表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
49/54

第49話『クルス号、出航』

 「しまえ」

 ゆうこが、一ミリの感情も交えない完璧な"真顔"で言い放った。


 「今すぐしまえ。さもなければ、その突き出た一物を物理的に切断するわよ」


 「もう後戻りはできません!!!俺の心は決まったんです!」

 クルスは相変わらず涙目だったが、しかしその瞳の奥には、濁りのない確かな"漢の覚悟"が、爛々と宿っていた。


 サクはついに堪えきれず、膝から崩れ落ちて床に突っ伏していた。

 「だめ……っ、ほんとにやる気なの!?この公共の場で!?医療所だけど!」


 「男には!!!」

 クルスが魂の底から叫ぶ。


 「己の尊厳を犠牲にしてでも、空を飛ばなきゃいけない時があるんです!!!」


 「そんな時は人生において一度もないわよ!!」

 ゆうこの魂のツッコミが炸裂するが、今のクルスにはそれすらも心地よい風のようだった。


 クルスはゆうこのツッコミを完全に無視し、ゆっくりとした動作で両手を床につけた。


 四足歩行のような体勢から、さらに、

 ぐっ……

 ぐぐぐぐっ……と、背骨をあり得ない角度に湾曲させていく。


 「えっ」

 「ちょっと待って、その体勢は何よ」

 サクの顔が引きつる。


 クルスはさらに背を反らし、完全に頭と足だけで体を支える、美しい【ブリッジ姿勢】を完成させた。その中央からは、依然として彼の一物が天に向かって直立している。


 「なんでブリッジなのよ!?」

 ゆうこが叫ぶ。

 「回転効率を!!!最大に上げるためです!!!この体勢が最も空気抵抗が少ない!!」


 クルスの身体が、筋肉の緊張と恐怖でぷるぷる。と細かく震え始める。

 しかし、彼は止まらない。ブリッジをした状態のまま、腰を前後左右へと滑らかに、かつ力強く回転させ始めた。


 ぐるっ。

 ぐるるっ。

 ぶるんっ。

 奇妙な風切り音が、彼の股間を中心に発生し始める。


 「やめてぇぇぇぇぇ!!!自分でやってて何だけど、絵面が嫌すぎるぅぅぅ!!」

 クルス本人が一番の大声で叫んでいた。心がパリンパリンと割れる音が聞こえてきそうだ。


 だが、一度始まった回転は止まらない。腰を高速で回転させることで、物理的な遠心力が爆発的に増幅されていく。

 それと同時に――驚くべきことに、クルスのクルスが、まるでその回転エネルギーを吸収するかのように、急激にそのサイズを伸ばし始めた。


 二十センチ……三十センチ……


 それはもはや人間の器官の域を遥かに超え、ヘリコプターの漆黒のプロペラのように、鋭く激しく空気を切り裂き始めた。


 「成長するなァァァァァ!!!生物としての規律を守りなさい!!!」

 ゆうこが本日一番の絶叫を響かせた。


 ぶるるるるるるるるっ!!!!!

 回転速度がさらに跳ね上がり、もはや肉眼では視認できないほどの残像を作り出す。


 それと同時に、クルスの体内から放出された濃密な酒気が渦を巻き始め、彼の周囲に美しい黄金色の螺旋スパイラルが発生した。


 サクはもう、笑いすぎて酸素が脳に回らず、完全な呼吸困難に陥っていた。

 「っ、ひっ……げほっ、だめ……お腹痛い……!!でも、悔しいけど、本当に飛行原理として成立し始めてるわ……!!風が起きてる!」


 クルスのクルスが、ついに一メートルの大台に差し掛かった、その時だった。


 ぶおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!!!


 突如として、医療所内の空気が一変した。酒気の色が、これまでの綺麗な黄金色から、どす黒い紫色の怪しい光へと変色し、混ざり合い始めたのだ。


 「……え?」

 ゆうこの顔が激しく引きつる。


 クルスの纏う雰囲気が、明らかに変わっていた。さっきまで涙目で「嫌だ嫌だ」と騒いでいたはずの男が。


 ブリッジをしたまま、ゆらり、と。

 邪悪に、そして不敵に笑った。


 「……くっ」

 彼の口から、普段の彼からは想像もつかないような、低く冷酷な声が漏れる。


 「く、くく……ハハハハ……!」


 サクが、自身のオタクの勘で、最も嫌な予感を察知した。

 「待って、この流れは……」


 「まさか、あのモードに入ったの!?」

 ゆうこが戦慄する。


 クルスが、ブリッジ姿勢で首を不自然にねじ曲げたまま、カッと両目を見開いた。その瞳には、怪しい紫色の光が宿っている。


 ばちぃっ!!!と、周囲の酒気が激しい電撃のように弾けた。

 「封印が……ついに、解き放たれる時が来たか……」


 「始まったわよ!!!クソ面倒くさいやつが始まった!!」

 ゆうこが頭を抱えて叫ぶ。


 そう、クルスの精神が、極限の恥ずかしさと恐怖によって防衛本能を起こし、完全に【厨二病モード】へと突入してしまったのだ。


 クルスは歪んだ笑みを浮かべたまま、朗々と語り出す。


 「ついに……我が股間に眠りし暗黒の翼、“深淵回転機構アビス・ローター”が、数千年の眠りから目覚めてしまったか……!!世界が、俺の回転を拒絶しているな……!」


 「ネーミングセンスが絶望的に終わってるわよ!!!何がアビス・ローターよ、ただの股間じゃない!!」

 ゆうこのツッコミなど、今の彼には届かない。


 ぶおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!!!!!


 彼の妄想の加速に比例して、回転速度がさらに倍増した。一メートルだったクルスの一物が、高速回転の残像によって、まるで本当に軍用ヘリの回転翼のような美しい円盤を形成し始める。


 「うわぁぁぁぁぁ!!!なんかボス戦の第二形態に入ったァァァ!!」

 サクが涙をボロボロと流しながら大爆笑する。


 クルスはもう、誰にも止められなかった。完全に自分の世界に入り込んでいる。

 「聞こえるぞ……冥界の風が、この俺を、醸造酒の深淵へと呼んでいる……!」


 「呼んでないわよ!!!幻聴よ、今すぐ耳鼻科に行きなさい!!」


 「天より堕ちし、黄金と紫の酒の龍よ……今こそ我が呪われし酒気へ応え、その翼を広げよ!!」


 「この状況で無駄にカッコいい詠唱を始めるんじゃないわよ!!」


 クルスは止まらない。むしろ、完全にノッてきていた。ブリッジの状態で腰を激しく振りながら、くくく……と不気味に笑う。

 「見える……見えるぞ……」


 「何がよ、一体何が見えるっていうのよ!」

 ゆうこが半ばヤケクソで問いかける。


 「醸造酒大陸への、血塗られた栄光の航路が――!!」


 ぶわぁぁぁぁぁっ!!!!!


 医療所の天井へ向けて、黄金と紫の酒気が巨大な竜巻となって吹き荒れた。


 そして、彼のプロペラが、最終形態である【四メートル】にまで急速に成長したその瞬間、彼は天に向かって吼えた。


 「――《酒気推進型・回転飛行術ポコちんヘリコプター》!!!!!!」


 「技名だけ元のダサさに戻るんじゃねぇぇぇぇぇ描写とのギャップが凄まじいわよ!!」

 ゆうこの絶叫と同時に。


 どばぁぁぁぁぁぁぁん!!!!!


 凄まじい爆音とともに、彼は飛んだ。

 ブリッジ状態のクルスを中心として、猛烈な酒気の暴風が建物内をぐわんぐわんと駆け巡る。


 それと同時に、彼は医療所の頑丈な屋根をドカンと派手にぶち抜き、黄金と紫の光の軌跡を夜空に引きながら、その身体を上空へと一気に舞い上がらせたのだ。


 「うおおおおおおおおおおお!!!本当に飛んだ!!俺は今、風を支配している!!」

 上空からクルスの厨二病ボイスが響く。


 「あはははは!ほんとに飛んでるゥゥゥゥ!!!すごい、人間って本当に飛べるんだ!!」

 サクが屋根に開いた穴から空を見上げ、お腹を抱えて狂ったように笑う。


 だが。

 次の瞬間、上空のクルスの身体が、ぐらりと大きくバランスを崩して揺れた。


 「ちょっ……」

 「待っ……」

 「先生ぇぇぇぇぇ!!!これ、右側のプロペラのブレードの重量バランスが悪くて、全く安定しませんんんんん!!!目が回るぅぅぅぅ!!」


 クルスの厨二病モードが一瞬で解除され、いつもの情けない悲鳴に戻った。


 「でしょうね!!!自分の股間だけでバランスを取ろうなんて、物理法則を舐めすぎよ!」

 ゆうこが怒鳴り返す。


 ぶわんっ!!と酒気の渦が乱れ、クルスは空中でまるで制御を失ったかのように、激しい横回転を始めた。


 「うわああああああ!!!助けてぇぇぇぇ!」


 「あはは、洗濯機に放り込まれた猫みたいになってるわよ!」

 サクが指をさす。


 このままでは、遠心力でバラバラになるか、そのまま地面に激突してアルケラの言っていた"九回目の失敗例"になってしまう。


 その瞬間。

 サクの美しい瞳が、すっと細くなった。彼女の頭の中で天才的な閃きが閃光となって走ったのだ。


 「……ああ、なるほどね。そういうことか」


 「何がよ!?何か助ける方法があるの!?」

 ゆうこが急かす。


 サクはニヤリと、最高に邪悪で、かつ頼もしい笑みを浮かべた。

 「軸がブレるなら、外部から強制的に固定してあげればいいのよ」


 次の瞬間。

 パキン――!!!と、夜空に美しい音が響き渡り、空中へ、半透明に輝く無数の“ガラスの鎖”が突如として出現した。それはまるで、高級な酒瓶のように淡く美しく煌めいている。


 「えっ」

 「サク、あんた何をする気……?」

 サクは不敵に笑いながら、空中のクルスに向けてパチンと指を鳴らした。


 「――【硝酒鎖ガラスチェイン】!!」


 ガシャァン!!!と激しい音が響き、四本の太いガラスの鎖が、一瞬にして空中で暴れるクルスの両手両足へと、容赦なく巻き付いた。


 「うぎゃあああああ!?何これ冷たい!身動きが取れない!」


 「動くな危険物。今、あんたのジャイロ効果を修正してあげてるんだから」

 サクはそう言うと、手元のアームを引くような動作で、鎖をグッと強く引いた。


 ぎりっ――!!!

 クルスの身体が、空中で綺麗に、完璧な"大の字"の状態でガッチリと固定された。ブリッジ姿勢を強制的に解除され、手足を引っ張られた状態である。


 すると、どうだろう。四方を鎖で固定されたことにより、彼の腰から下の回転軸が完璧に安定したのだ。


 ぶおぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……と、風の音が一定の心地よい重低音へと変わっていく。


 「……あれ?」

 クルスが涙目のまま、空中で固まった。


 「ちょっと待って……これ……」

 「安定してるわね」

 ゆうこが、本当に、心底不愉快そうな"死んだ目"で呟いた。

 「最悪な方向に、人類の技術革新が起きてしまったわね。神への冒涜だわ、このシステム」


 サクはさらに、楽しそうに笑みを深める。

 「ふふん、私のスキルを舐めないで。まだよ、ここからが本番なんだから」


 「まだ何かあるの!?」

 ゆうこが戦慄する。


 空中に展開されたガラスの鎖が、パキン、パキンと綺麗な音を立てながら、次々と複雑に組み替わっていく。そして、大の字に固定されたクルスの身体の真下へ、半透明の強固な"床"と"手すり"が急速に形成されていった。


 それはまるで。

 観光用の気球の下にぶら下がっている、頑丈な【搭乗籠バスケット】のようであった。


 「えっ」

 「ちょっと待ちなさい」

 「これ、完全に完成し始めてるんだけど」

 ゆうこのツッコミが追いつかない。


 サクは得意げに、豊満な胸をドンと張った。

 「よし!大人二人なら、余裕を持って乗れるスペースが確保できたわよ!乗り心地もバッチリ!」


 「嫌すぎる用途説明だわ!!!誰がそれに乗るのよ!」


 すると、しゅわ丸が「しゅわ〜♡」と嬉しそうな声を上げ、屋根の穴からぴょーーんと大ジャンプして、完成したガラスの足場へと一番乗りで飛び乗った。


 ぶおぉぉぉぉぉん……


 クルスのプロペラが巻き起こす爽快な酒気の風が、空へと心地よく吹き荒れている。その安全な足場の下で、ガラスの鎖に完全に拘束されたクルスだけが、涙目でぶら下がりながら浮遊していた。


 最高に最低だった。その構図は、どこからどう見ても、新手のSMプレイか何かにしか見えなかった。


 しかし、サクは満足げに何度も頷く。

 「よし、これで移動手段の問題は解決ね! 快適な空の旅へ出発よ!」


 「できてたまるかァァァァァ!!!こんなので旅をしてたまるか!!」

 ゆうこが全力で叫ぶ。


 だがその時。

 ふわっ――と、ガラスの足場が、クルスの生み出す強烈な推進力によって、本当にゆっくりと前方へと動き出した。


 「…………」

 沈黙が流れる。

 サク。

 ゆうこ。

 そしてしゅわ丸。


 二人と一匹は、顔を見合わせ――。

 そして、無言のまま、ゆっくりとした足取りで、クルスが命を削って維持しているその搭乗籠へと乗り込んだ。背に腹は変えられなかった。


 動力源であるクルスだけが、大空に向かってワンワンと泣いていた。

 「なんで……なんで俺、みんなの便利な移動手段(乗り物)になってるんですかぁぁぁぁぁ!!!俺は人間だぞーー!!!」


 ――『うむ。クルスの自己犠牲とサクの魔術の融合……実に芸術的で、美しい飛行兵器じゃのぅ』


 「どこが芸術的よ!!!ただの変態の空中サーカスじゃない!!!」

 ゆうこが最後の力を振り絞って激しく突っ込んだ。


 そして。

 夜空に黄金色と紫色の怪しい酒気を激しく撒き散らしながら。


 ぽしゃけ医療所の一行は、人類の歴史上、最も下品で、最も最低で、しかし最も速度の速い最悪の飛行方法で、遥かなる醸造酒大陸に向けて、堂々と飛び立ったのだった。


 屋根に大きな穴が開いた医療所を背後に残して。



挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ