第94話『師匠の家へ』
――だが。
祭りの熱狂は、まだ終わりを告げようとはしなかった。
どぉぉぉん!!
突如として、町の中央で大太鼓が腹の底まで響く轟音を上げた。
それに呼応するように、軽やかな笛の音、鋭い鐘の音、そしてしゃん、しゃん、と軽快な鈴の音が重なり合い、祭りのボルテージが一気に最高潮へ達する。
この状況に、クルスは"嫌な予感しかしない"という形容がぴったりな、ひきつった表情で振り返った。
「……まだ何かあるんですか?」
クルスの声には、隠しきれない疲労と諦めが混じっている。
「もちろんだ」
対照的に、ソラマルは満面の笑みで親指を立てた。自信たっぷりに言い切る姿は、どこか悪戯っぽい少年のようでもある。
「もちろんって、何がですか……?」
「祭りの締めだ」
「締め……?」
クルスが呆然とする中、ソラマルは肺の中の空気をすべて入れ替えるかのように、胸いっぱいに深く息を吸い込んだ。
「みんなぁぁぁぁ!!」
その腹の底から響く一声だけで、町中の人々が一斉に広場へ吸い寄せられていく。
屋台の店主も、酒蔵の寡黙な杜氏も、腰に刀を差した侍までもが、吸い寄せられる鉄粉のように集まってきた。
子どもたちは目を輝かせ、おばあちゃんまでもが穏やかな笑みを浮かべて輪を作っていく。広場は、瞬く間に熱気に包まれていった。
状況を飲み込めず、クルスは目をぱちくりさせる。
「何が始まるんです?」
やぁ子がいたずらっぽく、にっこりと微笑み返した。
「もちろん」
「もちろんって、さっきからそればかりですね!?」
「ポコちん音頭♪」
「あるんですかぁぁぁぁぁ!?」
クルスの絶叫を合図にするかのように、どぉぉぉぉん!! と再び太鼓が天を揺らした。ナミキがジョッキを高く掲げ、豪快に笑い声を上げる。
「いくぞぉぉぉ!!」
やぁ子が軽やかなステップを踏みながら歌い始めた。
「ポコちん音頭で〜♪」
ナミキがジョッキを打ち鳴らし、豪快に続ける。
「酒がうまいぞ〜♪」
ソラマルも負けじと力強く拳を突き上げた。
「守る男は〜♪」
そして、町中のみんなが息を合わせ、大地を揺らすほどの大合唱が響き渡った。
「ポコちんポンポコポーーーン♪」
ぱんっ! ぱんっ! ぱんっ! と、小気味よい拍手が広場を支配する。
驚くべきことに、全員の踊りが完璧に揃っている。子どもも、侍も、あろうことか神主までが、まるで幼い頃から刷り込まれてきたかのように、あまりにも自然で優雅な所作で踊り続けていた。
その輪の外で、しゅわ丸が楽しそうに身体をぷるぷると揺らしている。
「しゅわゎゎ!」
嬉しさを抑えきれなくなったのか、ぴょんっと勢いよく輪の中へ飛び込んだ。
小さな身体で、見様見真似で必死にぴょん、ぴょんと跳ねる姿はあまりにも愛らしい。その光景に、子どもたちの笑顔が花開いた。
「しゅわ丸だー!」
「かわいいー!」
「一緒に踊ろー!」
しゅわ丸は嬉しそうにくるりと一回転して元気に応える。
「……なんで全員、振り付けを完璧に覚えてるんですかぁぁぁ!!」
クルスのツッコミも虚しく、祭りは止まらない。
歌声は幾重にも重なり、夜の町を熱狂の渦へと巻き込んでいく。
ゆうこは肩を震わせ、面白そうに笑みをこぼした。
「……ふふっ。本当に、この国の人たちは底なしね」
サクもまた、呆れ半分、感心半分といった様子で頷く。
「この国、本当に自由ね」
その時だった。踊りの輪のなかで、ソラマルが器用にステップを踏みながらクルスへ手を伸ばす。
「弟子!」
「はい!?」
「来い!!」
「嫌です!!」
すかさずナミキが腕を掴み、反対側からはやぁ子が手を取って引っ張る。
「一緒に踊ろー!」
三人がかりで連行され、クルスは抵抗もむなしく、気付けば輪の真ん中に立たされていた。
足元では、しゅわ丸がぴょんぴょん跳ねながら、期待に満ちた瞳でこちらを見上げている。
「くるしゅ、がんばれ!」
「しゅわ丸まで応援しないでくださいよぉぉぉ!!」
どう考えても無理だと首を振るクルスに対し、ソラマルは豪快に笑い飛ばす。
「細けぇことは気にするな!」
「またそれですか!!」
周囲からは、クルスを焚き付けるような手拍子が起こった。
「クルス!」
「クルス!」
彼の名前を呼ぶ声がリズムとなって響く。子どもたちまでが楽しげに手を振る姿に、クルスは観念したように大きく息を吐いた。
「……もう、どうにでもなれぇぇぇぇ!!」
彼は勢いよく輪の中へ飛び込むと、最初はぎこちない足取りで、手拍子もバラバラだった。
しかし、一周、二周と踊るうちに、不思議と身体がリズムに馴染んでくる。いつの間にか、彼の口元には自然と笑みが浮かんでいた。
「ポコちん音頭で〜♪」
「酒がうまいぞ〜♪」
「守る男は〜♪」
最後に、クルスは恥を捨てて大きく拳を空へ突き上げた。
「ポコちんポンポコポーーーン!!」
広場は大歓声に包まれた。
「団長ノリノリだぁぁぁ!!」
「最高ーーー!!」
賞賛の声が、アンコールの拍手にかき消されていく。
しかし我に返ったクルスは、あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にして叫ぶ。
「日本酒の国終わってるぅぅぅぅぅ!!」
その叫びさえも、祭りの太鼓と人々の笑い声に優しく飲み込まれていった。
祭りの余韻は、夜になっても町中に色濃く残っていた。
屋台からは香ばしい焼き菓子の匂いが漂い、酒蔵からは仕事終わりを祝う大人たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
提灯の温かな灯りが石畳を柔らかく照らし出し、昼間とは違う、どこか穏やかで情緒的な空気が町を優しく包んでいた。
ゆうこは大きく伸びをし、満足げに呟く。
「今日は、よく笑ったわね」
サクもその隣で、しっとりとした夜風を感じながら頷いた。
「ええ。こんなに賑やかな祭り、久しぶりだったわ」
クルスはぐったりと肩を落とす。
「俺は終始笑われた側なんですけどね……」
その隣で、しゅわ丸がトコトコと近づき、ふわふわの身体でクルスの肩に飛び乗る。「えへへ」と甘えるような鳴き声に、クルスは苦笑しながら、その小さな頭をそっと撫でた。
その時だった。ソラマルがポンっと軽い調子でクルスの肩を叩く。
「弟子」
「はい?」
「今日は帰るな」
「……へ?」
予想外の提案に、クルスはきょとんとした表情を浮かべる。やぁ子も、まるで最初からそうするつもりだったかのように、にこにこと笑っている。
「もうこんな時間だしね」
「今から宿を探すのも大変でしょ?」
ゆうこが周囲を見回すと、祭りの帰路につく人々で町はごった返していた。宿屋の前には気の遠くなるような長蛇の列ができている。
「確かに、この時間じゃ満室でしょうね」
納得した様子のゆうこに対し、ソラマルは力強く胸を叩いた。
「安心しろ。うちに来い」
突然の申し出に、クルスは目を丸くして驚いた。
「いいんですか?」
「弟子を野宿させる師匠がどこにいる」
ソラマルの真っ直ぐな言葉に、クルスは胸の奥が熱くなるのを感じた。
「師匠……」
照れくさそうに笑う弟子の姿を見て、やぁ子が優しく微笑む。
「ゆうこさんも、サクさんも、もちろん大歓迎ですよ!」
「ありがとうございます。お言葉に甘えようかしら」
ゆうこが上品に頭を下げると、サクも満足げに頷く。
ナミキは炭火を片付けながら、豪快に笑い声を響かせた。
「がっはっはっ! あいつの家の飯は絶品だぞ! 期待してろ!」
「そうよ! 今日はお祝いだから、とびきりのごちそうを作っちゃうんだから!」
やぁ子が胸を張ると、ゆうこの目がキラキラと輝く。
「やった!」
ナミキがニヤリと笑いながら釘を刺す。
「……今日はウナギじゃねぇからな」
「ちぇっ」
「ちぇ、じゃないですよ先生」
ゆうこが少し膨れるとクルスが苦笑いする。
笑い声を響かせながら、一行は祭りの広場を後にした。石畳を歩くたびに、下駄の音が心地よいリズムを刻む。
町を流れる小川には満月が映り込み、どこからか秋の夜長を告げる鈴虫の声も聞こえてくる。
しばらく歩くと、町外れの小高い丘の上に、一軒の趣のある木造家屋が見えてきた。
白壁に黒い瓦、縁側のある昔ながらの日本の住まいだ。その隣には、小さいながらも凛とした空気を纏う酒蔵が建っている。
軒先には杉玉が吊るされ、木桶や酒樽が整然と並ぶ様は、静かな誇りを感じさせた。
やぁ子は玄関の戸に手をかけ、くるりと振り返って夕闇の中で笑った。
「さあ、着きましたよ!」




