第130話『感謝!感激!雨!アラレ!』
凄まじい爆発が、大蛇を真正面から飲み込んだ。
眩いばかりの青い閃光が視界を白濁させ、鼓膜を突き破るような爆風が吹き荒れる。
黒い岩山全体が激しく震え、凄まじい轟音とともに、砕けた岩石が豪雨の如く周囲へと降り注いだ。
「っ……!」
ゆうこは愛用の万能シャベルを頑強な地面へと深く突き立て、足元から這い上がる衝撃に必死で踏ん張る。
やがて猛り狂っていた爆風がぴたりと収まる。
視界を白く染め上げていた、もうもうと立ち込める濃密な土煙。
鼻腔を突くのは、焦げた硫黄と血の臭いだ。
「……やった?」
サクが引き絞った弓を構えたまま、かすれた声を漏らす。
「その言葉、言っちゃ駄目なやつ!」
ゆうこが即座に、冷や汗を流しながら突っ込みを返す。
そして嫌な予感は、いつも最悪のタイミングで的中する。
ずる……。
静まり返った土煙の中で、不気味な地響きとともに巨大な影がうごめいた。
「…………」
ゆうこの顔が引きつり、冷たい汗が頬を伝う。
「ほらぁぁぁぁ!!」
「シャァァァ……」
呪詛を吐き捨てるような低音が響き、大蛇が再びその悍ましい姿を現した。
全身を覆っていた硬質な鱗は無残に砕け散り、纏っていたはずの黒い酒気も今や見る影もなく消え失せている。
頭部にはサクが放った矢が深く突き刺さり、頑丈な胴体にはクルスの一撃による深い裂傷。
そして、ゆうこの放った圧縮玉を真正面から受けた致命的な傷跡。
満身創痍。
もはや一歩も動けぬはずの状態。
それでも化け物はまだ倒れていなかった。
「しぶとすぎるでしょ……!」
ゆうこは荒い息を整え、シャベルの柄を握る手にぐっと力を込める。
大蛇もまた、血走った眼をぎらつかせながら、ふらふらと頭を持ち上げた。
その深淵のような金色の瞳には、未だに底知れない敵意と殺意が揺らめいている。
「シャァァァ……!」
威嚇の咆哮が洞窟の天井を揺るがした、その時。
「…………」
ほかてんが、静かに一歩前へ出た。
「ほかてん?」
ゆうこが怪訝な顔で振り返る。
ほかてんは振り返らず、ただ真正面に見据える。
その視線の先には、傷だらけの大蛇がそびえ立っていた。
そして、その背後にうずくまる小さな存在たち。
助け出されたばかりの、怯える麹精霊たちだった。
「きゅ……」
「きゅぅ……」
小さな身体を寄せ合い、震えている。
これまでずっと、この冷酷な大蛇に囚われ、理不尽に搾取され続けてきた者たちだ。
恐怖に怯え、震えながら、焼酎の国から次々と姿を消していった仲間たち。
ほかてんは、そんな麹精霊たちの様子を一度だけそっと振り返り、慈しむような目を向ける。
それから、再び強靭な意志を宿した瞳で大蛇へ向き直った。
「……ありがとう」
「え?」
ゆうこが思わず目を丸くする。
ほかてんは静かに、しかし迷いのない足取りで大蛇へ歩み寄っていく。
「あなたのおかげで」
一歩、大地を踏みしめる音が響く。
「麹精霊がどれだけ大切な存在なのか」
また一歩、距離を詰める。
「改めて分かった」
威圧的な巨体の目の前まで、臆することなく歩み寄るほかてん。
冷や汗を拭うこともせず、ふっと不敵でにっこりとした笑みを浮かべた。
「だからさ」
右手を、あり得ないほどの軌道で大きく振りかぶる。
筋肉がしなり、空気が圧縮される音がした。
「感謝!!」
バチィィィィィィン!!
乾いた爆音が岩山を切り裂く。
「ビンタぁぁぁぁぁ!?」
常軌を逸した一撃を受け、大蛇の巨大な顔面が真横へ激しく吹き飛んだ。
「シャァッ!?」
「感謝ってそういう意味!?」
ゆうこが常軌を逸した光景に絶叫をあげる。
だが、狂宴の幕はまだ下りない。
ほかてんは微塵の躊躇も見せず、流れるような動作で今度は左手を大きく振りかぶった。
「みんなを無事に助けられて!」
バチィィィィィィン!!
二度目の衝撃波が轟く。
「感激!!」
「左もぉぉぉぉぉ!?」
大蛇の顔面が、今度は容赦なく左側へと激しくひしゃげる。
右。
左。
容赦ない往復ビンタの嵐。
「シャ……」
物理的な痛撃と度肝を抜く展開に、流石の大蛇も目を回し、焦点が定まらない。
ほかてんは満足げに頷くと、両手を高く、まるで神に祈るように空へ掲げた。
「そしてぇぇぇぇ!!」
「まだあるの!?」
ゆうこが引きつった顔で空を仰ぎ見る。
すると、先ほどまでの晴天が嘘のように、頭上の空気が急激に冷え込んだ。
ぽつ。
「……え?」
ゆうこの頬に、冷たい水滴が落ちる。
ぽつ。
ぽつ。
ぽつぽつぽつぽつ……。
そして次の瞬間。
ザァァァァァァァァァァァァ!!
「雨ぇぇぇぇぇぇぇ!!」
予兆すら無視した猛烈な豪雨が、天から叩きつけるように降り注いだ。
「どこから出したのこれぇぇぇぇ!?」
ゆうこは頭を抱えて絶叫する。
しかし、雨脚は弱まるどころか、凄まじい勢いで太さを増していく。
ザバァァァァァァァァァァ!!
「ちょっと待って、これ変だって!」
足元の水位が、信じられない速度でみるみるうちに上がっていく。
足首を飲み込み、膝に達し、あっという間に腰の高さまで迫る。
「これ、ただの雨じゃない!」
ゆうこが濁流をかき分けながら叫ぶ。
「洪水ぃぃぃぃぃ!!」
大量の茶色い水が、すり鉢状の岩山を一気に飲み込みながら濁流となって流れ落ちる。
「シャァァァァァ!?」
混乱の極みに達した大蛇の巨体が、容赦ない濁流に足元をすくわれて完全に飲み込まれた。
ずざざざざざざざざっ!!
「流されてるぅぅぅぅ!!」
巨大な化け物が、泥水をかぶりながら岩山を滑り台のように滑っていく。
そして、ほかてんはまだ終わっていなかった。
水面に浮かび上がりながらも掲げた両手を、さらに執念深く天へと伸ばす。
「最後にぃぃぃぃ!!」
「嫌な予感しかしないんだけど!」
ほかてんが不敵な笑みを浮かべたまま、険しい空をビシッと指差した。
「アラレぇぇぇぇぇぇ!!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
大地を揺るがす地鳴りとともに、世界が震える。
「…………」
あまりの展開の速さに思考を放棄し、全員が揃って空を見上げる。
分厚い黒雲の裂け目から、不気味な影がぽっかりと顔を出し、ものすごい勢いで落ちてくる。
「……あれ?」
ゆうこが目を細め、冷や汗を流しながら呟く。
白い。
丸い。
そして――尋常ではないほど、でかい。
「…………」
サクの美しい顔が、恐怖で完全に引きつった。
「アラレ? アラレじゃない、あれは!」
「…………」
クルスだけが冷静に、淡々と言い放つ。
「岩? いや、氷です!」
直径数メートル。
それはもはや「あられ」などという可愛らしいものではなく、凶悪な巨大氷塊そのものだった。
「それをアラレって呼ぶなぁぁぁぁぁ!!」
ヒュゥゥゥゥゥゥゥゥ!!
風切り音を鳴らしながら、巨大な氷塊が大蛇の頭上へ向かって一直線に落下する。
「シャ……?」
危機を察知した大蛇が、ふらつく頭を持ち上げて虚空を見る。
そして。
ドゴォォォォォォォォンッ!!
「シャァァァァァァァ!?」
逃げ場のない頭部へ、氷塊が凄まじい衝撃とともに直撃した。
大蛇の巨大な顔面が、地響きとともに泥濘んだ地面へ真っ向から深くめり込む。
「…………」
あたりに、異様な静寂が訪れる。
ほかてんは満足げに息をつくと、満面の笑みを浮かべ、神妙な面持ちで両手をぴたりと合わせた。
「感謝! 感激! 雨! アラレ!」
「気象現象と物理法則を無理やり言葉にするんじゃないのよぉぉぉぉ!!」
ゆうこの魂のツッコミが、濁流の響く岩山いっぱいにこだました。
「…………」
泥まみれになった大蛇の巨体が、ぴくっ、とわずかに痙攣するように動く。
「嘘、まだ動くの!?」
ゆうこが青ざめた顔で一歩後ずさる。
その時。
「おい」
背後から、凍てつくような低い声が降ってきた。
「…………」
ピタリと動きを止め、全員が恐る恐る振り返る。
そこに立っていたのは、おゆだった。
「…………」
その双眸は、理性を失い、未だに深く据わったままだ。
「お、おゆ?」
さきほどまで得意満面だったほかてんの笑顔が、わずかに、そして確実に引きつっていく。
おゆは無言のまま、泥にまみれて半身を起こした大蛇へゆっくりと歩み寄っていく。
足音が、妙に重く、周囲の音をかき消すように響く。
そして、冷徹な眼差しで化け物を見下ろしたまま、低く尋ねた。
「お前」
「シャ……」
「お湯」
その二文字を聞いた瞬間、ほかてんの顔から血の気が完全に引いて青ざめた。
「ちょっ……待て待て待て!」
おゆは大蛇の目の前に立ち、さらに顔を近づける。
「沸かしてる?」
「…………」
ほかてんはその場で石像のように固まった。
「お、おゆさん、それは……。その質問は……あまりにもまずいって……!」
ほかてんのこめかみから、冷や汗の大粒がぽたぽたと地面へ垂れ落ちる。
「答えを間違えたら……!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
異常気象はまだ終わっていなかった。
ほかてんの言葉に呼応するように、先ほど晴れかけた空が再びみるみるうちに暗黒に染まっていく。
「…………」
ゆうこは嫌な予感しかしない顔で、ゆっくりと再び空を仰いだ。
「何なの、また……」
分厚い雲の向こう側で、ぎらぎらとした不気味な赤い光が明滅している。
「…………」
クルスも冷静に空を凝視した。
「また何か来ますね」
「何が来るっていうのよ!?」
ほかてんは絶望的な顔をしながら、震える声で周囲に説明を始めた。
「おゆさんが……『お湯沸かしてる?』って聞いた時……!」
ごくり、と誰もが固唾を呑んで喉を鳴らす。
「『沸かしてる!』以外の返答をしたら……!」
「したらどうなるわけ!?」
ほかてんは、恐怖に震える指先で、真っ赤に染まった空を指差した。
「隕石が降ってくる」
「なんでぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
ゆうこの絶叫が、荒れ狂う風にかき消されていく。
もちろん、目の前で気絶寸前のおお蛇は、そんなローカルで理不尽なルールなど知る由もない。
「シャァァァァァ!!」
痛みに耐えかねて唸る大蛇。
その様子を見て、おゆの眉間がぴくっ、と不機嫌そうに動いた。
「…………あ?」
「シャ……?」
「シャーじゃ分からねぇだろうがァ!!」
「怪獣に言葉の通じる無茶を言うなぁぁぁぁぁぁ!!」
ゆうこが声を張り上げてツッコミを入れる。
おゆはそんな雑音を完全無視し、さらに大蛇の鼻先へと顔を密着させた。
「もう一回聞くぞ」
「…………」
「お湯」
一拍の、重苦しい沈黙。
「沸かしてる?」
「シャァァァァ!!」
「だからシャーじゃ分からねぇっつってんだろぉぉぉぉ!! お湯しか飲めない体にしてやんよ!!!」




