第136話『神様、全部飲んだ』
「ちょっと待って、嘘でしょ……!?」
慌てて右ポケットを両手でガッチリと押さえ込む。
しかし、中から響く轟音は収まるどころか、ますます勢いを増していく。
ゴボボボボボボボボボッ!!
ズゾゾゾゾゾゾゾォォォォォッ!!
「これ、私、知ってるぅぅぅぅぅぅ!!」
ゆうこの顔が、恐怖と絶望で盛大に引きつる。
「この最悪すぎる液体吸引音、前にもどこかで聞いたことあるぅ!!」
その隣で、サクがすでに耐えきれなくなったように肩を激しく震わせ始めている。
「ま、まさか……このタイミングで……っ」
クールだったはずのクルスも、この時ばかりは遠い目をして現実逃避の表情を浮かべた。
「アルケラ様……ですね……?」
その絶妙なタイミングで。
――『ふぉっふぉっふぉっ……』
「やっぱりお前かぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ゆうこが青筋を立てながら天に向かって絶叫する。
――『いやぁ、すまんすまん。あまりにも極上の美味そうな香りが空間の隙間から漂ってきたからのう』
「勝手に他人のポケットから酒を飲むな!!」
――『だってお前、あそこに余っとったじゃろ?』
「余ってたけど、そういう問題じゃないでしょ!」
――『なら何の問題もないじゃろうて』
「問題しかねぇわ!!」
そのやり取りの最中も、ポケットの中からは容赦のない音が響き続ける。
ゴボボボボボボボボボボッ!!
「って、現在進行形でまだ飲んでるぅぅぅぅぅぅ!!」
ゆうこは必死の形相で自分のポケットをバシバシと叩く。
「ちょっと待って! それ、何リットル入ってると思ってるの!?」
――『知らん』
「容量を知らずに次元を超えて飲んでんの!?」
――『美味い酒に、そんな野暮な容量など関係ないわい』
「呑兵衛の極みみたいな理論で物理法則を突破するな!!」
あまりのシュールな光景に、サクはとうとう笑いの沸点を超えてしまったらしい。
「あはっ……!」
一拍の静寂ののち。
「あはははははははっ!!」
サクはたまらず腹を抱え、その場にへたり込んで笑い転げ始めた。
「また、この音……! 無理、お腹痛い! 神様が異空間越しに全部吸い取ってるよ!」
「笑ってる場合じゃないからね!? こっちは死活問題なの! 私のポケットの向こう側で、神様が巨大な蛇酒を下水処理場みたいな豪快な音で飲み干してるのよ!?」
「あははははは!!もう無理!」
一方で、ほかてんはまだこの超常現象の全貌を脳内で処理しきれておらず、きょとんと目を丸くしていた。
「ねぇ、ゆうこ」
「なに、早く一緒にポケットを抑えてよ!」
「今さ」
ほかてんは、冷や汗を流すゆうこの白衣のポケットを、おそるおそる人差し指でツンツンと突き刺す。
「その中にあるバブ酒をさ」
「そう」
「神様が、今、実際に飲んでるの?」
「そうよ、リアルタイムでね!」
「ポケットの布切れ一枚を挟んだ向こう側で?」
「だからそう言ってるでしょ!」
「全部?」
「たぶん、この調子だと一滴残らず全部いかれるわね!」
「…………」
ほかてんはしばらく真剣な顔で天井を見上げ、熟考した。
そして、出した結論をぽつりと口にする。
「……怖っ」
「私も最初に気付いた時は全く同じ感想を抱いたわ!!」
絶叫するゆうこの耳に、再びトドメの一撃が叩き込まれる。
ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾォォォォッ!!!!
「おいおいおい、さっきより吸引力上がってない!?」
――『ふぉっふぉっふぉっふぉっ!』
脳内に響くアルケラの声は、もはや完全に機嫌のピークに達していた。
――『これは旨いぞぃ、これはたまらん!』
――『蛇由来の濃厚でワイルドな美味!』
――『ベースの焼酎が持つ圧倒的な力強さ!』
――『そして、ほのかに残る麹精霊たちの清らかな気配まで完璧に調和しておるわ!』
「急に食レポのクオリティをちゃんとしてくるの反則でしょ!」
――『うむ、実に素晴らしい』
一拍の絶妙なタメ。
――『我、この味はかなり好きじゃぞ』
「感想が軽すぎるわ!!」
しかし、アルケラのその声音は、神の威厳など微塵も感じさせないが、代わりに嘘偽りのない心からの満足感に満ちあふれていた。
――『素直に認めよう』
――『この異世界のバブ酒』
――『酒飲みとしての歴史において、なかなかの傑作の出来栄えじゃ』
「ほう、『なかなか』、ねぇ……?」
ゆうこは片方の眉をぐっと釣り上げて不敵に笑う。
――『いや』
少しだけ言葉を濁すように間を置くアルケラ。
――『かなり、じゃな。訂正しよう』
「おっ」
ほかてんの目が、好奇心できらきらと輝き始める。
――『下手すれば、この広大な焼酎の国を代表する、歴史的な新しい名酒になるかもしれんぞぃ』
「…………」
ほんの一瞬。
その場にいたゆうこたち三人は、言葉を失って顔を見合わせお互いの表情を確認した。
ほかてんは、さきほどまで巨大瓶が堂々と鎮座していた空間を名残惜しそうに見つめる。
「……本当に、そんなに美味しいの?」
――『うむ、間違いはない』
――『少なくとも』
――『我が、この手で、いや、この口で全部飲み干したくなる程度には美味いのう!』
「結局は自分勝手な動機が基準になってるじゃない!!」
その瞬間にも。
ゴボボボボボボボボボボボボッ!!
「まだ飲んでるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
終わりなき暴飲の音に耐えかねて、サクは再び床に崩れ落ちる。
「あはははははっ、もう無理、お腹がよじれる……!」
クルスもまた、天を仰いで深々と息を吐き出した。
「……こうなったら、もう好きにさせましょう。神の食欲は誰にも止められません」
完全に悟りを開いた者の顔で、クルスはそっと目を閉じた。
ゆうこは、自分の白衣の右ポケットを、トボトボとした足取りで見下ろす。
そして、本日何度目か分からない深いため息を、夜空に向けて盛大に吐き出した。
「はぁ……やってられないわね……」
その時ポケットの底から、いよいよ最後のフィナーレを告げる音が響く。
ズゾゾゾゾゾゾゾゾゾォォォォォッ!!
世界が歪むかのような、凄まじい最後の吸引音。
それが途切れた直後。
ピタリと、周囲の空気が嘘のように静まり返った。
「…………」
息を詰まらせたゆうこが、恐る恐る自分のポケットを覗き込むように凝視する。
「……ねぇ、全部終わった?」
――『…………ぷはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!』
耳を劈くような、清々しいまでの解放音。
「飲みっぷりがでっかぁぁぁぁぁぁ!!」
満足度百点満点。
遠慮のかけらもゼロ。
神様という肩書きが完全に脱落しているほどの、あまりにも俗っぽくて。
見ていて腹が立つほどに最高に幸せそうな、満足の吐息だった。
――『ふう、うむ』
――『実に良い酒だった、ごちそうさまじゃ』
「一滴残らず全部飲んだの!?」
――『当然じゃ、一滴たりとも残しておかんわ』
「これ何人前の宴会用の量だと思ってんのよ!!」
――『ふっ、細かいことを気にするでない。なにせ、我は神じゃからのう』
「神様を便利な免罪符の万能ワードにするな!!」
その魂のツッコミを最後の置き土産にして。
アルケラの声は、満足げな余韻を残したまま、ふっと綺麗に消え去っていったのだった。




