第91話『ポコちんでーーーす!!』
「えぇっ!?」
やぁ子が素っ頓狂な声を上げた。
酒蔵の薄暗い空間に、彼女の甲高い声がこだまする。
「俺に。みんなを守れる力を教えてください。先生や。サクさんを。今度こそ。俺も、守れるようになりたいんです」
クルスが絞り出したその言葉は、熟成された日本酒の香りが漂う酒蔵の静寂の中へ、真っ直ぐに突き刺さった。嘘偽りのない、切実な響きだった。
足元では、相棒のしゅわ丸が主の決意に呼応するように、ぴょんぴょんとその場で跳ね上がる。
「しゅわーーっ!!」
まるで「お願いします!」と礼を強要するかのように、ぺこりと器用に体を二つ折りにする。
その愛らしい姿に、さっきまで張り詰めていた空気が、ふうっと少しだけ和らいだ。
ソラマルは無言だった。隻眼の鋭い瞳で、クルスの揺らぐような瞳の奥をじっと見つめている。酒蔵を支配する重厚な沈黙。
その長い沈黙の末、ソラマルは、くつくつと喉を鳴らし、やがて腹を抱えてにやりと笑った。
「……面白ぇ。いいぜ」
「え?」
「ただしだ。修行は地獄だぞ?」
ソラマルが不敵に親指を立てる。
だが、クルスに迷いはなかった。これまでの怯えた少年のような表情は消え、その目には鋼のような強い決意が宿っていた。
「望むところです」
しゅわ丸が嬉しそうに、クルスの肩へと飛び乗る。
「しゅわっ♪」
まるで「これから一緒に頑張ろう」と励ますように、小さく体を弾ませる。
その光景を見たゆうこが、口元に上品な笑みを浮かべた。
「ようやく、自分から誰かに教えを請う気になったのね」
サクもまた、慈しむような眼差しで頷く。
「いい師匠が見つかったじゃない」
クルスは照れ臭そうに鼻を掻きながら笑った。
「はい」
だが、彼の心の中では、誰にも聞かれないように静かな誓いが刻まれていた。
(今度こそ。ただ笑わせるだけじゃなく……本当の意味で、俺が守れる男になります)
ソラマルは腕を組み、真剣な面持ちで力強く頷いた。
「よし。今日からお前の修行を始める」
「よろしくお願いします!」
クルスが地面に頭がつくほど勢いよく頭を下げる。
「まず最初の課題だ。強くなるために一番邪魔なものは何だと思う?」
「筋力ですか?」
「違う」
「技術……ですか?」
「違う」
「酒気……でしょうか?」
「違うな」
畳み掛ける質問をすべて一蹴し、ソラマルは真顔で言い放った。
「正解は『恥』だ」
沈黙が酒蔵を包む。
「……はい?」
クルスが石像のように固まった。ソラマルは大きく頷く。
「守るってのはな、時に周りの目なんて気にしてられねぇ。格好悪くても、泥だらけでも、笑われても……仲間を助けるためなら、どぶ板にだって飛び込める。だからまず、その腐った『恥』を捨てろ」
「なるほど……!」
クルスは深く納得して頷く。ゆうことサクも「意外とまともなことを言うのね」と感心した様子で顔を見合わせた。
その時だった。ソラマルの表情が、ニタニタと邪悪な満面の笑みへと変貌した。
「というわけで、第一段階! 服を脱げ!」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
酒蔵中に、クルスの絶叫が響き渡った。
「なんでですか!? 修行の内容と脱衣になんの因果関係があるんですか!?」
「恥を捨てるためだと言ったろ!」
「理屈がおかしいですよ!」
「俺も最初はそうだった!」
「経験者なんですか!?」
「やぁ子もそうだった!」
横から、やぁ子が元気よく「はーい!」と手を挙げる。
「最初は恥ずかしかったです!」
「何を経験してるんですかこの国は!?」
ソラマルは聞く耳を持たず、腕を組んでどっしりと構える。
「人はな、一度完全に『羞恥心』という殻を脱ぎ捨てると、そこから真に強くなるものだ」
「いや、普通は捨てませんよ、そんなもの!」
「安心しろ。誰もお前なんか見てない」
「その励まし方は逆に傷つきます!」
ゆうこが呆れたようにため息をつき、サクが肩を震わせて爆笑する。
「あはは! クルスなら案外、この理不尽も乗り越えそうね」
「乗り越えませんよ! 帰りますよ!」
しかし、ソラマルは動じない。彼は一歩詰め寄り、クルスの肩を掴んで真剣な眼差しを向けた。
「クルス。お前は戦う時も、常に『笑われること』を気にしてる。派手に失敗したらどうしよう、変な技だと思われたらどうしよう、そんな迷いがある限り、本気では踏み込めねぇ」
その声は、これまでになく静かで、重みがあった。
「仲間を守る奴は、格好良く守る必要なんてねぇ。守れれば、それでいい。だから最初の修行は、恥を笑い飛ばせる男になることだ」
そして、ソラマルは両手をパン! と叩く。
「よし! メニュー変更だ! 第一メニュー!」
一拍置いて、彼は最高に楽しそうな笑顔で叫んだ。
「『ポコちんコール耐久』だ!!」
「嫌な予感しかしないというか、確信しました!」
クルスが即座に後ずさるが、ソラマルは町の大通りを指差した。
「この道を端から端まで歩け。そして五歩ごとに、大声で名乗れ」
「……何てですか?」
ソラマルは親指を立て、眩しいほどの笑顔で言い放つ。
「『ポコちんでーーーす!!』だ」
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
日本酒の国の青空に、再び悲鳴が響く。
ゆうこが呆れ果てて腕を組む。
「最低の修行ね。見ていられないわ」
サクは口元を袖で隠し、肩を震わせている。
「ふふっ……クルスの顔が、真っ青よ」
ソラマルはいたって真剣だった。
「クルス、恥を捨てろ」
「もっと他に捨てるものありませんか!?」
「ない」
即答だった。
「さあ行け。弟子」
「嫌です!」
「行け」
「嫌です!」
「行け!」
ソラマルがニヤリと笑う。
「じゃあ、やぁ子」
「はーい!」
やぁ子が胸いっぱいに空気を吸い込み、通りに向かって叫ぶ。
「ポコちんでーーーす!!」
その声は、街中に朗々と響き渡った。
すると、近くで買い物をしていたおばあさんが振り返り、「ポコちんさーん!」と手を振る。
八百屋の店主も、魚屋も、挙句の果てにはパトロール中の侍までが、「ポコちんさーん!!」と笑顔で応えた。
クルスは目を見開き、信じられないものを見る目で立ち尽くす。
「なんで! なんで全員返事するんですかぁぁぁぁぁ!?」
「日本酒の国じゃ、挨拶は返すもんだ」
「挨拶じゃないですよ! ただの恥ずかしめですよ!」
「ほら」
ソラマルが強引にクルスの背中を押す。
「お前の番だ」
「無理です!」
「やれ」
「無理です!」
「やれ」
「…………くっ」
クルスは観念したように肩を落とす。顔はもう、熟れたトマトのように真っ赤だ。
「……ポコちんです」
ソラマルが耳に手を当てる。
「聞こえん!」
「ポコちんです……!」
「聞こえん!」
「ポコちんでーーーす!!」
その瞬間。町中の住人が一斉に声が返ってきた。
「「「ポコちんさーーーん!!」」」
「歓迎するぞーー!!」
「今日も元気かーー!!」
「腹減ってないかーー!!」
「この国、どうなってるんですかぁぁぁぁぁぁ!!」
クルスの悲鳴が、日本酒の国の明るい青空へ高く、高く響き渡った。
それは、クルスという少年が「羞恥」という鎧を脱ぎ捨て、真の強さへの第一歩を踏み出した、忘れられない一日となった。




