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第85話『クルス号特急便』

 「待ってください!」


 その必死な呼び声に、足を止めかけた三人が振り返る。駆け寄ってきたのはちくわだった。


 つい先ほどまで感動のあまり王城のバルコニーで号泣していたはずだが、彼女の顔にはもう、次なる悪だくみに向けた好奇心と高揚感が全開で渦巻いている。


 「今度は何?」

 ゆうこが呆れ顔で問いかける。


 ちくわは深呼吸を一つすると、これ以上ないほど誇らしげに胸を張った。


 「移動方法です!」

 「移動方法?」


 「はい!」

 なぜか彼女は得意げだ。


 その笑顔を見た瞬間、四人の背筋に嫌な予感が氷柱のように突き刺さる。クルスは無意識のうちに一歩、また一歩と後ずさりし、気配を消そうとした。


 「……嫌な予感しかしないし、聞きたくないんですが」


 「そんなこと言わずに聞いてください! 渾身のプランなんです!」


 押し切られる形で、彼らはその「プラン」を聞かされることになった。ちくわが懐から一枚の紙を広げると、そこには乱雑な文字でこう書かれていた。


 【日本酒の国行き交通プラン】


 「……いつ作ったのよ、それ」

 「昨日です! 皆さんが寝静まった後、夜なべして考えました!」


 驚くべき行動力だ。というか、そんなことに労力を使わないでほしい。ちくわは指を三本立て、満足げに告げた。


 「移動方法は三つあります! 松・竹・梅です!」


 「……どこの料理屋よ」

 ゆうこが即座に鋭いツッコミを入れる。


 しかし、ちくわは止まらない。にやり、と不敵な笑みを浮かべた。その表情を見て、再び全員の心に警報が鳴り響く。


 「皆さん」

 「……何?」

 「何かしら」

 「何ですか?」


 ちくわが別の紙を取り出す。


 そこには【松】【竹】【梅】の三文字が大きく書かれているだけ。それ以外のルート説明も、安全性への言及も一切ない。ゆうこが眉をひそめ、冷ややかな視線を送る。


 「何これ。これだけ?」

 「選んでください!」


 「何を?」

 「選んでください!」


 「だから、何をよ」

 「選んでください!」


 会話が平行線を辿る。クルスは顔を引きつらせ、警戒を強めた。


 「絶対ろくでもないやつですよね。梅を選んだら、梅干しの中に閉じ込められて移動させられるとか……」


 「違います!」

 「だったら説明してください!」


 「説明すると面白くないんです! サプライズですから!」


 余計に怪しさが増した。サクが腕を組み、冷ややかに断絶する。


 「選ばないわ」

 「選んでください!」


 「嫌よ」

 「お願いします! 私の一生の願いです!」


 ちくわの必死すぎる姿に、周囲の空気は困惑で満たされる。沈黙。三人は顔を見合わせ、溜息を共有した。


 「もう面倒だから私が決めるわ」

 「先生、お願いします。俺は責任を取りたくないんです」


 クルスが即座に丸投げし、サクも小さく頷いた。

 「異議なし。決定権はゆうこに譲るわ」


 ちくわだけが、勝利を確信したように瞳を輝かせた。


 「では代表者、ゆうこさん! 松・竹・梅の中からお選びください!」


 ゆうこは紙を見つめ、思案する。怪しい。あまりにも怪しすぎる。だが、選ばないとこの茶番は永遠に終わらないのだ。


 「じゃあ……」

 全員が固唾を呑む。ゆうこの指先が震える紙の上をなぞり、決断を下した。


 「……竹」

 沈黙が広場を支配した。ちくわが数秒間フリーズし、そして次の瞬間、彼女の顔が満面の笑みで弾けた。


 「竹ですね! 素晴らしい選択です!」

 「そうよ。で、竹コースって何なの?」


 「本当に竹でいいんですね!? 後悔しませんね!?」

 「いいから早く説明しなさい!」


 ちくわはにこりと微笑んだ。その笑顔が妙に眩しくて恐ろしい。


 「では竹コース、発表します!」

 びしっ、と指差したのは広場の中央だった。


 「まずサクさん」

 「何?」


 「ガラスの大型バスを作ってください」


 沈黙。全員が凍りついた。サクでさえも、何を言われたのか理解するまでに数秒を要した。


 「……は?」

 「ガラスの大型バスです。日本酒の国行き高速便!」


 意味が分からない。クルスが恐る恐る聞き返す。

 「いや、待ってください。バスって何ですか?」


 「バスです!」

 「その説明で納得できると本気で思ってるんですか?」


 ちくわは紙を取り出した。そこには四角い箱に、窓とタイヤを付けただけの、子供の落書きのような設計図が描かれていた。


 「こんな感じです!」


 「……雑ね」

 サクが即答し、呆れながらも設計図を受け取った。彼女は数秒、図面を眺めると「……なるほど、そういうことね」と小さく呟く。


 「できますか!?」

 「知らないけど。大体は分かったわ」


 サクが前へ出ると、彼女の周囲の空気が重く澱んだ。彼女の右手がゆっくりと掲げられると、空間を支配するような濃密な酒気が集まり始める。


 ぱきん、と乾いた音が響き、広場が静寂に包まれる。

 ぱきん、ぱきん、ぱきん。


 空中で赤い酒気が結晶化し、無数の光の破片となって組み上がっていく。骨組み、床、壁、巨大な透明の板が次々と空間に定着する。


 「おお……」

 クルスが思わず声を漏らした。さらに、長い窓、開閉式の扉、座席までもがサクの手によって精巧に形作られていく。


 設計図は雑だったはずなのに、サクの美学が加わった結果、陽光を反射して輝く、芸術品のような巨大なガラスの乗り物が完成した。


 どんっ!

 広場の中央に着地したそれは、確かにバスだった。ガラス製の、煌びやかな大型バス。


 「すごぉぉぉぉぉい!!」


 ちくわが飛び跳ね、ヴィオレッタもキムも目を丸くして驚愕している。しゅわ丸はぷるぷると震えながらガラスの壁に飛びついた。


 「本当に作っちゃいましたね……」

 クルスがぐるりと見回す。


 「言われたから作ったまでよ」

 「先生より素直じゃないですか……」


 「何か言った?」

 「いえ、何でも!」


 クルスは即座に目を逸らした。ちくわが勢いよく扉を開く。


 「さぁ皆さん! 乗りましょう!」


 「まだ説明聞いてないんだけど」

 ゆうこが抗議するが、ちくわは無視して叫ぶ。


 「大丈夫です! 乗れば分かります!」


 全く大丈夫ではなかった。だが、ここまで来たら引き返せない。サクが率先して乗り込み、しゅわ丸が続く。クルスが恐る恐る乗り込み、最後にゆうこが深くため息を吐いて足を踏み入れた。


 透明な車内は、意外にも座り心地が良かった。全員が乗ったことを確認すると、ちくわがにやりと笑った。その瞬間、三人の心に同じ思いがよぎる。


 ――絶対、ろくでもない。


 「それでは皆さん! 日本酒の国行き竹コース、出発です!!」


 ちくわの元気な宣言と共に、沈黙が訪れた。


 ガラスの大型バスは、一ミリも動かなかった。ぴくりともしない。完全な停止状態。


 「……動かないんですが」

 クルスが恐る恐る指摘する。ちくわが固まった。ゆうこが目を細める。


 「ちくわ?」

 「……あれ?」


 「ちくわ?」

 「おかしいですねぇ」


 「ちくわ?」


 ちくわがゆっくりと振り返り、てへっと舌を出した。


 「ガラスだから動きませんでした!」


 「「「でしょうね!!」」」


 三人のツッコミが美しく重なった。ちくわは慌てて設計図を裏返したり、逆さにしたりしている。


 「どうしましょう……」


 「今考えてたの!?」


 クルスの絶叫が響く。ちくわは青ざめ、見切り発車だったことが露呈する。


 その時、ゆうこが異空間ポケットに手を突っ込み、ごそごそと一本の乾麺を取り出した。


 「そうめん」

 クルスが嫌な顔をする。


 「何ですかそれ」

 「チェンから押収したやつ」


 「くすねたんですか!?」

 ゆうこは気にせず、クルスをじーっと見つめる。


 「……何ですか」

 「クルス。食べなさい」


 「嫌な予感しかしないんですが」

 「いいから食べなさい!」


 「説明を……!」

 「いいから食え!!」


 根負けしたクルスが乾麺をかじる。もぐもぐと咀嚼した瞬間――。


 ぶわっ!!


 クルスの身体から凄まじい酒気が噴き出した。

 「うおっ!?」


 猛烈な推進力が彼の背中から吹き荒れる。足元の石畳が砕け散り、クルスが数メートル先まで吹き飛ぶ。


 どごぉん!!


 土煙が舞い、門番たちが化け物だと悲鳴を上げる。ゆうこは顎に手を当てて納得した表情を見せた。


 三人は、その視線をゆっくりとクルスへと向ける。


 クルスの背中に、嫌な予感という名の冷や汗が流れる。逃げ出したい衝動を必死に抑え、彼は喉を鳴らした。


 「まさか……」

 「クルス」

 ゆうこが淡々と名前を呼ぶ。その声には一切の迷いがない。


 「嫌です。断固拒否します」

 クルスは即答したが、ゆうこは表情一つ変えずに告げる。


 「まだ何も言ってないわよ」

 「言われる前に分かりますよ! ろくなことじゃないんでしょう!」


 クルスの悲痛な叫びを無視して、ゆうこはガラスバスを指さした。


 「これ、運んで」

 「やっぱりぃぃぃぃぃ!!」


 クルスの絶叫が、王都の静寂を切り裂いて響き渡る。だが、彼が抗議の声を上げるよりも早く、既にサクが動いていた。


 ぱきん。ぱきん。と乾いた音が重なる。


 サクの指先からガラスが自在に伸び、バスの真下に頑丈な肩当てを作り上げていく。さらに、安定して担ぐための太い取手までもが瞬時に形成された。


 完全に、人力運搬仕様へのカスタマイズが完了した瞬間だった。


 「完成」

 「完成じゃありませんよ! 僕を何だと思ってるんですか!」


 クルスは必死に抵抗し、その場にへたり込もうとした。だが、ゆうこ、サク、しゅわ丸、そしてちくわ――。全員が当然のように出発を待ちわびる視線を向けている。


 「先生……! お願いします、止めてください!」

 すがるような目でクルスが懇願するが、ゆうこは何の感慨もなさそうに肩をすくめた。


 「何? 出発はまだ?」

 「違います、助けてくださいと言ってるんです!」


 「……頑張りなさい」

 「助けてくださいってば!」


 「いいから走れ!!」

 容赦のない号令に、クルスは天を仰ぐ。


 「雑ぅぅぅぅぅ!!」

 クルスが半泣きになりながら叫んだ。しかし、次の瞬間、状況は強制的に動かされる。


 ごうっ!!


 クルスの背中から、噴き上がるような酒気が全身を包み込んだ。身体が羽のように軽くなる。異常なほどに身体能力が底上げされ、世界がスローモーションに見えるほどだ。


 ぐいっ。


 巨大なガラスバスが、意思を持つかのようにクルスの肩へと吸い寄せられ、乗った。


 その場に、重苦しい沈黙が流れる。クルスは肩にのしかかる巨大なバスの感触に、ただ呆然と固まるしかなかった。


 「……持てた」


 「持てたわね」

 「持てましたね」

 「持てました!」


 ちくわまでがキラキラした瞳で感動の声を上げるが、クルスだけは全く感動していない。むしろ、このまま走り出せば自分の人生が終わるという確信に近い恐怖を感じていた。


 そして。

 クルスの制御を離れ、酒気が暴走を始める。

 ごうっ!! どんっ!!


 爆音とともに地面を蹴り、クルスの身体が王都の門を突き抜けて前方へと射出された。


 ものすごい速度だった。景色が悲鳴を上げて後ろへ流れていく。ガラスバスがガタガタと悲鳴を上げた。


 「速っ!?」

 「思ったより速いわね」

 「快適ですね」


 「快適じゃないですぅぅぅぅ!!」

 クルスだけが死ぬ気で叫んでいたが、もう止まれない。


 酒気の奔流と足の筋肉が、意志とは無関係に勝手に加速を繰り返す。


 どどどどどどどどっ!!


 巨大なガラス製バスを担いだクルスが、大平原を爆走する。風が唸りを上げ、草原が緑の絨毯のように流れていく。


 ゆうこは中でお茶でも飲むように座席に座り、優雅に微笑んだ。

 「快適ね」


 サクも窓の外を眺めながら、穏やかな表情を浮かべる。

 「景色が綺麗ね。いい眺めだわ」


 しゅわ丸は楽しそうにぷるぷる跳ね、車内の雰囲気を盛り上げる。完全に観光気分だ。その時、ちくわがふらりと立ち上がり、なぜか誇らしげに胸を張った。


 「旅と言えば! 歌ですよね!!」

 ちくわは大きく息を吸い込み、響く声で歌い始める。


 「おおがたバスに~♪」

 ちくわが楽しそうにリズムを刻む。


 「のってます~♪」


 そう歌いながら、ちくわはカバンから"マグナム"とラベルの貼られた1.5リットルのワインボトルを軽やかに取り出した。


 「ワインをじゅんに~♪」

 クルスの背中に、嫌な予感が爆速で加速する。


 「わたしてね~♪」

 「おとなりへ~♪」

 「ハイ♪」


 ちくわがノリノリでサクへワインを渡す。サクもなぜか笑顔でそれを受け取り、ダンスを踊るようにゆうこへ手渡した。


 「おとなりへ~♪」

 「ハイ♪」

 ゆうこも普通に受け取り、リズムに乗ってちくわへ返す。


 ここまでは平和だった。このやり取りを見るまでは、クルスも少しだけ安堵していたのだ。


 だが、ちくわの満面の笑みが、再びクルスに向けられる。


 「おとなりへ~♪」

 「待ってください」

 「ハイ♪」


 ぶんっ!!


 ボトルが放り投げられた。見事な放物線を描き、クルスの口元へ一直線に飛んでくる。


 がぽっ。


 見事に口へ収まった。奇跡的な命中率だった。

 そして、ちくわがトドメの一撃を歌い上げる。


 「おわりのひとは~♪」

 全員が察した。次に何が起きるかを。


 「一気飲み~♪」

 「やっぱりぃぃぃぃぃぃ!!」


 ごくごくごくごくごくっ!!


 クルスの意思なんて関係ない。強制的にアルコールが喉を通り、体内で酒気が爆発する。


 走る両手はバスを担いでいて、ボトルのキャップすら開けられないはずなのに、なぜか中身が空になっていく。


 全部飲んだ。

 そして沈黙が訪れる。一秒。二秒。三秒。


 ごうっ――!!


 背中から噴き出す黄金色の酒気。先ほどとは比べ物にならない推進力がクルスの身体を突き上げる。


 どごぉん!!


 地面が爆ぜた。衝撃波が周囲を吹き飛ばし、クルスの身体が音速の領域へと突入する。


 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 「速っ!?」

 「速いわね」

 「速いですね」


 「速いですぅぅぅ!!」

 本人が一番驚いていた。


 どどどどどどどどどどどどどっ!!


 景色が消滅し、風景が一本の線へと変わる。空を飛ぶ鳥すら置き去りにし、雲がすぐそこに迫る。もはや人間の足で出す速度ではなかった。


 バスの中では、ちくわが大興奮で拍手をしている。


 「クルス号特急便です!! 花マル♪ ポンポン♪」

 「昇格したわね」

 「昇格おめでとう。いい走りよ」


 「してませんからぁぁぁぁぁ!!」

 クルスの絶叫を乗せて、ガラスバスは弾丸のように平原を駆け抜けていく。


 遠く王都の門で、その背中を見送った人々は呆然と立ち尽くした。

 誰かがぽつりと、信じられないものを見たかのように呟く。


 「今の……何だったんだ?」

 誰にも分からなかった。


 ただ一つ分かっているのは、日本酒の国への旅は、またしても常軌を逸した、ろくでもない始まり方をしたということだけだった。



挿絵(By みてみん)

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