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第30話「切り札の代償」

 シューーーーッ!!!


 静寂を切り裂いたのは、周囲の空気が一瞬で消失したかのような、鋭く重い吸気音だった。

 ゆうこの指先から放たれたのは、強靭な精神と、長年の医療経験に裏打ちされた精密な制御が結晶化した

――「万象圧縮オールコンプレス


 ……フッ!

 放たれた蒼白い光球は、重力を無視した軌道を描き、熟成種スライムの側面に吸い込まれるように接触した。


 その瞬間だった。山のように巨大な、どす黒い赤色を湛えた怪物の身体が、まるで強烈な電気ショックを受けたかのようにびくんと跳ね上がる。


 そして――。

 ぶるるるるるるるるるるっ!!!


 この世の理から外れた、奇怪な駆動音が戦場に響き渡る。

 巨大なスライムの身体が、万象圧縮の着弾した一点を中心に、目に見えない巨大な万力で絞り上げられるようにして急速に収縮を始めたのだ。外側から猛烈な圧力で圧搾され、逃げ場を失った体液が内部で激しく軋みを上げる。その光景を緊張しながら見守っていたサクが、ついに歓喜の叫びを上げた。


 「効いてる!!見て、あんなに巨大だったやつが……!」


 サクの視界の中、熟成種スライムはのたうち回り、毒々しい赤い泡を四方八方に撒き散らしていた。それは怪物の断末魔にも似た絶叫。


 だが、ゆうこのスキルはどこまでも残酷で、そして正確だった。

 彼女は怪物の生命の核である“中心の核”をあえて傷つけない。その周囲にある膨大な体液、汚染された発酵液だけを狙い澄まして締め上げていく。それは、健全な組織を傷つけずに腫瘍だけを摘出する、極限の外科手術そのものだった。


 「うっ……、くぅ……!」

 ゆうこの額からは、滝のような汗が流れ落ち、地面を濡らしていく。


 視界は既に白く霞み始めている。だが、彼女は指先一つ、意識の一片すら揺らすことを許さない。

 これは医療の現場における"処置"なのだ。患部を残して、その周囲を汚染ごと封殺する。失敗すれば、エネルギーは反動となって術者と周囲のすべてを木っ端微塵にするだろう。わずか数ミリの誤差も許されない。


 ゆうこは、神経が一本ずつ焼き切れるような激痛に耐えながら、歯を食いしばり、ただ一点を見据える。

 「いける……。このまま……閉じ込める……!」


 熟成種スライムの巨体は、今やかつての数分の一にまで縮んでいた。

 弾ける泡、腐臭を放ちながら滴る発酵液。外壁という名の盾を剥がされ、その奥深くに隠蔽されていた「元凶」が、ついにその姿を露わにしようとしていた。


 「見えてます!先生、中のやつ、はっきりと見えてます!!」

 クルスが震える足で立ち上がり、声を張り上げる。


 スライムの核を包んでいた神秘的な、だが禍々しい輝き。それが今、ゆうこの圧倒的なスキルによって引きずり出されようとしていた。


 「そのまま、逃がさない……ッ!」

 ゆうこが、自らの命を削り取るかのようにして、最後の力を掌に込める。


 ぶぎゅぅぅぅぅっ!!


 空間そのものを押し潰すような圧壊音が響き、スライムの身体が最後の一絞りを受けた。


 ぼふっ。


 呆気ないほど弱々しい、枯れた音を立てて怪物は沈黙した。

 形を保てなくなった赤い液体が、どろりと力なく地面へ広がる。まるで舞台の幕が下りた後のように、辺りには静寂が降りる。


 その悲惨な液体の中心で――。


 ころん。


 可愛らしい音を立てて、一つの結晶が転がった。

 琥珀色の、どこまでも透き通った欠片。


 先ほどまでの醜悪な怪物の一部だったとは信じがたいほど、それは光を受けてきらりと無垢に輝いていた。勝利の証であり、同時に多くの犠牲の上に成り立つ不吉な副産物。


 ゆうこはその輝きを視界の端で確認すると、肺に残った最後の空気をすべて吐き出した。

 達成感はない。ただ、恐ろしいほどの"重み"が、今まさに彼女を迎えに来ていた。


 琥珀の欠片が、静かに地面に静止する。

 ――その直後だった。


 「っ……!!」

 ゆうこの膝が、支えを失った操り人形のようにがくんと落ちた。


 ぐにゃりと世界が反転する。平衡感覚を司る機能が完全に麻痺し、視界が激しく揺れる。遅れて、全身に数トンの鉛を流し込まれたような重圧がのしかかった。


 一歩、踏み出そうとしても、足には感覚がない。まるで自分の身体が他人のもの、あるいはただの泥の塊に変わってしまったかのような、気味の悪い乖離感。ゆうこの顔は苦悶に歪み、呼吸が喘鳴へと変わる。


 「ちょ、ゆうこ……!?」

 サクの焦燥に満ちた声が、まるで遥か遠い異界から届くように響く。


 今、ゆうこの世界を支配しているのは、ドクン、ドクンと鼓動を打つ心臓の暴走音だけだ。不規則に、そして暴力的に胸板を叩くその音は、生命の維持装置が崩壊寸前であることを告げていた。


 「……これ、やば……」

 肺が焼けるように熱い。空気を求めて口を大きく開けても、酸素が細胞に届かない。

 いや、血の巡りそのものが、目に見えない「澱み」によって堰き止められているのだ。震える腕を見れば、指先まで細かく痙攣し始めている。


 「……は、はは……」

 死を目前にした者のような、乾いた笑いが漏れる。

 医療者である彼女には、自分の体内で何が起きているか、あまりにも鮮明に理解できてしまった。


 さっきの一撃。“現象ごと強引に押し込めた”代償。外側のエネルギーを圧縮するために使った力のベクトルが、術後、そのまま自分自身の体内へと逆流したのだ。


 「マジで……反動えぐ……」

 ぐらりと身体が大きく傾く。

 もはや、ただ座っていることさえ不可能な限界点。


 ドサッ!


 鈍い音を立てて、ゆうこの身体は地面の冷たい土の上に崩れ落ちた。


 「ゆうこ!!」

 「先生!しっかりしてください!!」

 サクとクルスが同時に駆け寄る。二人の顔には、勝利の喜びなど微塵もなく、ただ目の前の恩人が壊れていくことへの恐怖だけが張り付いていた。


 「触んな……」

 ゆうこは、伸ばされた手をかすれた声で拒絶した。

 「今……たぶん、体内ぐちゃぐちゃ……。下手に動かしたら……心停止する……」

 その冷徹な自己診断が、二人の足を凍りつかせる。


 循環系、呼吸器、そして筋肉の神経伝達。すべてが崩壊している。無理やり一点にまとめて放った巨大なスキルの反動――その“歪み”が、帳尻を合わせるために彼女の肉体を内側から破壊し、熱となって全身を焼き尽くしていた。


 「動け……ない……」

 指先一つ、自分の意思が届かない。

 その無様な、しかしあまりに壮絶な姿を見つめ、サクは歯を食いしばる。

 「何したのよ、あんた……!そこまでして……こんな体になってまで!」


 ゆうこは、視界が消えかかる中で、うっすらと唇の端を上げた。

 「見ての通り……無茶な処置」


 肺に残ったわずかな酸素を、言葉に変える。

 「現象を閉じるってのはね……外だけで完結しないの。この世は常に等価交換……」


 動かない首の代わりに、視線だけで琥珀の欠片を指し示す。

 「押し込めた分……どこかで必ず帳尻が合う。……それが――」

 震える指を這わせ、自らの胸元を、心臓の辺りを指し示した。

 「ここに来る」


 「それ、毎回こうなるんですか……!?これを使うたびに先生は!」

 クルスの叫びに、ゆうこは即答した。

 「……なる」

 一切の迷いがない、断固とした答え。


 「だから……切り札」


 意識はまだはっきりしている。死の淵を覗きながらも、彼女の頭脳は冷静に"回復までの時間"を算出しようとしていた。

 「しばらく……数時間休めば戻る。……でも連発したら――」


 一瞬、不吉な沈黙が流れる。

 「立てなくなるどころか、そのまま内側から潰れるかもね。自分の力で、自分を圧殺する……最悪な死に方よ」


 「笑えないんだけど!?そんなの、術式でもなんでもないわよ!」

 サクの声は震えていた。


 ゆうこは静かに目を閉じ、胸を貫く痛みが過ぎ去るのを待つ。

 「……まあ」


 小さく、独り言のように。

 「効くでしょ?」


 その問いに、サクは言葉を失う。

 あの化け物を、一撃で。


 代償は甚大だが、結果は完璧。これこそが、彼女が「先生」と呼ばれる理由であり、戦場で信頼される理由なのだ。


 ゆうこは再び薄く笑い、ゆっくりと目を開けた。

 「だから言ったでしょ」

 その瞳は、まだ死んでいない。


 「強い処置ほど、患者より先に術者が死ぬの」

 口元を上げ、傲慢なまでに言い放つ。


 ただ、万象圧縮の反動が、彼女の身体を限界以上にむしばむ。


 ――その代償は重すぎた。


 血の池に倒れ、泥にまみれながらも。

 その瞬間、彼女は間違いなくその場の誰よりも、気高く、そして美しかった。


それでもやるのが――現場の切り札。




挿絵(By みてみん)

最後まで読んでいただきありがとうございます!


ここまで読んで


「ゆうこ無茶しすぎ」

「万象圧縮こわすぎ」

「でもめちゃくちゃかっこよかった」


と思ったら


▶ブックマーク

▶★★★★★評価


で応援してもらえると嬉しいです!


あなたの応援で

ゆうこの回復時間が少しだけ短くなります。(たぶん)


それでは次回、


倒れた先生、どうなる問題


でお会いしましょう!


※切り札は用法・用量を守ってください。

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