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第13話 一対一の対面

 王宮の最奥に位置する、一般の貴族は立ち入ることすら許されない秘密の薔薇園。

 初夏の風が、美しく咲き誇る大輪の薔薇の香りを運んでくるその場所に、白磁のティーセットが用意されていた。


「よく来てくれたわね、ダグラス伯爵令嬢」


 パラソルの影から私を呼び止めたのは、隣国ローゼンタールの王妃であり、我が国の第一王女であるビクトリア殿下だった。


 間近で拝見する殿下は、やはり息を呑むほどに美しかった。まばゆい金髪、深いサファイアの瞳。大国の正妃としての威厳と気品が、その華奢な身体からオーラのように立ち上っている。


「お招きいただき、身に余る光栄に存じます。ビクトリア王妃殿下」


 私は一寸の狂いもない完璧なカーテシーを捧げた。

 心臓が、胸の裏側を壊しそうなほどに激しく脈打っている。


(しっかりして、ロクサーヌ。今日、私はこの方にニコラス様をお返しするの。絶対に無様な姿は見せないわ)


 私は心の中で、昨日固めたはずの『完璧なお飾りの覚悟』の盾を強く構え直した。


「固くならなくていいわ。さあ、座って」


 ビクトリア王妃殿下は優雅な仕草で対面の椅子を勧め、私をじっと見つめた。その鋭い視線が、私のドレス、私の髪、そして私の顔を、品定めするように、なぞっていく。


 その時、殿下のサファイアの瞳に、かすかな、けれど明確な『陰り』が走ったのを、私は見逃さなかった。



(まぁ……。十六歳の無垢な令嬢とは、なんて若くて、眩しいのかしら……)


 ビクトリアは内心で、目の前の少女の圧倒的な『若さ』と『愛らしさ』に、強烈な目眩を覚えていた。



 異国へ嫁ぎ、言葉の壁と王妃の重圧に擦り切れ、二十一歳という実年齢以上に心が老け込んでしまった自分。それに比べて、この少女はなんと瑞々しく、希望に満ちて、そして、ニコラスに愛されているのだろう。


 その無意識の嫉妬と、かつてこの母国で普通の少女として笑っていた自分への郷愁が、ビクトリアの唇を歪ませた。


「ニコラスとは、仲良くやっているのかしら?」


 紅茶に砂糖を落としながら、殿下がふっと、どこか試すような笑みを浮かべた。


「はい。ニコラス様は大変お優しく、私には勿体ないほどの婚約者でございます」


「そう。ふふ、彼、優しいでしょう。……あの子、昔からそうなのよ。私が学園の庭園で、異国へ嫁ぐ不安に押しつぶされそうになって泣いていた時も、いつもそっと隣にいてくれたわ。私の理想の恋人でいるために、本当に何でもしてくれたの」


 心臓に、冷たい針が突き刺さった。


 やっぱり、周囲の噂は本当だったのだ。

 ニコラス様が私にくれたあの過剰なまでの優しさは、かつてこの薔薇園で、ビクトリア王妃殿下に捧げていたものの『焼き直し』に過ぎなかった。


「彼とこの庭園を歩いた時もね、私が寂しそうな顔をすると、すぐに気づいて手を取ってくれたわ。本当に、完璧な騎士だった。……今でも、あの子のあの温かい手の感触を、昨日のことのように思い出せるの」


「……左様で、ございますか」


 殿下の言葉は、私に対するあからさまな『マウント』だった。


「あなたの知らないニコラスを、私はたくさん知っている。彼は私を、それほど特別に扱ってくれたのよ」と、誇示しているかのように聞こえた。


 お母様がこの場にいれば、「なんて嫌味な!」と王女相手に憤慨したに違いない。

 けれど、私は目の前で微笑みながら、かつての思い出を語るビクトリア殿下の顔を見て、怒りよりも先に、奇妙な『違和感』を抱いていた。


(……どうして? どうして、この方はこんなに哀しそうなの?)


 語られる言葉は、輝かしい愛の思い出のはずなのに。

 ビクトリア王妃殿下のサファイアの瞳は、まるで今にも泣き出しそうなほど、深く、暗く、澱んでいた。

 その指先は、細かく震えており、お茶会の華やかな演出とは裏腹に、彼女の纏う空気は、凍てつく冬の夜のように孤独だった。


「……彼は、私の光だったわ。あの苦しかった一年間、ニコラスだけが、私の心を繋ぎ止めてくれる唯一の救いだったの。だから……」


 ビクトリア王妃殿下の声が、かすかに震えた。

 その瞳から、一滴の涙が、はらりと頬を伝って落ちた。


「だから、どうしても、確かめたかったの。あの優しい彼が、今、誰をその腕に抱いているのかを」


 殿下は溢れた涙を、シルクのハンカチーフでそっと拭った。


 その瞬間、私は理解した。この方は、私からニコラス様を奪いにきた悪女なんかじゃない。

 大国に嫁ぎ、王妃という重すぎる十字架を背負って戦う中で、心が折れそうになり、ただ『かつて自分を救ってくれた理想の思い出』に、すがりつきたくなって戻ってきただけなのだ。

 冷遇されているわけではなくても、異国の地で一人の少女として愛される時間を失った彼女の、これは悲痛な足掻きだったのだ。


「ビクトリア王妃殿下……」


 私が声をかけようとした、その時。



 バァン……!!

 薔薇園の美しい静寂を破り、鉄製の重厚な門が、乱暴に押し開かれた。


「ロクサーヌ!!」


 息を切らし、黒髪を振り乱して。アメジストの瞳を血走らせた我が婚約者、ニコラス・トーラスが、そこに立っていた。


 王宮次官としての理性を完全に粉砕し、愛しい獲物を救い出すために、彼はすべてを投げ打ってここまで走ってきたのだ。

 最悪の勘違いを抱えたまま、紳士の仮面を捨て去った男が、ついに二人の女性の前へと乱入する―。





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