第4話「過労死寸前の聖剣使い」
「今日はどうされましたか?」
目の前の男を見た瞬間、私の脳内で警報が鳴り響いた。
(あ、これ……普通じゃない。関わったらHP削られるタイプだ)
男は、魂が肉体を置き去りにして暴走しているような、不規則な震えを纏っている。
すると男は、音速で頭を下げた。
「初めまして『クルス』と申します!!」
声だけが無駄にデカい。
目の下には、数多の夜を焼き尽くしてきた証——漆黒の「死の刻印」が刻まれ、さらに両腕の手首から肘にかけて、何かを隠すように白い包帯が幾重にも巻かれていた。
そして次の瞬間、言葉の洪水が溢れ出した。
「本日!聖なる排泄の儀を執り行っていた際、我が聖剣から……凄まじい『紅』が溢れ出したのです!!床が!! 鮮血の海!!俺の、俺の禁域(股間)から、選ばれし者しか流せないはずの聖杯の雫が出てるんですけどォ!?!!」
主語も述語も、ついでに正気も完全崩壊。
「血尿ですね(笑)」
ゆうこは、半分呆れながら即答した。
「え!?いや待ってくださいよ! この2年間、俺の聖剣は一回も抜剣してないんですよ!?仕事と睡眠を等価交換するだけの永久機関だったんですよ!?そんな平和主義の股間から、なんで出血イベントが発生するんですか!?」
理屈ではない。彼は今、純粋な恐怖で「設定」を垂れ流している。
ゆうこは淡々と問いかけた。
「1日、何時間働いてるの?」
「18時間。365連勤を2セット……合計730連勤です」
診察室の空気が凍りついた。(……なるほど。彼は『連勤術師』か)
「重度の“過労”です」
「過労!?待って、今その概念が俺の脳内で初めてエンカウントしたんですけど!『過労』という名の魔物が今まさに生成されましたよ!」
彼の脳は、必死に過去の「知識」と照らし合わせていた。遅漏。早漏。そのあたりまではネットの海で拾ったらしい。
(遅漏は、遅く行くこと。早漏は、早く行くこと。じゃあ、過労は……?)
「過労って、使いすぎると股間から『紅』が溢れ出す呪いか何かですか!?一度も解放してないのに!?」
「点滴が必要ですね」
その一言で、クルスの思考はさらに最悪の領域へ。
「点滴!?どこに!?」
嫌な沈黙。
「……え、待って」
クルスの顔がみるみる青ざめていく。
「いや待て待て待て、まさか、そこに……? 聖剣に針刺すんですか!?そんな処刑みたいな医療あります!?禁忌目録に触れませんか!?」
「ぽしゃけのアレルギーは?……あ、大丈夫。それにしても、だいぶ“疲労”が溜まってますね」
「疲労!?また新しい『労』が降臨したんですけど!?」
「疲労だよ。全身に溜まってるの」
「全体!?弾丸だけじゃなく銃身にも蓄積するタイプ!?疲労、概念として上位互換すぎるんですけど!!」
「もういいから!要するに、それだけ“苦労”したってこと!」
「苦労ォ!?!?」
遅漏、早漏、過労、疲労、苦労。
五つ子の呪文を浴びせられたクルスの脳は、ついに灰になった。
「じゃあ、刺すよー」
注射器の空気をピュッと抜く。
その音を聞いた瞬間、クルスの中で何かが決壊した。先延ばしにしてもしょうがない。過労とか疲労とか、おっかねぇ話されたらさ、覚悟決めるしかないよな!
(男として、すべてを受け入れよう——)
ポロン。
クルスのクルスが顔を出した。コンニチワ
「……え、何してんの?」
「え?……ここに、エンチャント(注射)するんじゃ、ないんですか……?」
「そんなとこ刺すわけないでしょ!!早く閉まって!!腕を出せ!!」
ゴミを見るような視線を浴びせ、ゆうこは腕に針を刺した。
すべてを悟ったクルスは、賢者のような顔で寝たふりを始めた。
(無になれ……考えるな……。点滴は液体だ……何が入ってる? 魔力か? 聖水か?)
「はい、力抜いてくださいねー」
「……抜いてます」
「股間がオリハルコンみたいに硬いですけど」
「なってません!!」
「大丈夫。ただの栄養点滴ですから」
「栄養……(……俺は今、魔力供給を受けているのか?)」
ぽた……ぽた……。
しばらくして、クルスは「覚醒」に気づいた。軽い。頭が妙にクリアだ。視界が、呼吸が、神の領域へ到達していく。
「身体が……うずく……」
「ええ、楽になりますよ」
「いや、そんなレベルじゃない。溢れる……力が溢れるぞ……!」
彼はガバッと起き上がった。鉛の鎧を脱ぎ捨てたような万能感。瞳には、ヤバすぎる輝きが宿っている。
「先生……俺、まだ戦えます。365連勤、3セット目……おかわりいけます」
「寝ろ!!」
クルスは目を閉じたまま、じっとしていた。最初はただ死の恐怖で硬直していただけだったが、数分も経つ頃には身体の奥底で何かが劇的に変わり始めていた。
じわりと、冷えた石に湯を注いだような熱が戻ってくる。凍りついていた手足の指先にドクドクと血が巡る鼓動を感じ、鉛のように重かったまぶたが今は羽のように軽い。肺の隅々にまで澄んだ空気が染み渡り、頭を覆っていた灰色の霧が急速に晴れていく感覚に包まれる。
「……あれ?」
クルスはゆっくりと目を開けた。視界に飛び込んできたのは、無骨な木の梁と少し染みのある白い天井だ。さっきまで処刑台のように冷たく感じられたベッドが、今は驚くほど心地よく感じる。
「どうしました?」
ゆうこが手元の書類にペンを走らせながら、視線を上げずに尋ねる。
クルスは呆然としたまま自分の両手を見つめた。指を開き、閉じ、もう一度強く握りしめる。
「……動く。動きます、これ」
「当たり前です。生きてるんですから」
「いや、そういう次元じゃなくて」
クルスは弾かれたように身を起こした。
「なんか……内側から『生きてる感』が、猛烈に湧いてきたというか……!」
その瞬間だった。
ぐうぅぅぅぅぅぅ…………!!
腹の底から、獣の叫びのような音が鳴り響いた。静かな病室にはあまりに不釣り合いな大音量に、部屋の空気が一瞬で凍りつく。
「あはは! めっちゃ鳴るじゃない!」
サクが堪えきれずに吹き出した。
クルスは信じられないものを見る目で自分の腹を見下ろすと、獲物を見定めたハンターのような目つきで顔を上げた。
「肉だ」
「はい?」
「肉が食べたい。今すぐに」
ゆうこが眉をひそめる。
「急ですね。さっきまで死にかけてた人のセリフ?」
「急じゃないです。これはもう、細胞レベルの要請なんです」
「要請?」
「身体が、俺の全組織が叫んでるんです。『肉を寄越せ』と!」
クルスは胸元を掴み、切実な表情で訴えた。
「脂じゃない……魚でもない……これはもっとこう……」
「もっとこう?」
「焼いた肉です。直火で炙られた、暴力的なまでの肉です」
「注文が限定的すぎるでしょ!」
サクが膝を叩いて笑い、クルスはかつて徹夜でプロジェクトを完遂させた時のような、異常なまでの集中力を瞳に宿して言い放った。
「俺は本気です」
「私に任せなさい」
サクが根拠のない自信に満ちた顔で胸を張ると、ゆうこは即座に嫌な予感を察知した。
「その顔やめて。大体ろくでもないことが起きる時の顔だから」
「失礼ね。この町で『焼いた肉』っていったら、行く場所は一つしかないわ」
サクの言葉に、クルスが期待を込めてベッドから身を乗り出す。
「あるんですか!? そんな理想の場所が!」
「あるわよ。――『ギルド』よ」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は「過労死寸前の聖剣使い」ことクルスの初登場回でした。
・365連勤×2セット
・血尿
・ポコちんに点滴されると思い込む
と、かなり重症でしたが、無事(?)回復しました。
結論:
ちゃんと寝て、ちゃんと食べれば大体なんとかなります。
……たぶん。
そして治療後に訪れるのは――
圧倒的「肉欲」。
ここから舞台はギルドへ。
酒だけじゃなく、ちゃんと飯も絡んでくる回になります。
「クルスやばすぎる」
「普通にブラックすぎる」
「ポコちんに針はやめてほしい」
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過労の自覚がある方は、まず水と睡眠をどうぞ。




