第5話「肉を求めてギルドへ」
ゆうこの思考が停止した。
「……ちょっと待って。なんで肉を食べるのにギルドに行くの?」
「狩るからよ」
「やっぱりろくでもなかった!!」
ゆうこの絶叫を余所に、クルスの目はかつてないほど生き生きと輝き始めていた。
「狩る……自給自足……。それだ。今の俺に足りないのは、その野性味です」
「いや、あんたに足りないのは情緒と休息よ!」
「ゆうこ、肉は鮮度が命なの」
サクは人差し指を立てて、したり顔で告げる。
「この町で一番美味い肉はね、『さっきまで走ってた肉』なのよ」
「言い方が怖いのよ!」
だが、その言葉はクルスの魂に火をつけた。
「……最高だ。今の俺が求めているのは、その圧倒的な生命力です」
「今のあんたの胃、点滴直後なのよ? 少しは労わりなさいよ!」
「いいえ、胃袋が『戦える』と言っています! 厚切りで、脂がジュワッとしてて、噛んだ瞬間に肉汁が溢れる……さらに言えば、味付けはシンプルに塩! それだけでいい!」
ゆうこは天を仰いだ。
「今の俺の細胞が合唱してるんです。『肉を、肉を寄越せ』って……!」
「わかった、わかったから。返り討ちに遭って胃もたれしてきなさいよ」
サクがニヤリと笑い、扉へ向かう。
「決まりね。行くわよ、クルス!」
「え、今からですか!?」
「肉は鮮度が命。もたもたしてたら逃げちゃうわよ」
サクは振り返りもせず手を振った。
「大丈夫、今ここにいるのは酔いつぶれて寝てる連中だけだし」
「それが一番放置しちゃいけない状態でしょうが!」
その時。床で雑魚寝していた酔っ払いの一人が、ゾンビのように起き上がった。
「先生……」
「げっ、起きた」
「もう……吐きません……だから、俺にも肉を……」
「患者まで感染した!?」
別の男も、夢うつつに呟く。
「できれば……串で……」
「注文するな! 全員黙って寝てろ!!」
ゆうこのツッコミが木霊する中、サクは満足げに頷いた。
「見なさい。これはもう、町の総意よ」
「ただの食欲の伝染でしょ!」
クルスは点滴の跡をネクタイを締め直すような手つきで押さえ、よろよろと、しかし力強く立ち上がった。
「行けます。いや, 行かねばならない」
「あんたは本来『安静にされる側』の人間なの!」
「でも、肉のためなら」
「胃袋の前に、その壊れた価値観を整えてきなさいよ!」
ゆうこの制止を振り切り、クルスは無駄に洗練された所作でスーツの襟を正した。その顔は、重要な商談に臨むエリートサラリーマンそのものだ。
「行きましょう。案内をお願いします」
「なんでそんなに覚悟決まってんのよ……」
サクは愉快そうに歩き出す。
「よし、ギルドへ案内するわ」
「……ちょっと待って。一応確認だけど、私が想像してるあのギルド?」
「どのギルド?」
「剣とか魔法とか、依頼を受けて魔物を倒してお金をもらう、あのファンタジーな……」
サクは太陽のような笑顔で答えた。
「そう! そのギルドよ!」
「やっぱりそうだ!!」
クルスだけが、深く、静かに頷いていた。
「……俺、ギルドって初めてです」
「初体験なの?」
「はい。今まで、仕事しかしてこなかったので」
その枯れ果てたような一言に、ゆうこは思わず言葉を失った。クルスの声には、冗談では済まされないほどの深い「乾き」があったからだ。会議、数字、報告書。食事はサプリメントかパン。趣味も、遊びも、自分が何のために生きているのかを考える時間すら、彼は捨ててきたのだ。
「……わかったわよ。もう好きにしなさい」
ゆうこは諦めたように溜息をついた。社畜として死にかけていた男が、今、肉を求めて異世界のギルドへ踏み出そうとしている。それは彼にとって、人生で初めての「自分の為のわがまま」なのかもしれない。
「……まあ、社会復帰の第一歩としては、悪くないのかもね」
「肉狩りが?」
サクが素っ頓狂な声を出す。
「最悪だけど、この世界ならギリであり、かな」
「ギリなんだ」
「かなりの崖っぷちギリギリよ」
クルスが、ふっと小さく笑った。その顔は、運ばれてきた時のような土気色ではなく、少しだけ血色の通った「人間らしい」ものに変わっている。ゆうこはその変化を確認し、わざとらしく肩をすくめた。
「ただし、条件があるわ」
クルスが背筋をピンと伸ばす。まるで上司の訓示を聞く新入社員だ。
「はい!」
「無理をしない。走らない。倒れそうになったら即、申告すること」
「了解しました!」
「あと、今日は『肉を食べたら直帰』。いいわね?」
「はい!」
「仕事のことは、一秒たりとも考えないこと」
その瞬間、クルスが固まった。
「…………」
あまりに長い沈黙に、ゆうこは半眼(ジト目)になる。
「今、脳内でタスク管理アプリ開いたでしょ」
「……いえ、ほんの、低スペックなOSが勝手に起動しただけで……」
「もう考えてるじゃない。重症ね」
「善処します。努力目標として、前向きに検討を……」
「偉いようで、一ミリも偉くないのよ、それ」
サクが愉快そうに吹き出した。
「ふふっ、いいじゃない。今日は『肉の日』にしましょう!」
「何その、スーパーの特売日みたいなノリ」
「この世界、生きてるだけで毎日が祝祭みたいなものよ」
サクが勢いよく扉を蹴り開けた。オレンジ色の夕光が差し込み、酒場通りの喧騒が一気に流れ込んでくる。豪快な笑い声、ぶつかり合うジョッキの快音、そして、鼻腔をくすぐる香ばしく焼けた脂の匂い。
――が。
「う……わっ。酒くさっ……!」
一歩外に出た瞬間、クルスが顔を歪めて鼻を押さえた。肉を求めていたはずの男が、初手でアルコールの洗礼にノックアウトされている。
「大丈夫?」
「いえ……ちょっと脳が『労』以外の情報をエラーとして処理しておりまして……。アルコールの匂いを嗅ぐと、連日連夜の接待の記憶が、フラッシュバックのように……」
「それ、だいぶ末期のトラウマね」
「でも、肉の焼ける匂いだけは、正確に捕捉できています」
「生存本能だけ捕捉性能が進化してるわね……」
ふらつきながらも、クルスはゆっくりと通りを見渡した。そこには、混沌とした生命力があふれていた。昼間から真っ赤な顔で笑う酔っ払い、巨大な樽を軽々と運ぶ老人、屋台で威勢よく串焼きをひっくり返すおばちゃん。誰もが雑で、騒がしくて、そして――。
「……すごいですね。みんな、本当に自由だ」
「何が?」
ゆうこが問うと、クルスは静かに言葉を紡いだ。
「余裕があるというか……『今日を終わらせる』だけで、全力を使い果たしていましたから」
終わりの見えない残業、減らない未読メール、ただ「タスク」として処理するだけの虚無。そんな光景を、ゆうこは病院で腐るほど見てきた。
「……じゃあ今日は」
ゆうこは前を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。
「『終わらせる日』じゃなくて、『味わう日』にしなさい」
クルスは一瞬きょとんとして、それから、今までで一番柔らかく笑った。
「……はい」
サクがパンッと景気よく手を叩く。
「よし、湿っぽいのは終了! 肉よ、肉! ギルドへ急ぐわよ!」
「切り替え早っ!」
「いいのよ、人生は短いんだから。悩む暇があったら噛み締めなさい!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は「肉を求めてギルドへ」でした。
・点滴直後に狩りに行こうとする男
・それを止めない案内人
・最終的に折れる医者
――だいぶ終わってるパーティです。
でもクルスにとっては、
「肉を食べたい」っていうただそれだけが、
人生で初めての“ちゃんとした欲望”だったのかもしれません。
今までは
仕事 → 寝る → 仕事
の永久機関だった男が、
「味わう日」を選んだ。
そう考えると、ちょっとだけまともな話に見えなくもないです。
見えなくもないだけですが。
そして次回、ついにギルド。
狩るのか。
狩られるのか。
そもそもまともに立っていられるのか。
色々と不安しかありませんが、お付き合いいただけると嬉しいです。
「クルス働きすぎ」
「サク止めろ」
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感想も大歓迎です。
今日は少しでも「味わう日」になっていたら、それだけで十分です。




