第92話『ポコちん様ばんざい!!』
ソラマルは、まるで老練な剣士が弟子を見守るような眼差しで、満足そうに何度も何度も力強く頷いていた。
「よし。第一メニュー合格!」
その言葉を聞いた瞬間、クルスは崩れ落ちそうな体を支えながら、期待を込めて涙目で顔を上げた。
「えっ、まさか、これで終わりですか?」
「……バカ野郎。もちろん終わらねぇよ」
「ですよねぇぇぇ!! そう来ると思いましたよ!!」
ソラマルはニヤリと口角を上げ、勢いよく炭火の置かれた調理場を指差した。
「第二メニュー! おにぎりダンスだ!!」
「なんですかそのふざけた修行は!?」
ナミキが「待ってました」と言わんばかりに躍りかかり、炭火の前へと勇ましく立つ。
「ようし! 焼くぞぉぉぉ!!」
炭火の上で味噌の焼ける芳醇な香りが漂い始め、香ばしい匂いが屋台全体を包み込む。
じゅううううっと小気味良い音を立てて味噌が焦げる音を聞きつけ、しゅわ丸がぴょこぴょこと小気味良いリズムで網の前まで跳ねてきた。
「しゅわ~♪」
興味津々な様子で、熱々の網の上を見つめ、ぷるぷると愛らしく体を震わせている。ゆうこが慌ててその柔らかい体を抱き上げた。
「しゅわ丸、近い近い。そんなに近づいたら焼けちゃうわよ」
「しゅわっ」
しゅわ丸は少し残念そうに、ぷくっと頬を膨らませて抗議する。ソラマルがパンと大きく手を叩いた。
「音楽開始!」
「はいっ♪」
やぁ子が元気よく前へ躍り出る。くるりと優雅に一回転し、両手をおにぎりの形にして高らかに歌い始めた。
「おにぎりころころ〜♪」
ナミキもリズムに乗り、手慣れた手つきでおにぎりを返す。
「ころころころころ〜♪」
やぁ子が腰をフリフリと振り、ノリノリで歌を繋ぐ。
「焦がしたらもう一個〜♪」
「焼きゃあ何とかなるだろ〜♪」
「……なんだその適当な歌詞はぁぁぁぁぁ!?」
クルスが絶叫するが、ソラマルは真顔で一喝した。
「踊れ」
「嫌です!!」
「踊れ」
「焼くだけじゃダメなんですか!?」
「美味い焼きおにぎりには……魂がいる」
ソラマルは一拍置いて、重々しく言い放った。
「絶対いりません!!」
叫ぶクルスを尻目に、ナミキが大きく頷く。
「その通りだ! 魂を込めろ!」
「同意しないでください!」
やぁ子がクルスの手を強引に掴む。
「はいっ♪」
「えっ?」
ぐいっと力強く、クルスは輪の中へ引きずり込まれた。ゆうこの腕の中から、リズムに釣られたしゅわ丸も楽しそうに体を揺らし始める。
「しゅわ♪ しゅわ♪」
「おにぎりころころ〜♪」
「ころころ〜♪」
「歌って!」
「嫌です!」
「歌って♪」
「嫌です!」
ナミキが豪快に笑い声を上げる。
「焦げるぞー!」
「えっ!?」
慌てて網を見たクルスは、おにぎりの端が少し色付いているのを発見して悲鳴を上げた。慌てて裏返そうとした瞬間、ソラマルが容赦なく叫ぶ。
「返したら回れ!」
「なんでですか!?」
「修行だからだ!」
「万能すぎる理由ですよ!!」
クルスは半泣きになりながら、その場で一回転。それを見たしゅわ丸も嬉しそうに、くるんっと一回転した。
「しゅわっ♪」
子どもたちが「しゅわ丸も踊ってるー!」と歓声を上げ、その愛らしさに周囲から笑い声が広がる。客たちが手拍子を始め、屋台は祭りのような熱気に包まれる。
「味噌ぬりころころ〜♪」
「食べれば全部ゼロカロリー♪」
「最後、嘘ですよねぇぇぇぇぇ!!」
「……くだらないけど嫌いじゃないわ」
ゆうこは笑いを堪えながらと呟き、サクも吹き出した。
クルスは歌って、踊って、おにぎりを返している自分に気付き、恥ずかしさが不思議と薄れていることに驚く。馬鹿にされているんじゃない、みんな笑っているのだ。
ソラマルは小さく口元を緩め、満足そうに頷いた。
「その調子だ、弟子」
ソラマルは腕を組み、真剣な眼差しをクルスに向ける。
「恥ってのはな、一人で抱えるから重てぇんだ」
クルスは困惑して首を傾げる。
「……はい?」
「だから、恥は塗り重ねろ。塗り重ねると、恥じゃなくなる」
「意味分かりません!!」
親指を立てるソラマルにクルスは叫ぶしかなかった。
ソラマルは腰の袋から、さらなる追い打ちを取り出す。
「よし」
ソラマルが短くそう告げた。不穏な空気に、私の背筋に冷たいものが走る。
「第三メニューだ」
「嫌な予感しかしません……」
不安を他所に、ぽんっ、と軽快な音を立てて、クルスの手にそれが渡される。受け取った瞬間、硬直した。
それは、お面だった。
妙にリアルで、妙に自信満々な満面の笑みを浮かべた――ポコちんの顔面そのものだった。
「なんですかこのお面ぇぇぇぇぇ!?」
クルスが絶叫すると、やぁ子が楽しげに拍手をする。
「かわいいー!」
「かわいくありません!!」
続いてナミキまでもが、どこか感心したような顔で頷いた。
「出来がいいな」
「褒めるところそこですか!?」
唯一、ソラマルだけが真顔を崩さずに言い放つ。
「付けろ」
「嫌です」
「付けろ」
「嫌です」
「修行だ」
「その一言で全部押し切らないでください!」
端で見ているゆうこが、呆れ混じりに額を押さえた。
「……この国、本当に大丈夫なのかしら」
隣でサクが、肩を震わせてこらえきれないといった様子で笑っている。
「ふふっ……」
ソラマルは逃げ場のない距離まで一歩詰め寄ると、獲物を狙う狩人のような瞳で私を見下ろした。
「弟子」
「はい……」
「これを付けて町を一周してこい」
「絶対嫌です!!」
クルスは必死に抵抗するが、彼は涼しい顔だ。
「安心しろ」
「何がですか!?」
「五分で慣れる」
「慣れたくないです!!」
もはや不毛な押し問答だ。だが、その瞬間だった。背後に忍び寄っていたやぁ子が、ひょいっと器用に手を伸ばす。
「はい、装着♪」
ぱこんっ。無慈悲な音と共に、お面がクルスの顔へ吸い付くようにハマった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
視界が極端に狭まり、鼻腔をくすぐる塗料の臭いに息が詰まる。それ以上に、心の底から込み上げてくる熱い羞恥心が全身を焦がしていた。
「取ってくださいぃぃぃ!!」
抗議を無視して、ソラマルは親指を立てた。
「出発!」
「嫌です!」
「出発!」
「嫌です!」
無情にも背中を強く押される。クルスはよろめきながら、騒がしい通りへと突き飛ばされた。
その瞬間、遊んでいた子ども達が一斉に私へ視線を向ける。
「……あ」
一人が私を指差し、次の瞬間、まるで祭りの合図のように周囲が沸き立った。
「あーーーーーっ!! ポコちん様だーーー!!」
「ポコちん様ぁーーー!! 握手してーーー!!」
「一緒に写真ーーー!!」
「サインくださーーーい!!」
「なんで人気なんですかぁぁぁぁぁ!!」
あっという間に子ども達の渦に飲み込まれた。右から手を引かれ、左から抱きつかれ、視界の悪いお面のせいで足元すら危うい。これでは肩車を強要されるのも時間の問題だ。
「ちょっ……! 押さないで!」
「俺、ポコちん様じゃありませんからぁぁぁぁぁ!!」
クルスの悲鳴を聞いて、通りがかりの大人達まで笑い声を上げ始めた。
「今年も来たか!」
「子ども達に大人気だな、縁起物だ!」
「縁起物扱いしないでください!!」
酒蔵の前で、ソラマルは腕を組みながら満足げに頷いている。ナミキは腹を抱えて大笑いしていた。
「がっはっはっ! 人気者じゃねぇか!」
ゆうこは苦笑しながら、ポツリと呟く。
「……本人だけが、全然嬉しくなさそうだけど」
サクはもう笑いを堪えるのを諦めたのか、声を上げて笑い出した。
「あはは! でも子ども達、本当に楽しそう!」
その言葉にハッとして、私は子ども達の表情を見た。みんな、心からの純粋な笑顔を浮かべている。馬鹿にしているわけじゃない。ただただ、この瞬間を楽しんでいるだけなんだ。
そう気づくと、張り詰めていた肩の力がふっと抜けた。
「……もう」
クルスは観念したように溜息を吐き出す。
「どうにでもなってくださいぃぃぃぃ!!」
その瞬間、子ども達が一斉に歓声を上げた。
「ポコちん様ばんざーーーい!!」
「ばんざーーーい!!」
日本酒の国に、今日も賑やかな笑い声が響き渡る。私は肩で息をしながら、ようやくお面越しに空を見上げた。
ソラマルが満足そうにこちらへ歩いてくる。
「……よし」
「な、なんですか……?」
彼はにやりと不敵に笑うと、残酷なほど優しい言葉を口にした。
「今日で弟子卒業だ」




