第93話『デカちん奉納』
「…………へ?」
あまりに唐突な言葉に、俺は間抜けな声を漏らした。一瞬、思考回路がショートし、時が止まったかのような錯覚に陥る。
「えっ!? まだたったの一日ですよ!? 修行はこれからじゃないんですか!?」
俺は反射的に叫んでいた。しかし、師匠であるソラマルは、落ち着いた態度で即答する。
「十分だ」
「十分じゃありませんよ!! あと山ほど課題が残ってるのに!!」
クルスはたまらずその場から弾き飛ばされるように立ち上がった。
「俺、まだデカちんの技も習得してないですし! ポコちん様のお面だって、まだ被ると視界が歪んで慣れないんです! おにぎりダンスだって、最後の最後で足がもつれましたし!」
捲し立てるクルスを見て、ソラマルは肩を揺らして豪快に笑った。その笑顔は、かつてクルスがこの国に来た頃の視線とはまるで違っている。
「そこじゃねぇよ、クルス」
「え……?」
「お前が最初に来た時の顔、覚えてるか?」
ソラマルは真っすぐにクルスの目を見つめ、静かな口調で言った。
「恥ずかしいから嫌だ、笑われるのが怖ぇ。そんなことばかり口にして、卑屈にうつむいてばかりだった」
図星を突かれ、クルスはグッと言葉を詰まらせた。
「でも今は違う」
ソラマルは親指で俺を力強く指し示す。
「今の俺の弟子は、笑われても立ってる。転んでも泥だらけで立ってる。顔を真っ赤にして恥をかいても、絶対に逃げねぇ。……それで十分だ」
その言葉の重みに、クルスはただ立ち尽くした。ソラマルは遠くの空を見上げ、満足げに笑みを深める。
「技なんざ、あとからいくらでも覚えりゃいい。だがな、一番大事な『笑われる覚悟』だけは、人から教わって身につくもんじゃねぇ。自分で自分の殻を打ち破り、越えていくしかねぇんだよ」
その言葉は、まるで熱い灯火となって胸の奥に落ちた。クルスは自然と視線を落とし、荒れた自分の両手を見つめた。
異世界へ来てから、ポコちんフラッシュだの、人間ヘリコプターだの、散々笑われてきた。恥ずかしくて、情けなくて、何度も泣きたくなった。
だが――。
不思議と、今は笑われることを以前ほど怖がっていなかった。
「……師匠」
「おう、なんだ」
クルスは深く、地面に額がつくほどに頭を下げた。
「ありがとうございました」
ソラマルは照れくさそうにボサボサの頭をかき、視線を逸らす。
「……そういう湿っぽいのは照れるからやめろ」
その様子を傍で見ていたやぁ子が、くすっと可愛らしく笑った。
「ねぇお兄ちゃん、卒業祝い、何かあげたら?」
「そうだな。門出にふさわしいもんをやるか」
ソラマルは腰に差していた木刀を抜き放つ。
それは酒樽の木材から削り出された、独特の飴色に光る年季の入った一本だった。
「こいつを持ってけ」
クルスは目を丸くしてそれを受け取った。
「えっ!? こんな大事そうな物を!?」
「ただの木刀だ」
「でも……」
ソラマルは優しく笑った。
「武器じゃねぇ。初心を忘れないためのお守りだ」
クルスは両手でそれを丁寧に受け取る。ずっしりとした木の温もりと重みが、手のひらを通して心に伝わってきた。
「ありがとうございます……大切にします……!」
ソラマルは最後に人差し指を立てて、真っすぐに見据えた。
「忘れんなよ」
「はい!」
「困ったら一人で抱え込むな」
クルスの表情が、驚きでわずかに揺れる。
「……師匠?」
「仲間を頼れ。それが、お前が強くなるための最後の教えだ」
その一言だけは、今まで受けたどんな厳しい修行よりも深く、胸の奥底へ沈み込んだ。クルスは木刀を胸の前でぎゅっと握り締める。
「はい。今度は……一人じゃなく、みんなで守ります」
ソラマルは満足そうに、大きく頷いてみせた。
「よし。じゃあ、まずは仕上げの卒業試験だ」
唐突なソラマルの宣言に、クルスは首を傾げる。
「……卒業試験、ですか?」
「おう。祭りだ」
「祭り?」
クルスが戸惑っていると、やぁ子が楽しそうに笑顔で頷いた。
「そう! 今日はこの国最大の酒蔵祭りなの!」
ナミキも炭火の前から豪快に手を振る。
「町中が総出でお祝いだぞー!」
ソラマルは俺に親指を突き立てて宣言する。
「お前、応援団長な」
「…………はい? 応援団長ですか?」
「デカちん応援団長だ」
「役職名が嫌すぎます!」
クルスの抗議を無視して、ソラマルはどこまでも真剣な眼差しを向ける。
「今日の祭りの最大の見せ場。それは……《デカちん》奉納だ」
「それを奉納するんですか!?」
やぁ子が楽しそうに拍手をする。
「毎年、これを見に来る人で町は大盛り上がりなの!」
「何がそんなに人気なんですか!! 恥ずかしくて死にそうです!!」
クルスの悲鳴をよそに、気付けば町人たちがワラワラと集まってきた。
「今年も始まるぞ!」
「最前列は早い者勝ちだー!」
「おい! 団長はどこだ! 団長を連れてこい!」
野次馬たちの視線が、一斉に俺へ突き刺さる。
「えっ、俺!? ちょっと、みんな待って!」
ソラマルがどこからか巨大な旗を引っこ抜いて渡した。旗には極太の筆文字で『デカちん応援団長』と書かれている。
「これ、作るの早すぎませんか!?」
「毎年使ってるからな」
「毎年あるんですか、この奇祭!!」
どんっ、どんっ、と祭り太鼓が空気を震わせ、高らかな笛の音が響き渡る。ソラマルは舞台の中央へ歩み出ると、大きく息を吸い込んだ。
「いくぞぉぉぉぉ!!」
気合とともに、ソラマルから強烈な酒気が一気に噴き上がる。
「《デカちん》!! 奉納!!」
ぼわぁぁぁぁぁぁっ!!
黄金色の酒気が稲妻のように空へ突き抜ける。その瞬間、町全体が狂乱の熱気に包まれた。
「伸びろぉぉぉーーー!!!」
「もっといけぇぇぇーーー!!!」
「あと五メートルぉぉぉーーー!!!」
「自己ベスト更新だぁぁぁぁ!!」
誰が用意したのか、実況席まで完備されている。
「さあ始まりました! 第十八回・酒蔵祭り名物《デカちん奉納》!! 今年の伸びは例年以上との前評判、現在三メートルを余裕で突破ぁぁぁ!!」
解説席では老人が腕を組んで分析を始めている。
「今年は酒の出来がいい。これは七メートルまでいくな……ふむ」
「分析しないでください! 見守ってくださいよ!」
クルスが叫ぶも、実況はさらに過熱する。
「おっと! ここで応援団長の声援が足りない! 団長! 魂を込めた声を!」
町人全員が、俺の方を向いて腕を突き上げる。
「団長ぉぉぉ!! 俺たちを熱くさせてくれぇぇぇ!!」
クルスは顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「なんで俺がこの役なんですかぁぁぁ!!」
ソラマルが背後から吠える。
「団長ォォォ!! 恥を捨てろォォォ!! 殻を破れェェェ!!」
やぁ子も両手を振って煽ってくる。
「クルスくーん! 最高の声で応援してー!」
ナミキまでもがジョッキを掲げて大合唱の合図を送る。
「腹から声出せぇぇぇ!!」
周囲の町人たちの大合唱がうねりとなって俺に襲いかかる。
「団長! 団長! 団長!」
圧倒的な熱気に、俺は天を仰いだ。
「……もうどうにでもなれぇぇぇ!!」
俺は腹の底から、今まで溜め込んできた羞恥心を全部吐き出すように、旗を空へ向かって力一杯振り上げた。
「ソラマル師匠ォォォォ!!」
「長ぁぁぁぁぁぁぁぁく!!」
「太ぁぁぁぁぁぁぁぁく!!」
「美しくゥゥゥゥゥゥ!!」
「酒神様もビックリするくらぁぁぁぁい!!」
「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
その瞬間、歓声が爆発した。
「うおおおおおおおおっ……!!」
「団長最高ぉぉぉ!!」
「今年一番の魂のこもったエールだぁぁぁ!!」
実況が絶叫する。
「出ましたぁぁぁぁ!! 団長の魂のエールで記録更新ーーーッ!! 八メートル突破ぁぁぁぁぁ!!!」
「新記録だぁぁぁぁぁ!!!」
空からは無数の紙吹雪が降り注ぎ、太鼓と鐘の音が祭りのフィナーレを告げる。クルスは旗を持ったまま膝から崩れ落ち、遠い目で呟いた。
「……俺、人生で何を応援してるんでしょうか……」
その姿を見て、ゆうことサクは顔を見合わせる。そして堪えきれなくなったように、同時に吹き出した。
「「あはははははっ!! 最高だよ、団長!!」」
日本酒の香りが漂う国に、今日も祭りのような楽しげな笑い声が、どこまでも高く響き渡った。




