第9話「ポコちん、発動寸前」
昼間の喧騒がまだ残る酒場通りを抜けながら、三人は西の林道へ向かう。
クルスは依頼票を大事そうに握りしめていた。その姿は初めて任された仕事に向かう新入社員にも見えるし、初デートの約束を噛み締める青年にも見えた。ただし目的地は森で、目的はドレッドボアで、最終目標は夕飯である。色々と台無しだった。
「……で」
ゆうこは歩きながら、じとっとサクを見る。
「初心者向けって言ってたけど、ドレッドボアって実際どのくらい危険なの?」
「普通に突っ込まれたら死ぬわね」
「普通に死ぬじゃない!!」
クルスがぴたりと足を止めかけた。
「えっ」
サクは悪びれもなく続けた。
「でも安心して。真正面から受けなきゃいいのよ」
「その説明、車に対して“轢かれなきゃ大丈夫”って言ってるのと同じなのよ!」
「だいたい合ってるわ」
「合っててほしくなかった!!」
クルスは青ざめつつも、小さく深呼吸した。
「……大丈夫です。根拠はあります。俺は今、肉に向かっています」
「思想が原始人なのよ」
サクが吹き出す。
「いいじゃない、そのくらい単純な方が生き残れる時もあるわよ」
酒場通りを抜けると、騒がしい町は少しずつ遠ざかっていった。石畳はやがて土の道に変わり、建物の数も減っていく。西門を出た先には、ゆるやかな丘と林道が伸びていた。
酒と脂の匂いにまみれていた町中とは違い、草と土と木の匂いが濃い。クルスが小さく息を吐いた。
「……なんか、まともな空気ですね」
「それ、どれだけ劣悪な場所に住んでたら出る感想なのよ」
「少なくとも、接待会場よりはかなり」
「比較対象が終わってるのよ」
サクは林道の脇にしゃがみ込み、地面を指差した。
「ほら、見て」
ゆうことクルスも覗き込むと、そこには湿った土の上に、大きな蹄の跡が残っていた。人の足よりひと回りは大きく、かなり深い。
「これがドレッドボアの足跡。成体だと、軽く人間一人分以上はあるわよ」
「……思ったより、だいぶデカいわね」
「今から追う獲物の情報を後出しするな!」
クルスが半歩下がるが、サクは足跡の向きを確かめるように視線を走らせた。
「でも、これは一頭分。しかも新しいわ。たぶん一時間以内ね」
「近っ」
クルスの声が裏返る。サクは立ち上がると、すっと森の方へ目を向けた。夕陽に照らされた木々の間は、思った以上に薄暗い。
「気をつけて進むわよ。ドレッドボアは鼻がいいから、風下に回るのが基本。私、伊達にこの町で生きてないわよ」
そう言いながらも、サクは妙に楽しそうだった。普段は軽薄に見えるが、こういう時の彼女は妙に慣れている。この世界でずっと生きてきた人間の顔だ。
「……で、作戦は?」
ゆうこが訊くと、サクは丘の先を指差しながら振り返らずに答えた。
「シンプルよ。ドレッドボアってね、基本的に“見つけたら突っ込む”生き物なの。つまり、真正面から相手する必要はないってこと」
サクはそこでくるりと振り返り、にやっと笑った。
「まず、クルスがおとりになる」
「待ってください。今、自然な流れで命の軽い役を割り当てられませんでした?」
クルスが即座に挙手するが、サクは気にせず続ける。
「大丈夫大丈夫。あなたはただ、走って避けるだけ」
「その“だけ”が一番危ないんですよ!!」
サクは指を立てて解説を重ねる。
「ドレッドボアが突進してきたら、クルスはギリギリで横に避ける。そうすると、あいつは勢いが強すぎて、そのまま木にぶつかるのよ」
「前提が“相手がバカであること”に依存してない!?」
「してるわよ?だってバカだもの。で、一回目の突進で木にぶつかってる間に――」
ぱきん、と乾いた音がした。サクの手の中に透明なガラスの塊が現れ、みるみるうちに先の尖ったスコップのような形へと変わる。
「……え、そんなのまで作れるの?」
ゆうこが目を見開く。サクは得意げにガラスのスコップをひらひら振った。
「簡易版だけどね。これを使って、ゆうこが穴を掘る。あなたが一番、作業スピード早そうだから」
「評価が完全に現場監督なのよ!!」
「でも事実でしょ?」
「否定しづらいのが腹立つわね……!」
サクはそのまま地面をつんつんとつついた。
「一回目の隙で、進路上にざっくり落とし穴を作る。ドレッドボアの前脚がズボッていくくらい。足を取られて体勢を崩せば、それで十分」
ゆうこは腕を組み、作戦を頭の中でなぞった。クルスがおとり。突進を誘導。一回目を木にぶつける。その隙に穴を掘る。二回目の突進で、そこに落とす。
「……理屈はわかる。でも全部、“クルスが無事に避けられたら”の話よね?」
サクとゆうこの視線が同時にクルスへ向いた。
クルスは数秒固まり、それからぎこちなく笑った。
「……が、頑張ります」
「その“頑張ります”が一番不安なのよ!!」
ゆうこが頭を抱える一方で、サクはにっこりと笑った。
「大丈夫よ。今のあなた、肉に対する執着が尋常じゃないもの。スキル“危機的空腹感知”があれば、逃げるべきタイミングだけは本能で完璧に掴めるはずよ」
「その理論、めちゃくちゃなのに妙に説得力あるのが嫌だな……!」
「で、穴に落ちたあとどうするの?」
「そこは臨機応変。ひっくり返ってもがいてる間に、弱らせるなり、仕留めるなり、最悪逃げるなり」
「最後だけ現実的なのよね……」
クルスがごくりと喉を鳴らした。
「ちなみに……もし二回目も避け損ねたら?」
サクは少し考えてから、にこっと笑った。「その時は、ゆうこが治す」
「前提がおかしいのよ!!私は保険じゃないの!」
「いや、でも一番信頼できる保険です」
クルスが真顔で言う。
「そういう時だけ素直なの腹立つわね……」
ゆうこは毒づきながらも、止血布やガラス針を確認していた。
サクもまた、ガラスのスコップをもう一本生成して肩に担いだ。
「よし。じゃあ流れをもう一回確認するわよ。
一、クルスが突進を誘う。
二、ギリギリで避ける。
三、ドレッドボアが木に激突。
四、その隙にゆうこが爆速で穴を掘る。
五、もう一回突っ込ませて穴に落とす。
六、美味しくいただく」
「最後だけやたら現実的すぎるだろ!!」
その時だった。
前方の茂みの奥から、ぶしゅうううう……と、荒く湿った鼻息のような音が響いた。
空気が、ぴたりと張り詰める。
サクの笑みがすっと消え、ゆうこも思わず息を呑んだ。
クルスだけが、青ざめた顔で小さく呟いた。
「……いた」
次の瞬間、どごん、と地面が低く震えた。
ぬっと現れた巨体を見て、ゆうこは思わず顔をしかめる。
「……でっか」
そこにいたのは、イノシシだった。
ただし“イノシシ”と呼ぶには、あまりにも威圧感がありすぎた。
肩までの高さは、クルスの腰ほど。全身を覆う黒茶色の剛毛は逆立ち、額からは鈍く光る二本の牙が突き出ている。
普通の獣よりひと回り、いや二回りは大きい上に、なにより目つきが非常に悪かった。
「……あれ、初心者向け?」
ゆうこが小声で不安を口にすると、サクは冷淡に突き放す。
「初心者が“現実”を知るにはちょうどいい相手ね」
「最低の教育方針だな!!」
たまらずクルスが叫ぶと、その声にドレッドボアの耳がぴくりと反応した。
「……終わった」
ゆうこが絶望した瞬間、獣の小さな目がぎろりとこちらを向く。
まずい――そう思った刹那だった。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…………。
静寂の森に、ありえないほど大きなクルスの腹の音が響き渡った。
あまりのタイミングに、サクは肩を震わせ、ゆうこは思わず顔を覆う。
ドレッドボアが完全に獲物を認識した。
「……終わったわね」
「俺の胃袋が索敵してます……!」
「そんな能力いらないのよ!!」
ドレッドボアが地面を蹄で掻くと、ずずっ、と土が削れた。
低い唸り声とともに白い鼻息が漏れる。それは完全な戦闘態勢だった。
「来るわよ」
サクの鋭い警告と同時に、ドレッドボアが砲弾のような勢いで突進を開始した。
「うわあああああああっ!!」
クルスは悲鳴を上げながらも、逃げるより先に身体が反応していた。
反射的に一歩前へ踏み出すその姿に、サクの目が一瞬だけ驚愕に見開かれる。
「クルス!」
跳ねる土、光る牙。ドレッドボアの巨体が真正面から迫る。
その瞬間――クルスの中で、何かが切り替わった。
恐怖と空腹、そして生存本能が一点に収束していく。
心臓が跳ね、血が燃え、全身の細胞がばちばちと目を覚ました。
そして彼の頭の中で、あの最悪のスキル名がよぎった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
ついに――初戦闘、開幕です。
全部が一点に集まったとき、あのスキルがどう動くのか。
そしてゆうこは本当に間に合うのか。
サクの作戦は成立するのか。
そもそも初心者向けとは何なのか。
「腹の音で死ぬな」
「スキル名だけがノイズすぎる」
「でもちょっと熱い展開かもしれない」
と思っていただけたら、
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あなたの一押しが、クルスの生存率をほんの少しだけ上げます。
感想も大歓迎です。
なお、今回の敗因はほぼ空腹です。




