラス様、もう結構ですわ。ビクトリア王妃殿下、不躾な婚約者が大変失礼いたしました。……それでは、私はこれで失礼いたします」


 私はニコラス様の腕をそっとすり抜け、最後に見事なカーテシーを捧げると、振り返ることなく薔薇園を後にした。


 背後でニコラス様が「ロクサーヌ! 待ってくれ、ロクサーヌ……!」と、血を吐くような悲痛な声をあげて私を追いかけようとしていたけれど、王太子エドワード殿下が「待てニコラス、まずは姉上を落ち着かせるのが先だ!夫である国王との関係に悩み、今なお社交界で囁かれる悲恋の噂に頭を悩ませている姉上の前で、これ以上お前が暴走して修羅場を大きくするな、頭を冷やせッ!」


 普段の冷静さをかなぐり捨てたエドワード殿下の怒鳴り声と、それを振り払おうとするニコラス様の叫び声が、遠ざかる私の背中にどこまでも追いかけてくるようだった。


 それでいい。それが正しいのだ。

 私という『盾』がいなくなれば、あの二人はきっと、静かに本当の別れと救いを見つけられる。


 王宮の門前に待たせていたダグラス伯爵家の馬車に駆け込み、扉が閉まった瞬間。

 私の身体から、張り詰めていたすべての力が抜けた。


「……っ、う、うあ……」


 抑えきれない嗚咽が、喉の奥から溢れ出す。

 がたごとと揺れ始めた馬車の座席に崩れ落ち、私は両手で顔を覆って、ただただ涙を流した。


 痛い。胸の奥が、引きちぎられそうなほどに痛い。

 これまで何度も「お飾りだから」「ビジネス婚約だから」と言い聞かせて自分を守ってきたはずなのに、心の堤防は完全に決壊していた。


「私……本当に、あの方のことが、好きだったんだわ……」


 涙で視界がぐしゃぐしゃに滲む中、私は胸元に手を当てた。


 ビクトリア王妃は、今でも孤独の中でニコラス様を必要としていた。あのサファイアの瞳からこぼれ落ちた、寂しそうな涙。そしてニコラス様も、本当は彼女を救いたいのに、私との婚約という『義務』のせいで身動きが取れなくなっている。


 あの二人の間に流れる、三年の歳月をも超える深い絆。

 そこに、後から現れた偽物の私が入る隙間なんて、最初から一ミクロンも存在しなかったのだ。


(私が、身を引けばいいの。そうすれば、誰も傷つかずに済むわ)


 ぽたぽたと、淡い水色のドレスに涙の染みが広がっていく。

 私は、自分が身を引くことで全員が救われるのだという、あまりにも悲しく、そしてあまりにも頑固な『大勘違い』を、この馬車の中で完全に完遂させてしまっていた。


 ニコラス様を愛してしまったからこそ、彼の人生に『お飾り』としての重荷を遺したくない。


 交際、一周年。

 ちょうど良い節目だ。明日、彼が我が家を訪れる前に、私は完璧な婚約破棄の書状をしたためよう。そして、二度と彼の前に姿を現さないよう、領地の田舎へ引きこもる手配をすればいい。


「ニコラス様……短い間でしたけれど、私を『お飾りの婚約者』に選んでくださって、本当にありがとうございました……」


 声にならない感謝と別れの言葉を口にしながら、私はただ、涙が枯れるまで泣き続けた。

 自分がどれほど切ない美談を脳内で完成させているかも知らずに。



 しかし――。

 ロクサーヌが悲壮な決意を固めていたその頃、王宮の薔薇園は、まったく別の意味で凍りついていた。


「ビクトリア王妃殿下、エドワード。今すぐそこをどけ。……僕のロクサーヌが、また、あの『完璧な仮面』を被って僕の前から消えようとしたんだ。今すぐ追いかけないと、彼女はまた僕を拒絶する……!」


「落ち着きなさい、ニコラス。あなたは誤解しているわ!」


 ビクトリア王妃の声をあげるが、ニコラスには響かない。


「落ち着けニコラス! お前の眼、完全に据わってるぞ! 殺気が出すぎてロクサーヌが勘違いしたんだろ!」


 エドワードに組み伏せられながらも、ニコラスの身体から立ち上る執着のオーラは、周囲の薔薇を枯らさんばかりに膨れ上がっていた。



 二週間まともに眠らず、ロクサーヌに飢え、限界を迎えていた彼の理性のタガは、先ほど彼女が見せた『すべてを諦めた微笑み』によって、ついに消滅した。


「もういい。手紙も、紳士的な口説き文句も、何の意味もなかった。……ダグラス伯爵邸へ行く。もう理性では無理だ! 彼女を僕の部屋に閉じ込めて、二度と僕から離れられないようにしてやる……!」


「ヒッ……!」


 ビクトリア王妃が思わず悲鳴をあげるほどの、本物の怪物の覚醒。


 悲しい勘違いのまま逃げようとするロクサーヌと、紳士の仮面を粉々に砕いて『力技』で彼女を捕まえにいくニコラス。

 交際一周年の夜、二人のすれ違いは、ついに強硬突破の監禁一歩手前へと突入しようとしていた。






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