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第27話「異空間ポケット、初稼働」

 クルスがその気配に怯え、一歩身を引いた。

 「……先生、それ、本当に持ち歩くんですか? この世の終わりみたいな色してますよ?」

 「持ち歩くに決まってるでしょ」

 ゆうこは一秒の迷いもなく即答した。

 「こういう手に負えない危険物は、その辺に放置して他人に被害が出る方がよっぽどダメ。私の監視下に置くのが一番安全なのよ」


 「言ってることは聖人君子並みに正しいのに、やってることがだいぶ狂ってるんですよ……!」

 クルスの嘆きを無視して、サクが瓶の側面を指先でつついた。こん、と硬質な音が響く。

 中のスライムが、不快そうにむにょん、と大きく揺れた。


 「でも、確かにこのサイズならポケットに入るわね。あとは――その天界直通ポケットとやらが、ちゃんと機能するかどうかだけど」


 その一言を合図に、三人の視線が一斉に、ゆうこの白衣の右ポケットへと注がれた。

 ぽつん、と一つだけ付いている、異様なまでに主張の激しい右ポケット。

 見た目は布製で、何の変哲もない。だがその奥底は、理性を超えた神の天界と繋がっている。

 ゆうこは少し眉をひそめ、ポケットの縁を掴んだ。


 「……なんか、生理的に嫌なのよね」

 「何がですか?便利じゃないですか」

 「経験上、“便利すぎるもの”って、だいたい後からとんでもないクソ仕様が判明するのよ。無料ほど高いものはないってね」

 「……それは、痛いほど分かります」

 クルスが過去のトラウマを思い出したのか、妙に真剣な面持ちで深く頷いた。

 「俺の『強制身代わりスキル』とか、まさにそのタイプですからね……」

 「あんたの場合は便利以前に、存在そのものが事故物件なのよ」


 ――『手厳しい♡相変わらずキレのある毒舌じゃのぅ!』

 「お前は一生黙ってろ!!」

 ゆうこは毒を吐きながら、意を決して白衣の右ポケットにそっと左手を差し入れた。


 指先がポケットの底に触れた瞬間、ふっと奇妙な感触が伝わってきた。

 本来ならそこにあるはずの布の裏地が感じられない。底なしの奥行きがあり、空間が粘土のようにやわらかくたわんでいる。


 まるで、温い水面に指を沈めているような、不気味な感触だった。


 「……うわ、何これ。最悪」

 ゆうこは露骨に嫌悪感を示し、顔をしかめた。

 「どう?感触は?」

 サクが興味津々に身を乗り出して尋ねる。

 「一言で言うなら、気持ち悪いわ。生理的に無理なやつ」

 「いやいや、正直すぎて逆に清々しいわ!」

 

 ゆうこは一度深呼吸をして精神を整えると、スライム入りの瓶をしっかりと持ち直した。

 中の赤酔いスライムは、これから起こる異常事態を察知したのか、先ほどよりも激しくぷるぷると震え始めている。


 「……あら、嫌がってる?」

 サクがスライムの様子を見て、面白そうに目を細めた。

 「抵抗してるわね。本能的にヤバい場所だって理解してるのかしら」


 クルスが急に顔を青ざめさせ、ゆうこの手を止めようとした。

 「や、やめた方がよくないですか!?生き物が全力で拒否する収納って、たぶん倫理的に相当まずいですよ!?愛護団体が黙ってませんよ!」

 「この世界で今さら、そんな立派な倫理観を持ち出すなよ」


 「そうだよクルス。この世界、神様が降臨した時点で倫理とか物理法則は死んでるんだから」


 ――『大丈夫じゃよぉ♡死なん死なん。ちょっとの間、異次元の狭間で揉まれるだけじゃから♡』


 「“死ななきゃいい”で済む問題じゃねぇんだよ、このクソ神!!」

 ゆうこは荒々しく叫びながらも、動作は精密そのもの。真顔のまま、瓶の底をポケットの口へとゆっくり近づけていった。


 「……いくわよ。異空間デビューおめでとう」

 瓶が白衣の右ポケットの縁に触れる。


 その瞬間――すぅっ、と。


 物理的な質量を持ったはずの瓶の底が、まるで水面に吸い込まれるように、音もなく布の中に沈んでいった。


 「「「えっ」」」


 三人の驚嘆の声が重なる。

 それは手品というよりも、空間そのものが瓶を食べているような光景だった。何の抵抗もなく、ぬるりと、ガラスの感触が消えていく。


 「なにこれ!?本当に吸い込まれてる!」

 「入ってる入ってる!魔法みたい!」

 「怖っ!やっぱり神の道具は怖すぎる!!」


 クルスが恐怖のあまり半歩後ろに飛び退いた。

 瓶は、半分、さらにその先まで、布を盛り上げることなく吸い込まれていく。


 瓶の中の赤酔いスライムは、未知の領域に引きずり込まれる恐怖からか、最後の抵抗とばかりに瓶の中で激しくのたうち回った。


 ぷるるるるるるるっ!!


 逃げ場のない瓶の中で、スライムの激しい震動が起きる。その反動で、液体成分から赤い泡がぼこぼこっと不気味に湧き上がった。


 「ちょ、暴れた!?爆発する!?」

 「密閉が甘かった!?中身が出るわよ!」

 サクが焦って叫ぶ。だが、ゆうこは一瞬の観察で即座に状況を切り分けた。


 「いや、違う――これは攻撃じゃない、ただのパニックね!」

 「ただのパニックで済ませていい挙動じゃないですよ!危険物の暴走ですよ!!」

 クルスの悲鳴が響く中、瓶の中のスライムが、最後のあがきとして体内のアルコールを一気に発酵させた。


 ぼふっ。


 一拍遅れて、瓶の内部で小規模な炭酸爆発が誘発される。


 ポンッ!!


 シャンパンの栓を抜いたような乾いた音が響いた。

 「うわっ!?やったか!?」

 クルスが反射的に顔を伏せる。サクは呆れたように肩をすくめた。

 「熟成が早すぎない?どんだけストレスに弱いのよ、そのスライム」

 だが幸いなことに、天界のポケットの吸引力の方が勝っていた。


 瓶は割れることなく、むしろその内部爆発の勢いを利用するかのように、スポンッ!という快音を残してポケットの奥底へと完全に姿を消した。

 「入った……!」


 サクが拍手せんばかりの勢いで叫ぶ。ゆうこも思わず、何も入っていないかのように平坦なままのポケットの口を掌で押さえた。


 そこにはもう、瓶の姿も重みも感じられない。見た目はただの清潔な白衣のままだ。


 しかし、その内側には確実に――圧縮され、激しく発酵し、今や生物兵器一歩手前の危険度と化した「赤酔いスライム」が格納されている。

 現場を支配するのは、数秒間の静まり返った沈黙。


 クルスが、震える指先でゆうこのポケットを指しながら、恐る恐る口を開いた。

 「……今、確実に、先生のポケットの中に“酔って燃えて爆発する謎のドロドロ”が収納されましたよね」


 「ええ、そうね」

 「それ、客観的に見てやばくないですか?」

 「ええ、客観的にも主観的にも、かなりやばいわね」


 「なのに何でそんなに冷静なんですか!!」

 ゆうこは無表情のまま、右ポケットを軽く外側から叩いてみた。ぽふ。


 すると、何も入っていないはずの空間から、わずかな、しかし確かな返答が振動として伝わってきた。


 ぷるん。


 「返事した!!?生きてる!!中で生きてる!!」

 クルスがこの世の終わりを見たような顔で絶叫した。

 「今、中から意志を感じる音がしましたよね!?」

 「……確かに聞こえたわね。生命の神秘かしら」


 サクが面白がってニヤニヤしながら、ゆうこの肩を叩く。

 「もう半分ペットじゃない。ゆうこ、飼い主の自覚持ったら?」

 「やめて。そんな物騒なものに愛着が湧いたら、私の医者としてのキャリアが終わるわ」


 ――『おっ、いいのぅ。せっかくじゃし、名前でもつけるかのぅ♡』

 「つけねぇよ!!余計な情を持たせるな!!」

 ゆうこが即座にブチギレるが、アルケラの悪ノリは止まることを知らない。


 ――『赤くてぷるぷるで、ちょっと危険で、たまに自爆して発酵して――そうじゃな……』


 「情報が全部マイナス要素なんだよ! プラスの要素を一つでも挙げてみなさいよ!」


 ――『“ぽよ酒丸”とかどうじゃ?可愛かろう♡』

 「絶妙にダサい上に、名前から漂う不穏さが嫌すぎる!!」

 そのあまりに締まらないネーミングに、サクがついに耐えきれず腹を抱えて笑い始めた。


 「ぽ、ぽよ酒丸……!いいじゃない、強そうだよ!」

 クルスも必死に笑いを堪えていたが、ついに吹き出した。


 「だ、ダメだ……語感のインパクトだけは無駄に強い……!」

 「笑うな!あんたたちも!絶対にそんな名前で呼ばないからね!!」

 烈火のごとく怒るゆうこだったが、無意識のうちにもう一度、右ポケットをそっと押さえていた。


 異空間の中では今も静かに、あの赤い危険物が眠っている……たぶん。

 いや、「たぶん」では困るのだが、それでもこの利便性は計り知れない。


 どんなに重い物でも、どんなに危険な物でも、このポケット一つで安全(?)に運搬できる。大量の医療物資を常に持ち歩き、即座に取り出せる。


つまり――。


 ゆうこの瞳の奥に、じわりと「欲望」にも似た探求心の火が灯った。

 サクはその変化を逃さず、悪魔のような笑みを浮かべて囁く。

 「……あ、その顔。今、悪いこと考えてるでしょ」

 「何よ。私は常に患者の利益を考えてるわ」

 「嘘おっしゃい。完全に“これで珍しい素材をもっと集め放題だな”って確信した顔だよ」


 それを聞いたクルスが、戦慄した表情で音を立てずに後ずさる。

 「やめてくださいよその顔!!先生がその『効率重視の職人顔』になった時って、だいたい俺が実験台にされたり、無理難題を押し付けられたりして被害を受けるんですから!!」


 ゆうこはクルスの抗議を鼻で笑い飛ばすと、使い古された万能シャベルを勇ましく肩に担ぎ、純白の白衣の裾を鮮やかにひるがえした。

 右ポケットには、瓶詰めされた生ける災害・赤酔いスライム。


 左手には、血と土に塗れた相棒のシャベル。

 そして目の前には、まだまだ未知の危険素材が眠る、広大な赤酔いの谷。

 ゆうこの顔には、もはや当初の困惑など微塵もなかった。


 そこにあるのは、完全に"効率的な採取の味"を占めてしまった人間の、恐ろしくも頼もしい不敵な笑みだった。




挿絵(By みてみん)

最後まで読んでいただきありがとうございます!


ここまで読んで


「ポケット欲しい」

「でも絶対事故る」

「ぽよ酒丸、普通に定着しそうで怖い」


と思ったら


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で応援してもらえると嬉しいです!


それでは次回に会いましょう。

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