第131話『お湯、沸かしてる?』
その瞬間、圧倒的な質量を持った圧力が、頭上から降り注ぐ。
空が地獄の業火を煮詰めたような、昏い赤一色に染まった。
「え」
喉の奥から絞り出すような声と共に、ゆうこは青ざめた顔で真上を見上げる。
雲を突き破り。
圧倒的な熱量を纏った巨大な影が、一つ。
二つ。
三つと、増えていく。
無数の周囲の空気を焼き尽くすほどに燃え盛る巨大な岩石が、重力を無視した速度でこちらへ落ちてくる。
「隕石ぃぃぃぃぃぃぃ!?」
常軌を逸した光景に、ゆうこはヒステリックな絶叫を張り上げた。
ヒュゴォォォォォォォ!!
凄まじい風圧を伴って、大蛇もまた不気味に空を見据える。
「シャ……?」
呑気な鳴き声を漏らしたその金色の瞳に、迫り来る無数の赤い光が残酷なまでにハッキリと映し出される。
そして世界を揺るがす轟音が響いた。
ドゴォォォォォォォン!!
一発目の隕石が、大蛇の巨体の真横で激突する。
「シャァァァァァ!?」
ドゴォォォォォン!!
追撃の二発目が大地を抉り飛ばす。
ドゴォォォォォン!!
さらに、逃げ場を塞ぐ三発目が直撃する。
ドドドドドドドドドドドドドッ!!
「降りすぎぃぃぃぃぃぃ!!」
容赦という言葉を一切知らない隕石の雨が、もがき苦しむ大蛇へ容赦なく降り注ぐ。
激しい衝撃で地面が爆ぜる。
吹き飛んだ岩が鋭い凶器となって周囲に砕け散る。
熱を帯びた炎が狂ったように舞い踊り、すべてを飲み込む爆風が辺り一帯を荒らし回っていた。
「シャァァァァァァァァァ!!」
「だからぁぁぁぁ!!」
けたたましい爆発音と暴風の吹き荒れる中、おゆの荒々しい怒声だけが、不思議と耳の奥へはっきりと届く。
「シャーじゃ分からねぇんだよぉぉぉぉ!!」
「蛇に言葉を要求するなぁぁぁぁぁぁ!!」
凄まじい砲撃の嵐の末に、やがて。
地鳴りのような隕石の落下がピタリと止んだ。
しゅぅぅぅぅぅ……。
視界を埋め尽くしていた黒い煙が、熱を孕んだ風に流されてゆっくりと晴れていく。
そこには先ほどまでの威圧感が嘘のように、巨大な大蛇だったものが黒焦げのクレーターの底で、情けなく地面に横たわっていた。
「…………」
あまりの展開に言葉を失い、ゆうこはただその惨めな光景を見つめる。
次に信じられないものを見るような目でほかてんを見る。
頭の中で整理すべき情報が交錯する。
感謝。
からの、理不尽なビンタ。
感激。
からの、容赦ないビンタ。
突如として降ってきた雨。
容赦ない洪水。
謎の巨大アラレ。
そして、投げつけられた巨大氷塊。
そこからの――隕石。
ゆうこが混乱する頭のまま、もう一度おゆの方を振り返る。
「ヘソで茶が沸くわ!」
「…………」
ツッコミどころが渋滞する中、ゆうこは深呼吸を一つ挟み、ゆっくりと手元の万能シャベルを下ろした。
「私たちの総力戦」
ほんの一拍の沈黙。
「必要だった?」
「そこは深く考えちゃ駄目よ」
サクは冷や汗を拭いながら、呆れたように静かに答えた。
微かに残る煙の匂いの中で、彼女たちはそれぞれの息を整えていく。
「…………」
気持ちを切り替えるように、ゆうこは改めて巨大な黒い岩山のふもと、地面にぐったりと横たわる大蛇の姿を直視する。
全身の頑丈そうな鱗はあちこちで剥がれ落ち、見るも無惨にぼろぼろだ。
かつて威厳に満ちていた頭上には、なぜか巨大な氷塊が溶け残ったまま乗っかっている。
身体のあちこちの裂け目から、プシュプシュと頼りない煙が上がり続けている。
「シャ……」
聞き取りにくいほどにか細い鳴き声が漏れる。
生命反応はある。
まだ、かろうじて生きている。
しかし、その巨体を支えるだけの気力はすでに残されておらず、もう二度と誇り高く頭を持ち上げる力すら残っていなかった。
「…………」
ゆうこは腕を組み、険しい表情で思案の海へ潜る。
何かが、どうにも頭の片隅で引っ掛かる。
蛇。
焼酎。
瀕死の巨大な蛇。
焼酎。
そして、酒。
思考のピースが、カチリと音を立てて噛み合い始める。
「…………あ」
雷に打たれたように、ゆうこの瞳がぱっと大きく見開かれた。
「どうしたの、急にそんな顔をして」
サクが怪訝そうに美しい首を傾げる。
ゆうこは返事もせず、震える指先でゆっくりと目の前で伸びている大蛇を指し示した。
「これ……」
「これ、って?」
「これってさ、もしかして極上の酒にできるんじゃない?」
あまりにぶっ飛んだ提案に、その場にいた全員が一瞬にして硬直した。
「…………」
「…………」
「…………」
数秒の沈黙の後、ほかてんが信じられないものを見る目で、恐る恐る聞き返す。
「……いま、蛇をって言った?」
「うん、そう言ったわ」
「それを、お酒に?」
「うん、そうよ」
常軌を逸した発想に、クルスは美しき眉をピクリとひそめて難色を示す。
「正気なんですか? 一体どうやってそんな真似を……」
「ふふん、あるのよこういう時のためにっておあつらえ向きの代物が」
ゆうこは不敵に、にやりと勝ち誇った笑みを浮かべる。
「こういう時のためみたいな、とんでもない神具がね」
その言葉を聞いた瞬間、サクは何か重大な記憶の引き出しをこじ開けたように、ハッとして目を見開いた。
「あっ……!」
「お、やっと気付いた?」
「まさか、《月酔石》……!」
「大正解!」
ゆうこは得意げに頷き、白衣のポケットへ迷いなく手を突っ込む。
ごそごそと何かを探す感触。
そして、力強く引き抜いた。
手のひらの上で鈍く、しかし妖しく光る一本の指輪。
細工の施された繊細な銀色の台座。
その中央には、夜の海の底を切り取ったかのように澄み切った青い魔石が埋め込まれている。
よく見れば、その魔石の奥底には、まるで上質な琥珀色の酒がとろりと揺らめいているような、神秘的で抗いがたい煌めきが宿っていた。
伝説の神具――《月酔石》。
それは、世のあらゆる酒の媒体となり得る物質を強制的に捕らえ、極上の「ぽしゃけ」へと変質させる、狂気とロマンの詰まった神具だった。
「そうだ……忘れるところだったわ」
ゆうこは指輪の表面を愛おしそうに見つめる。
「これがあったじゃん、私たちにはさ」
――『ふぉっふぉっふぉっ、相変わらず物忘れの激しい奴らじゃのう』
茶化すようなアルケラの楽しげな声が、三人の頭の中へ直接響き渡る。
――『やっと自分のポケットの重みに気付いたか』
「こういう重要アイテムは、もう少し存在感を出してよ!」
――『神具というのはのう、使い手が自ら思い出してこそ真の価値を発揮するものじゃ』
「都合のいい時だけそれっぽいこと言ってんじゃないわよ!」
心の中でアルケラと軽口を叩き合いながら、ゆうこは現実に意識を戻す。
その横で、ほかてんはおろおろと目の前で気絶しかけている大蛇と、指輪を交互に見比べていた。
「でも……理屈はわかったけど、具体的にどうやって?」
「それじゃあ、まず」
そして、何かを決意したように口元をにやりと吊り上げると。
ゆうこは次なる一手を託すように、サクへ真っ直ぐ視線を向けた。




