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第3話「ぽしゃけ医療所、開業初日から地獄」

 「ジョッキ持ってこい!」

 「椅子だ! 椅子も足りねえぞ!」

 「先生の開業祝いだ、景気良くやろうじゃねえか!」


 その瞬間、埃っぽかった部屋は一変して宴会場と化した。

 酒樽の栓が威勢よく抜かれ、黄金色の液体がジョッキへと勢いよくダイブする。ドバァッ! という景気のいい音と共に、野太い歓声が屋根を揺らした。


 ゆうこは窓際で、呆然とその光景を眺めていた。

 こみ上げる笑い声、鼻を突く濃密な酒の匂い、そして肌を焼くような人の熱気。


 隣に立ったサクが、ニヤリと笑って肩を突く。

「どう? 壮観でしょ」

「……そうね」


 ゆうこは手渡されたジョッキを眺め、少しだけ真面目な顔で付け加えた。

 「掃除方法としては、かなり合理的だわ」


 その言葉を合図に、部屋の「洗浄」が始まった。

 酒が振る舞われる一方で、床の空き瓶はいつの間にか袋へ収まり、窓が全開に放たれ、バラバラだった椅子が整然と並べられていく。たった数分で、死んでいた廃墟に「命」が吹き込まれていく。


 (……すごい。さっきまでゴミ溜めだったのに)


 誰かが床を拭き、誰かがテーブルを運び込む。その中心には常に酒がある。

 「この町の掃除方法よ」

 「荒療治すぎるでしょ!」


 ゆうこのツッコミに、近くの男が笑いながら応えた。


 「おい、この床ベタベタだぞ! 三代分の酒が染み付いてやがる!」

 「じゃあ三代分こすれよ!」

 「無茶言うな!! ……待てよ、これ、飲めば減るんじゃねえか?」


 床を指差す男に、ゆうこの医療従事者としての本能が火を吹いた。

 「床の酒は飲むな!! 衛生観念どうなってんの!」


 ドッと爆笑が沸き起こる。

 その勢いのまま、雑巾が舞い、モップが走り、あっという間に「病院」の骨組みが出来上がっていった。

 「飲んだら清掃! 病院は清潔第一! はい、あんたたちは棚の修理、おばちゃんたちは窓拭き、若いのは床!」

 サクがパンパンと手を叩いて仕切り始めると、酔っ払いたちは「おう!」と威勢よく散っていった。


 「先生! 診察用の椅子、うちの倉庫に余ってるから使ってよ!」

 「ベッドなら俺の店にあるぞ。酔い潰れた客を転がしとくやつだけどな!」

 「なんで酒場にベッド……あ、なるほどね」


 次々と運び込まれる備品。カオス。間違いなくカオスだ。

 けれど、ゆうこの胸の奥には、不思議と温かいものが灯っていた。


 (なんだか、文化祭の準備みたい……)

 「さあ、先生」

 サクが、まだ何も刻まれていない木の看板を差し出した。

 「最後はあなたの仕事よ」


 看板の重みが、手のひらを通じて現実を突きつけてくる。


 一文無しで放り出されたこの世界。右も左もわからないけれど、今、目の前の人たちに自分は「任されている」。


 (常識なんて、とっくに酒に溶けてるわ。なら、乗るしかないじゃない)


 ゆうこは迷わずチョークを握りしめ、一気に書き殴った。



【ぽしゃけ医療所】

【診療科目:飲みすぎ全般】

【診察一回:銀貨一枚】


 それを見た親友のサクが、堪えきれずに吹き出した。膝を叩いて、腹を抱えて笑い転げる。

 「あはははっ!ゆうこ、あんた最高にセンスないわ!直球すぎる!!」

 「うるさいわね!分かりやすさが一番なのよ、こういう場所では!」


 ゆうこが頬を膨らませて言い返すと、様子を伺っていた周囲の荒くれ者たちからも、ドッと地鳴りのような笑い声が上がった。


 「おい見ろよ、分かりやすくていいじゃねえか! 俺たちのための病院だ!」

 「銀貨一枚で二日酔いが治るなら安いもんだ!」

 

 誰かが威勢よく看板を掲げ、入り口の横にトン、と設置した。ちょうど、通りの向こうに夕日が沈みかけ、街全体が琥珀色の光に包まれた瞬間だった。酒場街にとっては、これが「一日の始まり」を告げる合図だ。


 その直後だった。通りの向こうから、切羽詰まった叫び声が響いた。

 「おーい!!もう患者来てるぞ!!」

 「早っ!!まだ受付の準備もしてないんだけど!?」

 ゆうこが慌てて振り返ると、そこに青白い顔をした若い男が立ち尽くしていた。

 

 男の右手には、半分飲みかけのジョッキが握られている。指は小刻みに震え、中身のビールが泡立っていた。

 「せ、先生……」

 「はいはい、どうしたの。って、見るからに重症ね」


 「先生助けて……! 胃が“もう無理です”って土下座してきました……!」

 サクが横で爆笑の追撃を入れる。


 「あはは開業一人目の患者、記念すべき第一号ね! おめでとう、ゆうこ先生!」

 「おめでたくないわよ!……はぁ、分かったわ。とりあえず中に入って」


 しかし、それは始まりに過ぎなかった。

 一人を中へ通した直後、通りの角から、まるで堤防が決壊したかのように酔っ払いたちが雪崩れ込んできたのだ。


 「先生ぇぇぇぇぇ!!俺の肝臓が、もうこれ以上は無理だってデモを起こしてるんだ!!」


 「先生、助けて!この馬鹿、さっきから樽にキスして離れないのよ!」

 「愛してる……お前だけだ……。お前(樽)の中に、俺のすべてを捧げる……」

 「樽だぞそれ!!!」

 「なんかコイツ、さっきから壁のシミと人生哲学について議論してるんだけど!?」


 次から次へと飛んでくる阿鼻叫喚の声。

 気づけば店の前には、蛇のような長い列……いや、それはもはや列ではなく、押し寄せるドロドロとした人間たちの"波"だった。


 「ちょっと!順番!!順番を守りなさいよ!」

 「無理ぃぃぃ!!一分一秒を争う事態なんだ!!」

 「先生!!こいつ、さっきからカニみたいに泡吹いてる!」

 「ビールを飲みすぎて!?」

 「違う、真っ白な本気の泡!!」

 「それはガチのやつじゃない!こっちに来て、早く!!」


 ゆうこの脳内は一瞬で戦場モードへと切り替わった。前世で培った救急救命の知識が、強制的にフル回転させられる。

 (意識レベル確認、呼吸、脈拍、嘔吐物の誤嚥防止――)

 

 診察台に一人を寝かせた瞬間、隣で休んでいた男がうわ言を漏らす。


 「先生ぇ……。先生が……三人いる……。どの先生に恋をすればいいんだ……?」

 「いねぇよ!!三人いたら開業してねぇわ!!」


 「先生! 俺、羽根! 羽根きた! 時計塔まで飛ぶ! 俺、鳥になる!!」

 「飛ぶなド阿呆!! 潰れたトマトみたいになっちまうぞ!」


 横ではサクが腹を抱え、涙を流しながら床を叩いている。

 「くっ……最高……最高すぎるんだけど、この光景! 地獄のテーマパークじゃん!」

 「笑ってないで手伝いなさいよ!!」

 「やだ、私は特等席で実況するって決めたの。ほら、次のお客様がご来店ですよー!」

 「実況すんな!!」


 患者は増殖を続けていた。どこから湧いてくるのか、酒場の裏路地や、果ては隣の街からも「噂を聞いた」というフラフラの連中がやってくる。

 「先生!!外の溝にも三名ほど転がってます!」

 「なんで勝手に増殖してんのよ!?」


 三人を横に寝かせ、バケツを押しつけ、背中を容赦なく叩く。

 水を飲ませ脈を取りつつ、ポケットから怪しい瓶を取り出す。

「はい特製!いいから飲め!!」


 「次ぃ!!」

 「先生、大変です!!」

 「今度はなんだ!!」

 「……グーグーzzzZZZ……」

 「寝んな!!」


 もはや病院としての機能は崩壊していた。しかし、奇妙な熱気で現場は回っている。

 「水!!バケツ追加!あと誰か、そこの巨漢の頭を支えて!!」

 「はい!!」

 「違う、それ足!!あんたが持ってるのは足!頭は反対側!」

 「どっちも重くて区別がつきません!」

 「今は頭!!!」


 患者の波は止まらない。

 「先生ぇ……世界が……メリーゴーランドみたいに回って……」

 「世界は回ってねぇ!!お前が勝手に回ってるだけだ!!」


 「次ぃぃぃ!!」

 「はい!!」

 「飲んだ量は!?」

 「覚えてません!!」

 「でしょうね!!」


 その時だった。

 最初に運び込まれた、あの青白い顔の男が、ふらりと力なく手を上げた。

 「先生ぇ……。おかげさまで……すっきりしました……」

 「あら、それは良かったわね。じゃあ銀貨を置いてさっさと帰りなさい」

 「……。なので……もう一杯、いける気がします……。あの樽の続きを……」

 ゆうこの中で、何かがプツリと切れた。

 「黙れ寝ろ!!!」

 

 ゆうこは足元に転がっていた毛布(なぜか誰かが持参していたもの)を、全力のオーバースローでぶん投げた。

 毛布は綺麗な放物線を描き、男の顔面に直撃。

 「ぐふっ」

 男はそのまま後ろに倒れ、静かになった。


 「よし、一名制圧。次ぃぃぃ!」

 「あははっ、ちょっと待って。ゆうこ、それ医療じゃなくて討伐なんだけど」

 「うるさいわね、これは『強制催眠という名の応急処置』よ!」


 酒場……もとい医療所は、完全にカオスと化していた。

 爆笑するサク、虚空を見つめて微笑む中年、壁に向かって謝罪を繰り返す若者、そして謎の愛の告白を始める老人。

 その騒がしさのど真ん中で、ゆうこは髪を振り乱しながら絶叫した。


 「次ぃぃぃぃぃい!!!」


 その姿は、もはや慈悲深い医者などではない。

 血しぶき(ではなく酒しぶき)舞う戦場を統べる、冷徹にして過酷な指揮官だった。

 

 サクが笑い涙を拭きながら、感心したように呟く。

 「開業初日でこの客入り……。ここ、当たり店すぎない?商売繁盛ね」

 「閉めるぞマジで!!!」


 ――二時間後。

 店内は――恐ろしいほどに静かだった。

さっきまでの地獄が嘘のように、音という音が消え失せている。


 床に転がっているのは、整然と並べられた「屍」の山。

 横向きに寝かされた酔っ払いたちが、規則正しい寝息を立てているだけだ。


 ――その時だった。

 「せ、先生……!」

 静寂を切り裂いて、一人の男が転がり込んできた。


 二十代後半に見えるその男は、まるでこの世の終わりを突きつけられたかのような、凄まじい悲壮感を全身から漂わせていた。




挿絵(By みてみん)

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


開業初日から想像の三倍くらい地獄になりました。

医療所というより、もはや戦場です。


でも一応、治ってはいます。たぶん。


「床の酒を飲むな」


そうです。汚いからです。


そしてラスト。

ようやく静かになったと思ったら――来ましたね、“本当にヤバそうなやつ”。


ここから少しだけ、ぽしゃけ医の“本業”が顔を出してきます。


「続きが気になる」

「この医者ほんとに大丈夫か?」

「いいから飲めが万能すぎる」


と思った方は、


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