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第1話「酒で死んだ女」

 「はぁ〜、疲れた〜……」


 玄関のドアを閉めた瞬間、全身から力が抜けた。靴を脱ぐのも面倒くさくて、鞄をその場に放り出したまま壁にもたれかかる。


 静かだ。病院とは違う。

 絶え間なく鳴り響くナースコールも、理不尽に怒鳴る患者も、尿意を訴える切実な叫びも聞こえない。


 「……やっと、終わった」


 私の名前は、早乙女さおとめゆうこ。27歳独身。


 泌尿器科勤務、看護師歴3年目の立派な(?)社畜である。


 ここ3ヶ月、まともな休みは一度もなかった。夜勤、残業、急患、クレーム処理……気がつけば、今日も12時間ぶっ通しで働いていた。


 だが、明日は――実に90日ぶりの休日だ。

 その言葉を脳内で転がした瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 「明日は待ちに待った、久っさしぶりの休みだぁぁぁーー!!」


 両手を天に突き上げ、テンションは最高潮。

 今日は絶対に飲む。浴びるほど飲む。

 着替える時間すら惜しくて、白衣のまま帰宅してしまったくらいには、私は今、限界の向こう側にいる。


 テーブルの上には、帰り道のリカーショップで衝動買いした「業務用5リットル」のウイスキー。

 カラン、と乾いた音を立ててグラスに氷を放り込み、スマホで動画サイトを開く。


 指が迷わずタップしたのは――『アル中ケラケラ』。


 「やっぱり、飲むと決めた日はこれに限るよなー!」


 聞き慣れたハイテンションな声に、なぜか心が安らぐ。

 私はボトルを傾けた。ドボドボドボドボ。

 グラスの九割を琥珀色の液体で埋め、そこに申し訳程度の炭酸水を少し。


 動画の主と同じ黄金比――ウイスキー9:炭酸水1。


 「……乾杯」


 誰に向けてかも分からないが、3ヶ月ぶりの自由への祝杯だ。


 一気に流し込む。喉が焼ける。でも、それが最高に気持ちいい。アルコールが体内に落ち、張り詰めていた神経がゆっくりと緩んでいく。


 「プハ〜!! うめぇぇぇ!!! やっぱ酒のツマミはケラケラ動画に限るわ!」


 ソファに深く沈み込む。

 これまでは、ずっと深い水の中に潜って息を止めていたような毎日だった。

 今は、やっと水面に顔を出して、思いきり空気を吸い込んでいるような解放感だ。


 「……よし、こうなったら全部観ちゃお♡」


 本当は分かっていた。私は精神的に、限界まで擦り切れていたのだ。


 だから、止まらない。酒も、愚痴も。


 「ったくよー! 今日の患者なんなんだよ!」


 思わず独り言が漏れる。


 「『元気が足りないから、電池を入れたら直るかと思って……単4電池を尿道に入れちゃいましたぁ』じゃねーんだよ!!」


 思い出して、乾いた笑いが出る。いや、笑うしかない。


 「しかも三本! 直列繋ぎ!! お前の股間はタミヤのミニ四駆かよ!! そのまま富士スピードウェイを時速100キロで逆走してろバカ野郎ッ!!!」


 叫んで、また飲む。動画を観て、笑って、愚痴って、また煽る。


 気づけば、あんなに重かった5リットルボトルが、羽のように軽くなっていた。


 時計を見る。飲み始めてから、まだ1時間。


 「……え? 嘘でしょ……?」


 空っぽのボトルが、視界で二重、三重にブレる。

 頭がふわふわと浮いているようだ。気分は悪くない。むしろ、とてつもない睡魔が襲ってきた。


 「クッソー……やってられるかよ……」


 そのまま、私は深い眠りについた。


 ――深く、深く。


 二度と目覚めることのない、深すぎる眠りに。


     ◇


 「……うこ………………ゆうこ……」


 (……ん?)


 頭の中に直接、響いてくる男の声。

 目を開けると、そこは自室の天井ではなく、青々とした木々と抜けるような青空だった。


 「え、誰……?」


 ――『聞いてんのか! ゆうこ!』


 声が脳を揺らす。


 ――『我はこの世界の創造神であり、お主の崇める配信者――アル中ケラケラじゃ』


 「……は!? あの、ケラケラ!? なんで!?」


 ――『お主、我の動画を観ながら飲みすぎて死んだのじゃよ。急性アルコール中毒じゃ』


 「神!? 配信者!? ……死んだ!?」


 情報量が多すぎて処理が追いつかない。


 ――『そうじゃ。我の動画を観て、我と同じ飲み方をして、急性アル中死した人間はお主が初めてじゃ。あまりに嬉しくて、我が創った世界――「ぽしゃけの世界」に転移させてしまったのじゃ♡』


 (プシュッ!)

 どこからか、1缶目を開ける小気味いい音が響く。


 「……私、死んだのか。しかも原因、酒かよ。最悪の死因じゃねーか!!」


 (プシュッ!)

 ――『お主は死んだ』


 (プシュッ!)

 ――『原因は酒』


 「待て! 句読点代わりにプルタブ開けるな! てか飲むペース早いな!!」


 ――『神だって動画配信もするし、酒も飲むわい! ……否定されたら泣くよ?』


 情緒が不安定すぎる神だった。


 「……で、その『ぽしゃけの世界』って何?」


 ――『酒を重んじ、酒を愛する者たちのための世界じゃ。“お酒”って呼ぶより“ぽしゃけ”って呼んだほうが可愛いじゃろ? だから世界ごとそう名付けた。存分に活躍するがよい! また来るわぃ』


 「あ、待って――!」


 声はそこで途切れ、森に静寂が戻った。

 私はしばらく立ち尽くした。


 ……詰んだ。

 でも、意識はある。体も動く。


 「……まあ、いっか。死んじゃったもんは仕方ないし」


 看護師として「死」を身近に見てきたせいか、諦めは早かった。

 周囲を見渡すと、遠くに活気のある町が見える。


 「とりあえず、行ってみるか」


 しばらく歩き、町に到着した。

 入り口の看板には、デカデカとこう書かれている。


 【 歓迎! ぽしゃけの町(※ノーアルコール・ノーライフ) 】


 「ここが……ぽしゃけの町……!」


 石畳を歩く人々。屋台から漂う香ばしい匂い。


 ――グゥー。

 空腹を自覚した瞬間、ある重要な事実に気づく。


 「……私、一文無しじゃん」


 途方に暮れた、その時だった。


 「見慣れない顔ね。この町は初めて?」


 後ろを振り返ると、透き通るような白い肌の女性が立っていた。

 20代後半。銀色に輝く長い髪。涼しげな切れ長の瞳に、どこか茶目っ気のある笑みを浮かべている。


 (うわ、めちゃくちゃ美人……)


 一瞬、見惚れて言葉が詰まる。


 「あ、はい。今日……というか、さっき来たばかりで」


 「やっぱり。雰囲気で分かったわ」


 女性はクスッと笑い、腰に手を当てた。


 「この町『ぽしゃけ』は“よそ者”が来ること自体は珍しくないけど、あなたみたいに『完全に無一文です』って顔してる人は久しぶりね」


 「なっ……なんで分かるんですか!?」


 「空腹でお腹を鳴らして、屋台を三往復。でも一つも買わずに立ち止まってたもの」


 ゆうこは顔を真っ赤にする。


 「うっ……それは……」


 「大丈夫よ。責めてないわ」


 女性は屋台の串焼きを一本買い、ゆうこに差し出した。


 「はい、まずはこれ。この町では“腹を空かせた奴を放っておく方が罪”なの」


 「え、いいんですか!? 知らない人に……!」


 ありがたい。胸の奥で、じんわりとその言葉が広がる。


 私は差し出された串焼きを、両手でそっと受け取った。まだかなり熱い。指先にじんと熱が伝わってくる。


 炭火の煙。焼けた脂。少し甘いタレの香り。


 その全部が、空っぽの胃袋に直接語りかけてくる。


 ――食べろ。


 ぐぅぅ……。


 タイミングを見計らったみたいに、お腹が鳴った。恥ずかしいけれど、もう取り繕う余裕なんてない。


 私は串焼きを口元まで持っていく。湯気がふわっと頬に当たり、少しだけ息を吹きかけてから――かじった。


 じゅっ。


 歯が肉に沈み、閉じ込められていた肉汁が弾けた。熱くて、柔らかい。


 噛むたびに脂の甘みと旨味が広がり、炭火の香ばしさが鼻に抜ける。


 「……あ」


 思わず声が漏れた。


 温かいものが落ちていく。ただの肉のはずなのに、まるで身体の中の壊れた部分を少しずつ修理してくれているみたいだった。


 私はもう一口かじる。さっきよりゆっくり、味わうように。


 「……うまい」


 気づけば、目の奥がじんわり滲んでいた。


 泣くほどのことじゃない。ただ串焼きを一本もらっただけなのに、なんだか、ものすごく久しぶりに人に優しくされた気がした。


 「あの! 本当にありがとうございます! 私、ゆうこです! 仲良くして下さい!」


 「いいのよ。私はサク。よろしくね。それに――」


 サクは少し声を潜め、不敵に微笑んだ。


 「あなた、転移者でしょ?」


 「……っ!?」


 串焼きを落としそうになる。


 「な、なんでそれを……!?」


 「フフッ、安心して。ここじゃ珍しくないわ。神様に酔った勢いで呼ばれた人、飲み過ぎて落ちてきた人、意味不明な理由で死んだ人……」


 「意味不明で死んだ人……(完全に私じゃん……)」


 「私はこの町で『ぽしゃけ案内人』をやってるの。迷い込んだ酔っぱらいと転移者の世話係ね」


 サクは肩をすくめて笑った。


 「この町は酒に引き寄せられて変なのが集まるの。迷子の酔っぱらい、記憶をどこかに落としてきた冒険者、そして――あなたみたいな子」


 「私、そんなカテゴリーなんですか……」


 ゆうこは苦笑しながら、どのタイプか聞かれたような気がして、正直に答えた。


 「……動画観ながらウィスキー5リットル空けて、急性アルコール中毒で死にました」


 一瞬の沈黙。


 次の瞬間――


 「っははははははは!!」


 サクは腹を抱えて大爆笑した。


 「なにそれ最高!! あの神、絶対大喜びしたでしょ!」


 「しましたよ!! めちゃくちゃ嬉しそうでしたよ!!」


 「そりゃそうよ。この世界、“酒に愛されすぎた魂”ほど歓迎されるんだから」


 サクはゆうこの肩をポンと叩く。


 「ようこそ、ぽしゃけの世界へ。まずは――飲みながら説明しましょ?」


 「……え、いきなり?」


 「当然でしょ? この町に来たなら飲んでなんぼ。あそこが町で一番の大衆酒場よ」


 その先には、ひときわ巨大な看板があった。


 【酒場《肝臓よ、永遠なれ》】


 ゆうこはゴクリと喉を鳴らした。


 (……私、また飲むのか)


 でも、不思議と怖くなかった。むしろ――。


 「……なんか、楽しそう」


 そう呟くと、サクは満足そうに笑った。


 「でしょ? じゃあ行こ。あなたの“第二の酒人生”、始めましょ」


     ◇


 扉を開けた瞬間、**ドンッ!!**という重低音とともに、強烈なアルコール臭が鼻腔を殴った。


 蒸発したアルコール。発酵した果実。焦げた肉。


 それらが混ざり合い、濃密な空気を作っている。 


 店内は地獄絵図――もとい、呑兵衛のユートピアだった。


 床で寝落ちしているドワーフ。

 机に突っ伏して祝杯を上げるエルフ。

 樽を抱きしめて号泣する獣人。

 そして壁に向かって切々と説教を垂れる人間。


 「治安どうなってんの……?」


 「平常運転よ」


 カウンターの奥から、筋骨隆々のスキンヘッドの男が顔を出した。額には「肝」の文字が刻まれている。


 「お、サクじゃねぇか。今日は新顔か?」


 「そう。転移者。しかも、急性アルコール中毒死!」


 一瞬、店内が静まり返った。


 コンマ数秒のあと――


 「「「「おおおおおおお!!!」」」」


 爆発的な大歓声。


 「伝説だ!!」

 「神に愛されすぎ!」

 「肝臓、殉職!!」


 口々に叫ばれる祝福(?)の言葉。


 「ちょ、ちょっと待って!? なんでそんな歓迎ムードなの!?」


 店主がカウンターに、ドスンと巨大なジョッキを置いた。


 「嬢ちゃん、今日は奢りだ。ここじゃ“肝臓を捧げた魂”はVIP扱いだからな」


 (肝臓を……捧げた?)


 ゆうこの脳内に、神聖な祭壇で「この者、肝臓を捧げます!」とポーンと臓器を差し出すイメージが浮かぶ。


 (いや何その儀式!)


 差し出されたジョッキは、ほぼ「樽」だった。


 中には濁った黄金色の液体がなみなみと注がれている。


 「それなに……?」


 「初級ぽしゃけだ」


 嫌な予感しかしない。


 だが、ゆうこの手は、吸い寄せられるようにそのジョッキへと伸びていた。




挿絵(By みてみん)


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


酒で死んだ女、無事に酒の世界へ到着しました。

死因は最悪ですが、歓迎ムードだけはやたら温かいです。


急性アルコール中毒死。

転移先は、ぽしゃけの町。

そして出されたのは、初級ぽしゃけ。


……反省する気配がありません。


ここから、ゆうこの第二の酒人生が始まります。

この世界で彼女が何を飲み、何を治し、何に巻き込まれていくのか、見守っていただけると嬉しいです。


「続きが気になる」

「サクが好き」

「肝臓、殉職!!」


と思っていただけたら、


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あなたの一押しが、ゆうこの肝臓を少しだけ強くします。たぶん。

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― 新着の感想 ―
第一話から掴みがすごいですね(笑) 乾電池、ミニ四駆エピソード。 酒に溺れておなくなり。 神様は配信者。 そして、酒の町。 モリモリですね! これからどうなって行くのか楽しみですね!
声をあげて笑ってしまいました。 ありがとうございます。 疲れた頭と心がすごく楽になった気がします。 ふざけたようにも感じられる用語も、この物語はこれがあっていると感じられて、本当に良かったです。
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