第46話『三つの大陸と、酔狂な世界』
いつもの軽さはある。
へらへらした、どこか人を食ったような神の調子もそのままだ。
それでもどこか、医療所の騒がしさの裏でふっと聞こえる、静かな本音みたいな響きが混じっていた。
――『……お主、この世界のこと、まだほとんど知らんじゃろ』
その言葉に、ゆうこは少しだけ表情を引き締めた。
たしかにそうだ。転移して、流されるようにサクと出会って、血尿のクルスを診て、気づけば谷でスライムを瓶詰めにして、「S級ぽしゃけ」を生成してた。
これまでの情報量がずっと事故物件並みに過剰だったせいで、世界そのものについて考える暇なんて、物理的にも精神的にも一秒たりともなかったのだ。
「……そういえば、ちゃんと聞いたことなかったかも」
サクも、心なしか真剣な眼差しで顔を上げる。
「俺も、この辺の街とギルドのことくらいしか分かってないです。……というか、必死すぎてそれどころじゃなかったですし」
クルスも少し真面目な顔になり、これまでの怒涛の展開を振り返るように吐露した。
アルケラが、脳内でふっと満足そうに笑う気配がした。
――『うむ。よい機会じゃ。お主らが立っておるこの大地の全貌、少しだけ語ってやろうかのぅ』
その瞬間、医療所の騒がしさが、少しだけ遠く感じた。
脳内に響く神の声が、不思議なくらい鮮明に、鼓膜を震わせる。
――『この世界はな、様々な"ぽしゃけ"がある。それが理なのじゃ』
「もうその時点で、ろくな話じゃない予感しかしないんだけど」
ゆうこが呆れたようにツッコミを入れるが、神は止まらない。
――『黙って聞けぃ♡』
「お前がその語尾で真面目な話するの、だいぶ無理あるのよ」
だがアルケラは機嫌を損ねる様子もなく、むしろ楽しそうに話を続けた。
――『この世界は、大きく分けて三つの大陸で成り立っておる。それぞれが独自の酒文化……つまり、独自の進化を遂げた土地じゃ』
一拍。
そして神は、どこか芝居がかった、重厚な調子で告げる。
――『ひとつ。お主らが今いる――【ぽしゃけ大陸】』
その名称が出た瞬間、ゆうこの脳裏に、この国の風景が勝手に浮かび上がった。
発酵の匂いが染みついた通り。三歩歩けば酒場に当たる街並み。酔っ払いがそこら中で無様に倒れているくせに、酒の製法や品質に関してだけは異常なほど文化水準が高い、歪な世界。
――『ここは“発酵”の大陸じゃ。果実酒、穀酒、蜂蜜酒、薬酒、保存酒、祝祭酒。生きることそのものが、醸されておる。あらゆる生命が微生物の鼓動と共にあり、その恩恵を享受しておるのがこの大陸よ』
「最後の表現、ちょっと綺麗にまとめようとしたわね。無理に神様っぽくしなくていいわよ」
――『事実じゃ。伊達に神はやっておらんからのぅ♡』
ゆうこの冷めた指摘をさらりとかわし、アルケラは誇らしげだ。
「……たしかに、この国の酒って“生活”そのものなのよね」
サクが少しだけ目を細め、愛おしそうにジョッキを見つめる。
「祭りも、商売も、医療も……俺が助かったのも、全部どこかで酒に繋がってますもんね。この大陸の空気、俺は嫌いじゃないです」
クルスも深く頷いた。
アルケラは満足そうに頷き、声を弾ませる。
――『そうじゃ。そして二つ目……ここからが本番じゃぞ』
空気が、少しだけピリリと変わる。
――『【醸造酒大陸】』
「……あれ?」
ゆうこが眉をひそめる。
「ちょっと待って。ぽしゃけ大陸も醸造寄りじゃないの?似たようなもんじゃないの?」
――『似ておるようで、全然違う。ぽしゃけ大陸が“共生”なら、あちらは“探求”……いや、“執着”の大陸じゃ』
アルケラの声が、一段低くなる。
――『あちらは“職人”の大陸。樽の材質、酵母の選定、菌の配合、温度、時間、熟成――そういう数値と理屈に狂った連中が支配する土地。一滴の味の差のために十年を費やす者、一樽の品質を守るために命を投げ打つ者、一本の酒を芸術として神格化する者。そんな変人――もとい、求道者が山ほどおる』
サクの目が、じわっと宝石のように輝いた。
「……ちょっと待って、それめちゃくちゃ面白そうじゃない?職人の狂気なんて、美味しいお酒が確定してるようなものよ!」
「食いつくな危険酒女。お前の『面白そう』はだいたいトラブルのトリガーなのよ」
ゆうこが制止するが、サクの情熱は止まらない。
「だって気になるでしょ!?命を懸けた一滴なんて、醸造家として飲まないわけにいかないわよ!」
「その理屈、たぶん色々と法に触れるレベルで危ないからね!?」
「ちなみに……治安は、どうなんですか?」
クルスが少し引き気味に、震える手で尋ねる。
――『味に関しては最悪にうるさいが、腕があれば英雄扱いじゃ。逆に、無能が酒を語れば鼻で笑われ、居場所を失う実力主義の土地でもあるのぅ♡』
「地味に、いや、かなり嫌なタイプの土地だわ!」
そして、アルケラは最後の大陸を告げた。
――『そして三つ目――【蒸留酒大陸】』
その名前が出た瞬間、なぜか酒場の中の空気が重く張りつめた。
サクが、動物的な直感でぴくりと肩を揺らす。
クルスも、無意識に背筋を伸ばし、唾を飲み込んだ。
ゆうこだけが、その異様な空気の正体を、言葉として先に拾い上げた。
「……そこ、なんか雰囲気が違うわね。名前からして、もっと尖ってるというか」
アルケラが、暗闇の中で光る獣のように静かに笑う。
――『よく分かったのぅ。蒸留酒大陸は、“強さ”の大陸じゃ』
「強さ?」
――『削ぎ落とし、濃縮し、純度を上げる。不純な雑味を消し去り、その本質、芯だけを徹底的に残す。あそこにあるのは、そういう研ぎ澄まされた思想じゃ。戦士、研究者、果ては王族までもが、共通して“濃いもの”を尊ぶ。力がすべて、純度がすべての大地よ』
ゆうこの脳裏に、自分の唯一の対抗手段である固有スキル――【圧縮】が浮かんだ。
削る。集める。要るものだけを残し、密度を極限まで高める。
(……どこかで、似ている)
自分の生き方と、その大陸の思想が重なるような、奇妙な感覚に襲われる。
「なんか怖いわね、その大陸」
――『怖いぞい♡ 魂を焦がすような酒が、山ほど眠っておるからな』
「そこは否定しなさいよ!!」
「じゃ、じゃあ……この三つの大陸って、交流とかあるんですか?それとも鎖国状態?」
クルスがおずおずと尋ねる。
――『あるとも。交易も、文化の交換も……そして、酒を火種とした争いもな。酒は人を繋ぐが、同時に欲も、誇りも、執着も生む。世界を動かすのは、いつだって酔狂な感情よ』
サクが、黙り込む。
クルスも、言葉を失う。
医療所の中ではまだ誰かが下品に笑っていて、奥の席では誰かが盛大に潰れていて、しゅわ丸はゆうこの肩で「しゅわぁ……」と幸せそうに泡を立てている。
日常のすぐ隣に、そんな壮大で、ろくでもない世界が広がっている。
世界の輪郭が、ぐにゃりと広がった気がした。
この街だけじゃない。
この国だけじゃない。
もっと広くて、もっと面倒で、もっと狂っていて、でも――たぶん最高に面白い世界。
アルケラが、今までにないほど柔らかく、いつくしむような声で言った。
――『どうじゃ、ゆうこ。せっかく生き直したんじゃ。この世界のことを、もっと知ってみる気はないかのぅ』
その言葉は、不思議なくらいまっすぐだった。
からかいでも、神の気まぐれでもない。
それは、この酒神なりの――不器用な、愛を込めた“誘い”だった。
ぽしゃけ大陸。醸造酒大陸。蒸留酒大陸。
知らない土地、知らない酒。
見たこともない病、聞いたこともない未知の素材。
そしてきっと、知らなくていい面倒ごとも山積みだろう。
(……めんどくさそう。マジで、死ぬほど)
まず最初にそう思った。現代日本で社畜を謳歌(?)していた身からすれば、安定こそが正義だ。
でも。
その“めんどくさそう”という感情の裏側で、心臓がトクン、と高鳴るのを感じていた。
以前の人生では、仕事に追われ、疲弊し、今日一日を乗り切るだけで精一杯。
知らない世界に踏み出すなんて、贅沢な余裕は欠片もなかった。
けれど、今は違う。
隣には、無茶苦茶だが頼りになるサクがいる。
正面には、不器用だが忠誠心の厚い護衛候補のクルスがいる。
そしてポケットの中には、勝手に進化して懐いてきたスライムのしゅわ丸までいる。
状況としては相変わらず最悪に近いが、決定的に違うことがひとつだけあった。
「……私は、ひとりじゃないのよね」
「当たり前でしょ!」
サクが、こちらの思考を読み取ったかのようににっと笑った。
「私はもう、行く気満々よ。ゆうこが嫌って言っても、引きずってでも連れて行くわよ」
「早いわね。決断の速さだけは一流だわ」
「だって面白そうじゃない!他の大陸の酒も、技術も、素材も見たい。なにより――」
サクは挑戦的な瞳で笑う。
「“私たちなら何が作れるか”を、その広い世界で試したいじゃない!」
クルスは一瞬だけ戸惑い、自分の弱気と戦うように息を吐くと、はっきりと顔を上げた。
「……正直、怖いです。でも、俺……このまま“変わりかけたまま”で止まりたくないです。先生に助けられて、サクさんと組んで、しゅわ丸まで増えて……。もう今さら『普通の自分に戻ります』なんて、情けない顔はできないですよ」
「まあ、アンタが元の地味な生活に戻れるとは、もう思えないわね」
「ですよね!だったら、ちゃんと見たいです。この世界も、そして、自分に何ができるのかも」
少しだけ照れくさそうに笑い、クルスはいつもの調子で付け足した。
「あと、単純にまた先生の作る、あの変な酒を飲みたいっていうのもあります!」
「最後で全部台無し!!感動を返してちょうだい!!」
「大事ですよ!命のガソリンですから!」
サクが吹き出し、しゅわ丸が「しゅわっ♡」と肯定するように鳴き、アルケラが頭の中でケラケラと笑う。
その賑やかなすべてを聞きながら、ゆうこはゆっくりと、自分の中の覚悟を噛み締めるように息を吐いた。
そして。
ゆうこは一度、目を伏せた。
次に顔を上げたとき、その迷いはもう消えていた。
「……そうね」
二人が、固唾を呑んでこちらを見る。
ゆうこは、いつもの少し面倒くさそうな、それでいてどこか晴れやかな口元を緩めて言った。
「どうせここにいても、ろくでもないトラブルは勝手に向こうから来るんでしょ。……だったら、こっちから見に行くのも、悪くないかもね」
一瞬の静寂。
そして――。
「やったあぁ!!」
「うおっ、サクさん、抱きつかないでくださいっ!」
サクが勢いよく立ち上がってクルスの肩を揺らし、しゅわ丸まで大はしゃぎし始めた。
『しゅわっ!!しゅわしゅわっ♡ぷるるんっ!!』
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ!まだ“検討する”って段階――」
――『よぉぉぉし決まりじゃな♡話がわかる女子で助かるぞい!』
「あんたも決めるの早いのよ!!」
アルケラが完全に上機嫌で、勝手に脳内にファンファーレを響かせる。
――『では次なる目標、三大陸酒めぐり!! ぽしゃけ医療所一行、世界進出編の始まりじゃのぅ♡』
「勝手に章タイトルをつけるな!メタ発言はやめろって言ってるでしょ!」
「いいじゃない、世界進出!看板書き換えなきゃ!」
「……なんか、ほんとに“始まり”って感じがしてきました」
ゆうこは額を押さえて、深いため息をついた。
けれど、そのため息は、決して不快なものではなかった。
たぶんこの先も、意味の分からないトラブルの連続だろう。
見たこともない化け物に追いかけ回されるかもしれないし、酒の味にうるさい偏屈な職人に杖で叩かれるかもしれない。
神はたぶん、今後もずっと、いや、ますます面倒くさくなるだろう。
それでも。
少しだけ、ほんの少しだけ――。
「先が楽しみだ」と、思ってしまった自分を、ゆうこは否定しなかった。
その時、しゅわ丸が、つぶらな瞳でゆうこを見上げた。
「……しゅわっ♡」
まるで、「一緒にいこう」と言っているみたいだった。
ゆうこは思わず吹き出し、優しく指先で叩く。
「……そうね。あんたも一緒なら、退屈だけはしなさそうね」
彼女は小さく笑い、仲間たちの顔を見渡した。
「じゃあまずは――」
サクとクルスが、身を乗り出して言葉を待つ。
「押し寄せてきた酔っ払い、片付けるわよ」
「結局そこなのね!!」
「最高!!現実的すぎてやる気出たわ!」
「ああ、助かります。俺、やっぱり先生についてきて正解でした!!」
医療所に、また一段と大きな笑い声が広がった。
それは新しい旅立ちを祝う、どんな名酒よりも芳醇な響きを持っていた。
こうして。
ぽしゃけ医療所の、そして“ゆうこたち三人と一匹”の物語は。
小さな街の、安酒の匂いがする一角から――
やがて三つの大陸すべてをひっくり返すような大騒動へと、音を立てて転がり始めていくのだった。
――もちろん、その途中で。
想像を絶するろくでもない酒と、さらにもっとろくでもない連中に山ほど出会い、ゆうこが何度も「もう帰りたい」と叫ぶことになるのだが。
それはまた、別の話である。
――つづく――
最後まで読んでいただきありがとうございます!
ついに世界観が広がりました。
これからやっと旅が始まります(笑)
ぽしゃけ大陸
醸造酒大陸
蒸留酒大陸
名前だけ見ると完全に酒のメニュー表ですが、本人たちは大真面目です。
ここまで読んで、
「世界広がった!」
「でも最初にやることは酔っ払い処理」
「しゅわ丸も旅メンバー確定で草」
と思ったら、
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2章は執筆中ですので完成次第投稿していきます。
次回からも、ぽしゃけ医療所一行をよろしくお願いします!




