第132話『バブ酒、大・成・功!』
「サク」
「なになに?」
「この特大の厄介者を、丸ごとすっぽり囲える?」
「丸ごと、ってこの巨体を?」
ゆうこは両手を大きく広げ、横たわる大蛇をすっぽり包み込むような大げさな仕草をして見せる。
「そう。できれば、巨大なガラス瓶みたいな密閉空間をこいつの周りに作ってほしいの」
サクはあごに手を当て、一瞬だけ真剣な表情で考える。
そして、悪戯っぽくにやりと綺麗に笑ってみせた。
「なるほどね、そういうことね」
サクは迷いのない足取りで、一歩前へスッと出た。
細い右腕を、ピクリとも動かない大蛇の巨体へ真っ直ぐに向ける。
「ちょっと大きくて酒気食いそうだけど……いけるわ」
凛とした声とともに、指先にギュッと眩い透明な酒気の光が集まり始める。
ぱきっ。
乾いた硬質な音が響く。
ぱきぱきっ、と耳障りの良い連打音が続く。
大蛇の周囲を囲むように、荒涼とした地面の隙間から冷たく澄んだ巨大なガラスの壁が、すごい勢いで生え始めた。
「シャ……?」
自分の置かれた異常事態を察知したのか、大蛇が死に体になりながらも嫌な予感を覚えたように濁った目を動かす。
ぱきんっ!!
透き通るような巨大なガラスの板が、音を立てて大蛇の左側を完全に覆い隠す。
続いて右側。
長大な尾の先端。
そして恐怖に歪む頭部。
さらに、上空を塞ぐように。
無数のガラスの断片が、まるで生き物のように次々と継ぎ目なく繋がっていく。
「すっごい……!」
ほかてんが圧倒されて、首が痛くなるほど真上を見上げる。
そこにあったのは紛うことなき、悪夢のような巨大酒瓶だった。
全長十メートルを超える大蛇が、文字通り丸ごと一本。
少しの隙間もなくすっぽり収まるほどの常軌を逸したスケールの巨大なガラス瓶が、いま目の前に完成しようとしていた。
「シャ……ァ……」
ガラスの檻の中に閉じ込められた大蛇が、ふらふらと痙攣するように身体を動かす。
しかし、もう手遅れだ。
ぱきぃぃぃぃぃん!!
最後の天井となるガラスが完全に繋がり、外部との通気口すら一切ない完全密閉の牢獄が完成する。
「ふぅ、これでどうかしら」
サクは小さく息を吐き出しながら、ゆっくりとスキルの行使を終えて腕を下ろした。
「完璧よ、サク!」
ゆうこは満足げに頷き、先ほど取り出した《月酔石》の指輪を左手の中指へ深くはめた。
その瞬間ひやり、と皮膚を刺すような。
この世のものとは思えない冷たい魔力の感覚が、指先から一気に心臓を突き抜け、全身の血管を駆け抜けていく。
中指で嵌められた青い魔石が、ふっ、と神秘的な光を放った。
静寂の中、ゆうこの視界が一変する。
目の前にある大蛇の冷え切った巨体の肉。
その周囲に未だに漂い続ける不気味な黒い酒気。
先ほどの戦闘で荒れ狂った地面の奥底へ染み込んだ無数の水分。
そして、救出された麹精霊たちから無意識に漏れ出している甘く芳醇な発酵の気配。
それらのすべての要素が、目に見えない不可思議な一本の光の線で結ばれ、脳裏にハッキリと浮かび上がってきた。
「……いけるわ、これなら完全にコントロールできる」
ゆうこが自信に満ちた声を漏らす。
――『うむ、見事なものじゃ』
頭の中でアルケラが、どこか満足げに嬉しそうに答える。
――『これだけの悪辣な酒気に長時間晒され、その上あの麹精霊たちの純粋な発酵の力まで浴びた大蛇じゃ。もう不純物は一切ない』
――『酒の媒体としては、これ以上ないほどに申し分のない素材じゃな』
「…………」
言葉を挟まず、ゆうこは冷たいガラスの向こう側にそびえる巨大な瓶を見上げる。
その透明な檻の中で身動きの取れなくなった大蛇が、今生の終わりを悟ったかのようにもの凄く嫌そうな、情けない顔をしている。
「シャ……」
「ごめんね、恨むなら自分のこれまでの悪行を恨んでちょうだい」
ゆうこは皮肉っぽく、しかしどこかすっきりした笑みを浮かべる。
「でもさ」
トントン、とガラスを確かめるように一歩。
巨大なガラス瓶のふもとへさらに近づく。
「私たちの黒歴史を、あろうことか勝手に巨大スクリーンで上映したり」
さらに一歩、じりじりと距離を詰める。
「この国の可愛い可愛い麹精霊たちを、まるで食材みたいにさらったり」
怒りを込めて、もう一歩。
「平和な焼酎の国のみんなが困り果てているのを見て、影でニヤニヤ笑ったり」
ついに、完全に身動きを封じられた大蛇の目の前へ。
ゆうこは堂々と立つ。
「散々、この世界のルールも無視して好き勝手暴れ回ったんだからさ」
月の光を反射して怪しく光る指輪を、大蛇の鼻先に突きつけるようにぐっと掲げた。
「最後くらいねぇ」
にっ、と悪戯っ子のような笑みを浮かべる。
「この焼酎の国の復興のために、盛大に役に立ちなさい!」
掲げられた青い魔石が、割れんばかりに強く激しく輝き出す。
周囲の空気が、びりびりと音を立てて震え始める。
命の危機を本能で察知したのか、大蛇が最後の力を振り絞るように、巨体を揺らして激しく首を振った。
「シャァァ……ッ!」
「残念だけど、拒否権なんて最初からありません!」
ゆうこは大きく両手を広げ、世界そのものを抱擁するかのようなポーズをとる。
そして、一切の恥じらいも躊躇いも捨て去り、黒い岩山いっぱいに響き渡るほどの腹の底からの大声で。
夜空に向かって叫んだ。
「ぽしゃけ(*」´□`)」!!」
カァァァァァァァァァァァン!!
澄み切った鐘の音のような衝撃波と共に、月酔石から目もくらむような眩い青白い光が放たれた。
その神々しい光は、十メートルを超える巨大なガラスの瓶を、まるで繭のように丸ごとすっぽりと包み込んでいく。
「うわっ、まぶしっ!」
ほかてんが思わず両手で目を強く庇い、その場にしゃがみ込む。
光に満たされた瓶の中では、信じられない現象が起きていた。
どこからともなく、湧き出るように透き通った液体が溢れ始めたのだ。
とく。
とくとく。
とくとくとくとくとく……。
心地よい液体が満ちていく音が響く中、大蛇の冷え切った巨体を、少しずつ、しかし確実に美しい黄金色の液体が満たしていく。
「シャ……?」
冷たい液体に浸されていく感覚に、大蛇が戸惑うように身悶えする。
足元から。
ぶとい胴体へ。
そして冷酷な首筋から。
ついには、恐ろしい威容を誇っていた巨大な頭部まで。
大蛇の全身が、すべて黄金色の濃密な酒の中へと完全に沈んでいった。
それと同時に、大蛇の周囲をまとわりついていたあの嫌な黒い酒気が。
しゅぅぅぅぅ……と音を立てながら、すべて黄金色の液体へと綺麗に溶け込んでいく。
鋭い青白い光。
とろりと熟成された琥珀色の酒。
その中で微動だにしない巨大な蛇。
それらすべての要素が、一つの奇跡の物質へと混ざり合い、収束していく。
そして――。
ぱぁぁぁぁぁぁ……。
世界を包んでいた眩い光が、まるで役目を終えたかのようにスッと穏やかに収まっていく。
「…………」
圧倒的な静寂が、再びその場を支配した。
全員が、息を整えることも忘れて目の前に突如として完成した「それ」を、ただ呆然と見上げる。
そこにあるのは、完全に密閉された巨大なガラス瓶。
その内部では、太陽の光を閉じ込めたかのように黄金色に美しく輝く極上の酒が、ゆったりと波打っている。
そして、その瓶の中央には。
つい先ほどまで世界を脅かしていた巨大な蛇が、今ではすっかり息絶れ、琥珀色の酒にどっぷりと浸かった主役として鎮座している。
「…………」
信じられない光景を前に、ゆうこはただパチパチと瞬きを繰り返す。
ほかてんも。
隣に立つサクも。
少し離れた場所のクルスも。
そして戦いを終えたおゆも。
誰一人として、驚愕のあまりすぐには言葉を発することができなかった。
やがて、重い沈黙を破るように。
ほかてんが、不安と戸惑いが入り混じった様子で小さく口を開く。
「これって……一体どういう状況なの?」
ゆうこは満足げに、力強く頷いてみせる。
「うん、見事なものよ」
巨大なガラス瓶を見上げながら、胸を張る。
そして、満面の、これ以上ないほど誇らしげな笑みを浮かべて。
堂々と高らかに宣言した。
「――名付けて、バブ酒、大・成・功!」
「ネーミングのセンスが壊滅的ぃぃぃぃ!!」
サクのキレのある的確なツッコミが、静まり返った黒い岩山いっぱいに盛大に響き渡った。
そのコミカルなやり取りの横で。
今回の戦いで無事に助け出された小さな麹精霊たちが、危機を脱した安堵からか、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「きゅっ、きゅっ!」
「きゅきゅっ♪」
嬉しそうに辺りを愛らしく跳ね回るその姿は、この国の平和が戻ってきたことを静かに物語っていた。
こうして焼酎の国を長きにわたって苦しめ続けた厄介な大蛇は。
最後の最後でその圧倒的な生命力を利用され、自らが散々困らせてきたこの国の未来を潤すための、新たな「ぽしゃけ」へと生まれ変わるのだった。




