第2話「いいから飲め──ぽしゃけ医、爆誕」
「……初級?」
「安心しな。アルコール度数はたったの40%だ」
「たった!?」
驚愕するゆうこの肩を、サクが軽く叩く。
「大丈夫大丈夫。この世界、あなた“耐性”持ってるから」
「耐性……?」
恐る恐る、喉を鳴らして一口。
「…………」
刹那、衝撃が走った。
「なにこれ!?うまっ!?え、ちょっと待って、美味しすぎるんだけど!!!」
芳醇な麦の香ばしさ。完熟した果実のような濃密な甘み。
喉を滑り落ちる瞬間の鋭い冷たさと、直後に内側からじわじわと広がる多幸感。
日本で飲んでいた安ウィスキーとは、分子構造からして別物のように感じられた。
「信じられない……アルコールなのに、こんなに優しいの?肝臓を殴ってこない!」
「でしょ?」
サクは誇らしげに笑う。
「ただし、ぽしゃけの世界じゃね、耐性がないと蒸発していなくなるの」
「……蒸発って、まさか比喩?」
ゆうこが真顔で問い詰めると、サクは一拍置いてから、事もなげに頷いた。
「完全に物理現象。アルコール濃度に耐えられない存在は、一定量を超えると――」
サクが寂しげに、人差し指を天に向ける。
「体液が先に蒸発して、身体が透け始めるのよ」
「待って待って待って!」
ゆうこは激しく手を振った。
「人間の体は約60%が水分でしょ!?それが蒸発したら……」
「骨だけが残るわ」
「ホラー!!」
そのとき――店の隅から、絞り出すような悲鳴が上がった。
「だ、誰かぁ……!!意識が……遠のく……!!」
見れば、若い冒険者が顔面蒼白で床に崩れ落ちている。
ゆうこは反射的に立ち上がった。前世で何度繰り返したかわからない、緊急事態へのスイッチが入る。
「ちょっとどいて!!」
驚く客を押し退け、床に膝をつく。
(チアノーゼは……ない。呼吸、浅くない……。脈拍、規則的……)
瞳孔を見る。
(左右差なし。対光反射、あり)
頭の中に、いつものチェックリストが高速で流れる。身体が勝手に診察を進めていく。
「……おかしい」
ゆうこは眉をひそめた。
「酔いの回り方が変。これ、ただの飲みすぎじゃない」
店内が、一瞬で静まり返った。
「……は?」
サクが眉をひそめて聞き返す。
「飲みすぎじゃないって?」
「違う。この人、自分ではほとんど飲んでないはず」
ゆうこは冒険者の手を持ち上げた。
「震えはない。呼吸も乱れてない。でも――」
その指先が、陽炎のように一瞬だけ透けた。
「……今、見えた?」
サクが息を呑む。
「やっぱり」
ゆうこは確信した。
「この人、酒に弱いんじゃない。ぽしゃけへの“感受性”が高すぎる体質なのよ。店の中の酒気を吸い込みすぎたの。いわば、受動喫煙ならぬ“受動飲酒”による急性中毒」
「……す、すみません……。一杯も、飲んでないのに……頭が、ふわふわして……」
冒険者が弱々しく目を開けると、ゆうこは小さく舌打ちした。
(間に合わない……このままだと落ちる)
「今は栄養が先。ほら、麦入ってるから実質ごはんよ」
そして冒険者の口に、自分のジョッキの酒を大量に流し込んだ。
「え?!なにして――」
「いいから、飲め!!」
冒険者の口に、度数40%の液体を流し込む。
ごく、ごく、ごく。
数秒後、魔法のような変化が起きた。
冒険者の顔色が、みるみるうちに赤みを帯びていく。
「……あれ?めっちゃスッキリ……。頭の中の霞が晴れた……」
店内を、重い静寂が支配した。
店主が震える声で呟く。
「……嬢ちゃん。今の、何をした?」
「え? “ぽしゃけでぽしゃけを制す”応急処置ですけど?」
沈黙。
そして――
「「「神医だァァァァ!!!」」」
爆笑するサクが、ゆうこの肩に腕を回す。
「決まりね。あなた、この町で『ぽしゃけ医』として生きていくのよ」
「新ジャンルすぎるわよ!!」
店主が、巨大な酒樽をドンとカウンターに置いた。
「礼だ、持ってきな。――肝臓を救う者に、酒あれ」
――数分後。
ゆうこは重たい酒樽を抱え、異世界の町を歩いていた。
病院の当直室で聞いていた点滴の「ぽた……ぽた……」という音。怒鳴る患者、終わらないカルテ。
そんな窮屈な日常は、もう遠い。
「……まあ、いっか。もうどうにでもなれ」
それは、諦めと同時に、人生で初めて味わう「本当の解放感」だった。
「それでサク、これからどうすればいいの?」
「決まってるじゃない。店を持つのよ。ちょうどいい空き店舗があるわ」
サクは楽しげに指を鳴らした。
「前の店主が、飲みすぎて引退(骨に)したばかりの優良物件がね!」
「不吉すぎるわ!!」
案内されたのは、酒場通りのどん詰まりにある小さな木造建築だった。
半分脱落した看板、壁にこびりついた正体不明の赤黒い染み。扉を開ける前から、発酵しきった濃密な酒気が容赦なく鼻腔を突く。
「……ここ?」
「そう。2階は住居スペース、1階が店舗。三代続いた由緒正しき酒場――
《龍王》の跡地よ」
「名前の強さに建物が追いついてないんだけど」
ゆうこがおそるおそる扉を蹴ると、ギギギ……と不吉な音を立てて開いた。
「うわっ」
視界に飛び込んできたのは、地獄の様相だった。
・粉々に砕け散ったジョッキの破片
・ミイラ化した干からびたつまみの残骸
・隅っこでブクブクと自生している謎の泡
「……これ、掃除以前に特殊清掃が必要なレベルですよね?」
「大丈夫、気にしないの」
絶望するゆうこに、サクが景気よく親指を立てた。
「ここ、銀貨1枚で買えるわよ!」
「ちょ、待って。……銀貨1枚って、この世界だとどのくらいの価値?」
「あー、そっか。まだ通貨感覚がなかったわね」
サクは腰の革袋を揺らし、チャリンと硬貨を取り出した。
「基本は銅貨・銀貨・金貨の三種類。この『銅貨』1枚で、屋台の串焼き1本くらい」
「なるほど。日本の100円から数百円くらいの感覚かな」
「で、少し鈍く光るこっちが『銀貨』」
ゆうこは手渡された硬貨の重みを確かめる。
「これ1枚で宿に一泊。ちょっとした日用品や服が買えるわ。で、最後がこれ」
サクが指先で弾いたのは、重厚な輝きを放つ『金貨』だった。
「金貨1枚で銀貨10枚分、銅貨に直せば100枚分ってとこね。これがあれば、まともな宿に長期滞在できるし、そこそこの武器も新調できる。」
ゆうこは改めて、目の前のボロ……いや、歴史ある建物を仰ぎ見た。
「……ということは。この一軒家が銀貨1枚って。この町、もしかして不動産より酒の方が高いの?」
サクは一瞬きょとんとしてから、耐えきれないといった様子で吹き出した。
「な、なにがおかしいのよ」
「違う、違うのよゆうこ。逆よ!」
サクは涙を拭きながら、腹を抱えて笑う。
「逆?」
「家が安すぎるのよ!」
「なおさら質が悪いわ!!」
サクは愉快そうに肩をすくめた。
「いい? この町の住人が考えていることは、基本的に三つだけ」
指を一本ずつ立てる。
「一つ、今の酒。二つ、今のつまみ」
そして三本目。
「三つ、明日の酒!」
「『住』が完全にログアウトしてるんだけど!?」
「だって酔っ払って寝るだけだもん。寝床なんてどこでもいいでしょ?」
サクはコツン、と建物の壁を叩く。
「この町じゃ、家なんてのは“雨風を凌いで酒を飲むための屋根”程度の認識なのよ。不動産価値なんて酒樽一個分にもなりゃしないわ」
ゆうこは周囲を見渡した。
大通りからは、昼間だというのにジョッキを打ち鳴らす音と、野太い笑い声が絶え間なく響いてくる。
活気に溢れる酒場街。だが、その背後に並ぶ居住区は、まるで忘れ去られたかのようにひっそりと静まり返っていた。
窓は固く閉ざされ、人の気配が希薄だ。
(……本当だ、静かすぎる)
ゆうこは、肌を撫でる冷ややかな空気に小さく身震いした。
(みんな外で飲んでるんだ。家はただ寝るだけの場所、人生の本番は酒場……)
サクが、淡々と言葉を重ねる。
「だからこの町、地価は安いの。雨風しのげりゃ、どこでもいいって連中ばっかりだから」
彼女が通りの奥を指差した。そこには昼間から熱気を放つ巨大な酒場があり、溢れんばかりの客で賑わっている。
「 でも、酒は別。この世で一番価値があるのは、うまい酒よ」
「……命よりも?」
ゆうこが思わず問い返すと、サクは迷いなく頷いた。
「ええ。この町じゃ、飲んで死ぬのは名誉なこと。英雄扱いよ」
「文化が狂ってる……!」
ゆうこはこめかみを押さえた。現代の医療倫理が音を立てて崩れていく。
しかし、サクは楽しそうに目を細めた。
「でもね。だからこそ、ここが面白いのよ」
「?」
「酒で壊れる町に、酒で人を救う店ができる。最高に皮肉が効いてるでしょ?」
ゆうこは言葉を失い、改めて目の前の建物を見上げた。
ボロい。間違いなくボロい。
けれど、酒の匂い、遠くの喧騒、人々の笑い声――その狂騒の中心に、この場所は確かに「ある」のだ。
(ここで……人を助ける?)
胸の奥に、小さな火が灯る。
「……なるほど。この町の住民、肝臓は手遅れかもしれないけど、医者の仕事だけは山ほどありそうね」
サクが、弾けるような笑顔を見せた。
「でしょ?じゃあ、ここに決まり?」
ゆうこは一度深く息を吸い、決意を込めて告げた。
「……ありがとう。ここ、使わせてもらうわ」
異世界。酒臭い町。骸骨の店主。そして「ぽしゃけ医」。
正気とは思えない設定だ。それでも、ここに患者がいるなら、医者として生きる理由には十分だった。
「決まりね! じゃあ、二階も見とく?」
サクが階段を指差す。ゆうこは嫌な予感に顔をしかめた。
「……見ないとダメ?」
「住むんでしょ?」
「……ですよね」
ギシギシと悲鳴を上げる木の階段を登る。一段ごとに建物全体が震え、ゆうこの不安を煽る。なんとか辿り着いた二階の扉を、サクが勢いよく開けた。
「……帰っていいかしら」
中を見た瞬間、ゆうこは無感情に呟いた。
そこは、まさに「宴の墓場」だった。
転がる空き瓶、干からびた肴の残骸、壁の謎の染み。そして部屋のど真ん中。
黒ずんだオーク材に鉄の帯が何重にも巻かれた、巨大な酒樽が鎮座していた。
「なんで部屋の中にこんなものがあるのよ」
「前の店主の寝酒用」
「量がおかしい!! 貯水槽レベルじゃない!」
ゆうこは溜息をつき、窓を開けた。外の空気が流れ込む。掃除さえすれば、間取り自体は悪くない。夕陽が差し込む部屋を見渡し、彼女は腕まくりをした。
「……まあ、大掃除すれば『人間の住処』にはなるか。まずはこの樽を外に出すところからね」
サクが、一瞬沈黙した。それから――ぶっと吹き出した。
「あはは! 無理無理、それ動かないわよ」
「え?」
「中身、満タンなんだもん」
「はあ!?」
ゆうこが樽を押してみるが、岩のようにびくともしない。
「これ、何リットル入ってるの?」
「三、四百くらいかしら?」
「風呂じゃない! 腰をやるどころの騒ぎじゃないわよ、床が抜けるわ!」
絶望するゆうこに、サクがにやりと笑い、窓枠に身を乗り出した。
「大丈夫、名案があるわ。イベントよ、イベント」
「……なにするの?」
サクは答えず、腹の底から叫んだ。
「おーい、みんな!! 『龍王』跡地の秘蔵酒だ! ぽしゃけ医の開業祝いに、無料開放するわよーー!!」
一瞬、街の音が消えた。
一秒、二秒、三秒。
……そして。
ドドドドドドドドドド!!!!
地鳴りのような足音が建物を揺らす。
「酒だァ!!」
「樽だァ!!」
「祭りだァ!!」
血走った目をした酔っ払いたちが、津波のように階段を駆け上がり、部屋へと雪崩れ込んできた。
圧倒的な熱気と酒臭さ。揉み合う人々。
呆然とするゆうこの横で、サクが満足げに腕を組む。
「ほら、掃除開始よ」
狂乱の宴が始まった。ゆうこは呆れ果て、しかし思わず吹き出した。
この無茶苦茶な解決策。
ああ、これこそが、私の働く場所なんだ――。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回の患者、なかなかクセ強でしたね。
正直、普通の医療じゃどうにもならないタイプでした。
でもまあ——
いいから飲めば大体なんとかなります。
「続きが気になる」
「この医者ヤバい」
「飲ませすぎでは?」
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この一杯が、次の診療の燃料になります。
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副作用はたぶんありません(たぶん)。




