第133話『みんなを里へ帰そう!』
誰もが、その異様なほど巨大なガラス瓶から視線を外せずにいた。
濃厚な琥珀色を湛えた液体の中。
ついさっきまで岩山を激しく揺らし、咆哮を上げて暴れ回っていた大蛇はすでに息絶え、今では巨大なガラス瓶の中、琥珀色の酒に静かに沈んで《バブ酒》の一部となっている。
「…………」
ゆうこは腕を組み、冷ややかな視線のまま巨大な瓶を見上げた。
「……できた」
「できちゃったわね」
隣でサクも、あんぐりと口を開けたまま呆然と見上げる。
一方、ほかてんは目をきらきらと輝かせ、小動物のように瓶の周囲をぴょんぴょんと跳ね回っていた。
「すごい……! こんな大きなぽしゃけ、初めて見た!」
「でしょうね」
クルスが静かに、やれやれといった調子で呟く。
なにしろ、瓶のサイズだけでも小さな家が丸ごと一軒入りそうなほどの大きさだ。
その底知れぬ容量の中に、禍々しい大蛇が一本、まるごと漬かっているのだから無理もない。
「……で」
サクが腕を解き、低い声で問いかけた。
「これ、どうするの?」
「え?」
ゆうこが怪訝そうに振り返る。
サクはあごで巨大瓶をしゃくってみせた。
「持って帰るんでしょ?」
「…………」
「…………」
言われて、ゆうこはもう一度そちらへ目を向けた。
でかい。
あまりにも、でかい。
「ポコちん龍に……」
「無理じゃない?」
「ですよねぇ……」
ゆうこは重みが増した額に手を当て、深い溜息を吐き出す。
せっかく完璧に完成させたというのに、これでは本末転倒だ。
「どうしよう……」
ほかてんが無邪気に首をかしげる。
「ここで飲む?」
「量がおかしいでしょ!」
「みんな呼んでくる?」
「何万人必要なのよ!」
ピシャリとツッコミを入れたその瞬間。
――『ふぉっふぉっふぉっ』
アルケラの底意地の悪そうな笑い声が響いてきた。
――『ゆうこよ』
「なによ」
――『お主、本当に忘れっぽいのう』
「……は?」
ゆうこが不機嫌そうに細めた眉間に皺を寄せる。
アルケラは愉悦を含んだ声を弾ませて続けた。
――『白衣』
「白衣?」
――『右』
「右?」
――『ポケット』
「…………」
促されるまま、ゆうこの視線がゆっくりと自身の白い裾へと落ちていく。
そこにあるのは、一見すれば何の変哲もないただの布のポケット。
しかし、その実態はアルケラの天界収納領域へと繋がる、底知れぬ異空間ポケットだった。
自分で直接手に入れた物であれば、物理的な大きさや質量など完全無視して何でも呑み込める代物だ。
「…………あ」
ゆうこの丸くなった瞳から、徐々に状況が理解されていく。
それに遅れて、サクもにはかに色めき立った。
「あっ!」
クルスも深く頷く。
「なるほど……!」
しかし、頭の上をててんと飛ばしているほかてんだけが、相変わらず首を傾げたままだ。
「何?」
ゆうこはもったいぶるように、自身の白衣の右ポケットの口を指先でつまみ、ゆっくりと開いてみせる。
「これ」
「ポケットだよね?」
「そう」
「この中に入れるの?」
「そう」
ほかてんは視線を往復させる。
目の前にある家のように巨大なバブ酒の瓶。
そして、指先でつまめるほど小さな白いポケット。
再び、巨大瓶。
そして、またポケット。
「…………」
「入るわけないじゃん」
「入るのよ」
「嘘ぉ!?」
ほかてんの裏返った悲鳴のような声が、だだっ広い岩山に虚しくこだました。
ゆうこは鼻を鳴らすと、巨大瓶の目の前へと歩み寄る。
そして、右ポケットの口をぱかっと大きく広げた。
「……よし」
頭の中で、目の前のバブ酒を一滴残らず収納する明確なイメージを構築する。
すると、ぽわん、とポケットの奥底が淡い光を放ち始めた。
「…………」
それに呼応するように、巨大なガラス瓶の表面もぼんやりと光りだす。
「えっ?」
ほかてんが丸かった目をさらに剥き出しにする。
次の瞬間、シュポンッ!! と乾いた音が響いた。
「…………」
消えた。
暴れていた大蛇も、琥珀色の酒も、それを収めていた巨大なガラス瓶も、一瞬にして跡形もなく視界から消失する。
「…………」
ただの静寂が戻ってきた。
ゆうこは恐る恐る、自分の白衣の右ポケットに目を落とす。
見た目は先ほどと何も変わっていない。重みすら感じず、当然膨らんですらいない。
「……入った」
サクが信じられないものを見るように目をぱちぱちさせる。
「本当に入ったわね」
クルスも冷や汗を拭いながら呆然と呟いていた。
「小さな家ほどありましたよ、あれは……」
当事者のゆうこは、何食わぬ顔で自分のポケットを軽くぽんぽん、と叩いてみせる。
「便利すぎるでしょ、これ」
――『じゃろ?』
「こういう時だけ神っぽいの腹立つ!」
――『我、神じゃからのう』
「知ってるわよ!」
軽口を叩き合っていると、ほかてんが恐る恐る、トコトコとゆうこの足元へ近づいてきた。
「ねぇ」
「なに?」
「その中に……」
「うん」
「蛇いるの?」
「いる」
「お酒も?」
「ある」
「巨大瓶も?」
「全部」
ほかてんは信じられないといった様子で、しばらくその小さなポケットを見つめていたが、やがてブルリと身震いした。
「怖っ」
「私もそう思ってる!!」
ゆうこの鋭いツッコミが、再び乾いた空気に響き渡る。
その横で、サクが耐えきれなくなったように腹を抱え、あはははははっ! と笑い声を上げた。
周囲を囲む麹精霊たちも、きゅっ! と愛らしい声を上げながら、嬉しそうに足元でぴょんぴょんと跳ね回っている。
「……さて」
ひとしきり息をつくと、ゆうこは改めて足元の麹精霊たちを見下ろした。
芋ノ里。
麦ノ里。
米ノ里。
黒糖ノ里。
そばノ里。
胡麻ノ里。
各地から拉致され、理不尽に連れ去られてきたかけがえのない仲間たち。
「帰ろうか」
ほかてんが嬉しそうに小さく頷いた。
「うん」
そして、顔を上げると、麹精霊たちへ満面の笑みを向ける。
「みんなを里へ帰そう!」
◇
それから、ポコちん龍の背に乗った一行は、焼酎の国をもう一度ゆっくりと巡り始めた。
芋ノ里、麦ノ里、米ノ里、黒糖ノ里、そばノ里、胡麻ノ里。
それぞれの土地へ、怯えた表情をしていた麹精霊たちを一人残らず送り届けるために。
麦ノ里では、帰ってきた麹精霊たちの姿を認めると、ガンバが巨大な木樽を担いだまま地響きのような大声を張り上げた。
「帰還祝いだぁぁぁ!!」
「今日は十周走るぞぉぉぉ!!」
「増えてるぅぅぅ!!」
相変わらずの熱血ぶりに、周囲の空気が一気に活気づく。
米ノ里では、ゲンが戻ってきた麹精霊をやさしく迎え入れ、その小さな頭の上へとそっと乗せた。
「……おかえり」
「きゅっ」
老人の皺だらけの顔に、いつになく穏やかな笑みが浮かぶ。
黒糖ノ里では、ミツが大きな平釜の湯気をかき混ぜながら、甘い香りのなかで声をかけた。
「ほら」
「この匂い、覚えてるかい?」
その言葉に安心したのか、麹精霊たちは蜜の香りが漂う空間を楽しそうに跳ね回った。
そして、最後にたどり着いたのは芋ノ里。
ポコちん龍の威容が上空に姿を現した瞬間、里中から割れんばかりの歓声が沸き起こった。
「帰ってきたぞぉぉぉ!!」
「麹精霊だ!」
「みんな無事だ!」
ほかてんは龍の大きな背から乗り出すようにして、大きく両手を振る。
「ただいまぁぁぁぁ!!」
その傍らで、ゆうこもやれやれといった表情を浮かべながら、白衣の右ポケットをぽんぽんっと軽く叩いた。
その布地のすぐ裏側には、焼酎の国を散々恐怖のどん底に陥れた巨大な大蛇が、今や一本の丸ごとなぽしゃけとして、静かに収まっているのだ。
「……よし」
ゆうこはフッと不敵な笑みを漏らす。
「帰ったら、こいつのことも盛大にお披露目しないとね」
サクが不審そうに振り返った。
「どこに置くのよ、そんなの」
「祭り会場の真ん中とか?」
「絶対邪魔でしょ」
「じゃあ酒蔵の奥?」
「大きさ的に入らないでしょ」
「…………」
言葉に詰まり、ゆうこは再び自分の右ポケットへと視線を落とす。
「出す場所、全く考えてなかった」
「収納する前に少しは頭を使いなさいよ!」
サクのキレのあるツッコミと、自分自身の呆れた笑い声が、芋ノ里の夕暮れの空へ心地よく響き渡っていく。
こうして、理不尽な災厄は去り、麹精霊たちはそれぞれの懐かしい故郷へと無事に帰っていった。
そして、平和を取り戻したはずの焼酎の国には、また新たな火種――とてつもなく巨大で強烈な、新しい名物ぽしゃけが誕生しようとしていた。




