第44話「金貨百枚の朝」
いつも通りぴっちり整った制服。きっちりまとめられた髪。完璧な営業スマイル。
ただし目だけは、まったく笑っていない。
その氷のような視線を受け、クルスは条件反射で背筋をピンと伸ばし、冷や汗を流しながら消え入りそうな声で絞り出した。
「お、おはようございます……」
ギルド嬢はにこやかに、しかし一切の慈悲を感じさせない動作で頷いた。
「おはようございます。皆様、昨夜はさぞかし賑やかだったようですね。朝まで飲み明かした挙句、深夜三時頃に『喋るスライムが乾杯した』という怪情報、いえ、通報が複数件入っております」
「通報されてたの!?」
ゆうこが驚愕に目を見開く。
「そりゃされるでしょ」
サクは遠い目をしながら、どこか他人事のように返した。
ギルド嬢は淡々と、手元の記録を読み上げ続けた。
「加えて、『神様の吸引音みたいな轟音がポケットから聞こえた』という証言もあります。街の安眠を妨害する怪音の正体について、何か心当たりは?」
「その件は、どうか忘れてください……」
ゆうこが必死に懇願するが、ギルド嬢の鋭い視線は、逃がさないと言わんばかりに彼女の白衣の右ポケットへと注がれた。
「忘れられるわけないでしょう」
無言でポケットを押さえるゆうこ。その手のひらの向こう側から、『すん……♡』と、妙に満足げで、それでいて申し訳なさそうな気配だけがシュルシュルと引っ込むのが分かった。
「怪しさが増しただけなんですよ!!」
クルスの悲鳴に近いツッコミが響くが、ギルド嬢は深追いせず、手元の分厚い書類束をテーブルに置いた。
どさっ、という重厚な音が、談話室の空気を引き締める。
「とはいえ」
彼女のその一言で、場の緊張感が一段階上がった。
「依頼品の回収、危険生物の処理、及び持ち帰り素材の提出については――」
彼女はそこで、意味深に溜めを作り、一枚の紙をぴらりとめくった。
「文句なしの大成功です。ギルドとしても、これほどの成果は想定外でした」
一瞬、三人の思考が停止した。
「……え?」
「ほんとに?」
「マジですか?」
重なった三人の声には、喜びよりも先に困惑が混じっていた。
ギルド嬢は事務的ながらも、どこか呆れたような溜息を隠さずに頷いた。
「ええ。正直に申し上げますと、最初に提出物を見た時は『この人たちは一体何を考えて、こんな危険物や得体の知れないものを持ち帰ってきたんですか』と頭を抱えましたが、鑑定班に回した結果、評価が一変しました。順を追って説明いたします」
彼女は丁重に、しかしどこか慎重な手つきで最初のアイテムをテーブルに置いた。コトッ、という軽い音が響く。
「まず、こちら。昨日、谷で採取された《琥珀のカケラ》です。当初はただの鉱石、あるいは樹脂の化石と思われていましたが、これは熟成種スライムの体内で長期間蓄積された酒気が固まり、変質した極めて希少な素材であることが判明しました」
「限定ドロップか……」
クルスが小さく息を呑み、その輝きを食い入るように見つめる。
ギルド嬢はカケラを朝日の方にかざした。内部で琥珀色の液体がゆらりと揺れ、まるで生きているかのような幻想的な光を放つ。
「通常個体からは絶対に得られません。透明度、純度ともに最高級。薬酒の原料、あるいは高度な酒触媒としての価値が極めて高いと判断されました」
その説明を聞いた途端、サクの瞳にプロの商売人としての光が宿る。
「じゃあ、当たり素材ってことね。しかも、かなりの」
「ええ、その通りです。これだけでも昨日の不祥事を帳消しにする価値がありますが、問題は次です」
ドンッ!
今度は少し乱暴な音を立てて置かれたのは、昨日ゆうこが瓶詰めにした赤酔いスライムの保存瓶だった。中では、ぷるぷるした赤い塊が、いまだに酒精を帯びたまま大人しく揺れている。
「《赤酔いスライム濃縮発酵体》。名前からしてすでに災害級の危険物ですが、貴女方が施した圧縮・封入処理が完璧であったため、安全な『素材』としての価値が認められました」
「名前が不穏すぎる……」
クルスが遠い目をして呟くが、ギルド嬢の話は止まらない。
「通常の赤酔いスライムは即時駆除対象ですが、この状態のものは高級酒の発酵促進剤として、醸造ギルドや研究機関が喉から手が出るほど欲しがる品です。もちろん、扱いを誤れば酩酊事故や爆発の危険があるため一般流通は禁止ですが、特定の機関との取引価格は跳ね上がります」
「……いくらになるの?」
サクが椅子から身を乗り出す。その目はすでに、金貨の計算を始めているようだった。
しかし、ギルド嬢はそれを制するように、最後の一枚の書類をゆっくりと持ち上げた。
「そして――真の問題は、これです」
彼女がテーブルの中央に置いたのは、あの透明な小瓶。
中で琥珀色の液体が朝日を受け、金色の粒子を舞わせながら輝いている。まるで瓶の中に朝焼けそのものを封じ込めたかのような、神々しいまでの美しさ。
「……《琥珀ぽしゃけ・極》」
ゆうこが自ら名付けたその名を呟くと、ギルド嬢は、これまでになく真剣な面持ちで頷いた。
「ええ。これに関しては、鑑定班が徹夜で、文字通り朝まで揉めました。『酒』か、『薬』か、あるいは『高位の素材』か。各分野の専門家が互いの領分を主張して譲らず、最終的には鑑定ギルド長まで駆り出される騒ぎになったのです」
「全部、ってことでいいんじゃない?」
ゆうこの言葉に、ギルド嬢は小さく息を吐いた。
「鑑定班も、最終的にはその結論に達しました。そして、下された暫定ランクは――S級相当。市場流通は即刻禁止。国家レベルの競売、あるいは特定の英雄クラスへの提供を前提とした保留指定がかかりました」
静寂が場を支配した。
「……えっと」
「はい」
「つまり?」
クルスの問いに、ギルド嬢は今日一番の、そして最も事務的な営業スマイルで答えた。
「端的に申し上げて、とんでもないものを作りましたね。街一つを酔い潰す気ですか?」
「雑なまとめ方ァ!!」
クルスの叫びが虚しく響く。
「やばい……ほんとにやばい……」
サクは顔を覆い、うわ言のように繰り返していた。
ギルド嬢はそんな三人を見守り、重厚な革袋を三つ、机に並べた。
じゃらっ、という、ずっしりと重い金属音が響く。
「さて、本題です。今回の依頼報酬、危険素材回収手当、特殊素材の買い取り、そして未知の物質発見による特別ボーナス……これらを合算した結果をお伝えします」
彼女は一文字一文字を噛み締めるように言った。
「金貨、百枚です」
凍った。場が、空気ごと。
ゆうこの脳内では、「百」という数字がゲシュタルト崩壊を起こしていた。
「……すみません。もう一回、お願いします」
「金貨、百枚です」
繰り返された言葉は残酷なほど明瞭だった。
「聞き間違いじゃなかった!!」
クルスが絶叫し、サクは頭を抱えて机に突っ伏した。
「ちょっと待って!! これ、新人の初採取報酬の規模じゃないわよ!? 国家予算の端数レベルじゃないの!?」
「私も知らないわよこんなの! 家建つ? これ家建つ?」
「立地によりますが、郊外なら屋敷が建ちますね」
ギルド嬢の冷静な回答に、クルスが「現実ラインを出してくるな!」とさらに絶叫した。
周囲の冒険者たちも、もはや嫉妬を通り越して恐怖に近い表情でざわめいていた。
「ひゃ、百枚だと……!?」
「俺の、俺の三年分の稼ぎが、酒一瓶に負けたのか……」
「あいつら、マジで何なんだよ! ぽしゃけ医療所、関わっちゃいけねぇ……!」
サクはうつろな目で金貨の山を見つめた。
「これ、舐めていい?」
「絶対にダメです!!」
クルスに全力で止められる。
だが、ゆうこ自身も震えていた。転生して、右も左も分からない世界で、ただの酒好きだと思われていた自分が、今、目の前に"人生を変えうる額"を突きつけられている。
実感がじわじわと、熱を持って胸に迫る。
「……ふっ」
ゆうこは、不意に笑った。
「何よ、急に笑って」
サクの問いに、ゆうこは金貨の山を指先で弾き、からんと澄んだ音を鳴らした。
「悪くないわね。この世界、そしてこの『稼ぎ方』」
その顔は、もはや被害者でも迷い子でもなかった。獲物を見つけた、熟練の勝負師のそれだった。さらに、ゆうこは続けた。
「よし。次、もっと採りに行くわよ。もっと凄いのを作るわよ!」
「「「「「また行くのかよ!?」」」」」
ギルド中のツッコミが重なり、瓶の中ではしゅわ丸が「さんせー♡」とでも言うように跳ねた。
しかし、ギルド嬢は最後に一枚、冷徹な請求書を差し出した。
「なお、昨夜の宴会場清掃費、床材の交換費、および消臭・苦情対応費についてですが…」
「「「あっ」」」
「一部経費として差し引かれています」
「差し引かれてこれなの!?」
ゆうこが信じられないといった様子で思わず叫ぶ。
「はい」
ギルド嬢は淡々と、しかし容赦なく頷いた。
「逆に怖いわ!!」
そのツッコミを合図に、ギルド中に爆笑が広がった。
朝っぱらから、笑い声と酒の噂と金貨のきらめきが入り混じる。
酔いどれの失敗を肴に、冒険者たちが賑やかにテーブルを叩いた。
そしてゆうこたちは、この時まだ知らなかった。
この“金貨百枚の朝”が――
ぽしゃけ医療所の名前を、一気に街じゅうへ広める始まりになることを。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今回はついに――
金貨、百枚です。
新人初採取の報酬じゃない。
もうそれは事件です。
ここまで読んで、
「ゆうこ、完全に稼ぎ方を覚えた」
「しゅわ丸がさんせーしてるの不安」
「ギルド嬢の胃が心配」
と思ったら、
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あなたの応援で、ぽしゃけ医療所が
医療所なのか、酒造所なのか、危険物保管庫なのか
さらに分からなくなります。
それでは次回、
町中大騒ぎ編で会いましょう。




