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第13話「神の調味料」

 ゆうこの絶叫が、静まり返った森に木霊する。

 深く掘られた穴の底では、なおも巨大な魔獣ドレッドボアが狂乱のままに暴れ続けていた。


 「ブギィィィィ!!」

 「ブギッ!ブギギギギィィ!!」


 鋼のような牙を剥き出し、土壁を力任せに突き立てる。前脚で激しく地面を掻き毟り、なんとかこの地獄の穴から這い上がろうと、獣特有の執念を見せていた。だが、そのすぐ横には、さらに悲惨な犠牲者がいた。


 「うわぁぁぁぁぁぁ!!近い近い近い近い!!」


 クルスが、同じ穴の底で半泣きになりながら逃げ回っていた。狭い閉鎖空間で、猛り狂う巨大な猪とダンスを踊らされているようなものである。彼は壁に背中をこすりつけ、必死に猪の牙を避けるが、もはや物理的な距離など存在しないに等しかった。


 「なんで僕だけ同じ空間に閉じ込められてるんですか!?罰ゲームにも程があるでしょぉぉぉぉ!!」


 必死の訴えに対し、穴の上から無情な声が降ってくる。


 「知らないわよ!!勝手に発情して先に落ちたのあんたでしょ!!」


 ゆうこの怒鳴り声に、クルスは食い気味に叫び返した。


 「言い方ァ!!」


 サクはといえば、穴の縁にどっかと腰を下ろしていた。呆れ半分、面白さ半分といった顔でその惨状を覗き込み、どこか遠い世界のことのように呟く。


 「いやぁ、絵面がひどいわねぇ……。まさに地獄絵図って感じ?」


 「感想が他人事すぎる!!」


 クルスは涙目で叫び返したが、もはや限界は近かった。ドレッドボアの鼻息は熱く湿り、目は血走り、怒りと興奮で完全に"キマって"いる。野生の猛威を前に、非力な人間一人が耐えられるはずもない。このまま放っておけば、クルスが真っ先に肉塊へと変わり、その後で猪が脱出を果たすのは時間の問題だった。


 ゆうこは眉間を指で強く押さえた。怒りと疲労が混ざり合い、頭が痛い。


 「……どうするのよ、これ。さすがにこのまま『お疲れ様でした』って引き上げて解決するような空気じゃないわよね」


 ――『そうじゃのぅ』


 頭の中に直接響くアルケラの声。それは、事態の深刻さに反して妙に軽やかだった。その軽快さが、ゆうこには不吉な予感しか与えない。


 ――『なら、これを使うとよいぞ♡』


 「は?」


 次の瞬間、ぽすっ、という気の抜けた音と共に、空からやたらと可愛らしい刺繍の施された小袋が、ゆうこの頭上に直撃した。


 「いった!?」


 頭を押さえながら地面に落ちた袋を拾い上げる。そこには、丸っこいファンシーなフォントでこう記されていた。


 【アルケラパウダー♡】


 「ネーミングが最悪!!」


 サクが横から覗き込み、疑わしい表情を浮かべる。


 「なにこれ。神様特製の調味料か何か?」


 「神具で調味料っぽい見た目にするのやめなさいよ! 紛らわしいでしょ!」


 ゆうこが突っ込んでいる間にも、穴の下からはクルスの悲鳴が止まない。


 「上でパッケージ確認してる場合じゃないんですけどぉぉぉぉ!!」


 ドレッドボアが「ブギィィィィ!!」と叫びながら、クルスを狙って鋭い牙を振り回す。クルスは壁にへばりつき、背骨が折れそうなほど身をよじらせた。


 「ひぃぃぃぃぃ!!先生ぇぇぇぇぇ!!僕の人生、ここで“豚と密室エンド”は嫌すぎますぅぅぅぅ!!」


 「私だって嫌よ!そんな死因書きたくないわよ!」


 ゆうこは手の中の小袋を苛立たしげに振った。


 「で、結局これ何なのよ!変なもん渡すなら、せめて一分以内に説明しなさい!!」


 するとアルケラは、なぜか自慢げに胸を張るようなニュアンスで答えた。


 ――『うむ!それは我が特製の対魔獣用粉末兵器、“アルケラパウダー”じゃ!』


 「兵器って言った!?今、はっきりと兵器って言ったよね!?」


 ――『配合は至ってシンプルじゃぞ?』


 「嫌な予感しかしないわ。絶対ロクなもんじゃない」


 ――『からし粉一トン』


 「一トン!?量がバカなの!?」


 ――『わさび粉一トン』


 「やめろ!!」


 ――『一味唐辛子一トン』


 「地獄の釜茹でか!!」


 ――『そして――神の素、一トン♡』


 「最後のやつが一番意味分かんないんだよぉぉぉぉ!!」


 ゆうこの絶叫が響く中、隣でサクが腹を抱えて笑い出した。あまりの配合の雑さに、笑いのツボを完全に貫かれたらしい。


 「待って、配合が雑すぎる!!アンタ、実は料理下手な神様なの!?」


 ――『安心せい、これは“料理”ではない。“つまみ用の調味粉”でな、干し肉やら、炙った魚やらに――こう、ぱらりとかけて食うのじゃ』


 「ぱらりで済む量じゃないだろ!!一山崩れるわ!!」


 ――『よい刺激になるぞ? 鼻から魂が抜ける感じがしてな。酒が進むのじゃ』


 「それ、ただ死にかけてるだけだからね!?気絶の一歩手前だから!」


 サクはついに地面を叩いて悶絶し始めた。


 「っ、ははははは!!想像しただけで無理!!絶対、吸い込んだ瞬間にむせるやつ!!」


 ――『ふふん。我は勢いと刺激で生きておるからのぅ』


 「威張るなこの酒クズ神!!」


 だが、穴の下の惨状は一刻を争っていた。クルスの声が、いよいよ本気で泣き声に変わっていく。


 「先生ぇぇぇぇ!!もう限界ですぅぅぅぅ!!なんかあいつ、さっきから僕の尻ばっか狙ってるんですけどぉぉぉぉ!!」

 「聞きたくない情報を足すな!!想像させないで!!」


 ゆうこはついに、何かが切れる音を聞いた。もう理屈はどうでもいい。常識を求めたのが間違いだったのだ。


 「……もういい!!どうせまともな方法じゃ終わらないんでしょ、この世界!!」


 小袋の封を、乱暴にバッと引きちぎる。中には、キラキラと不穏な光を放つ、虹色の粉末がぎっしりと詰まっていた。


 「なんで見た目だけは無駄にファンシーなのよ……。中身はただの刺激物の塊のくせに」


 ――『ちなみに、風向きには十分に気をつけるのじゃぞ♡』


 「それを先に言え!!」


 ゆうこは穴の縁に仁王立ちし、眼下で暴れるドレッドボアを冷酷な目で見下ろした。


 「クルス!!今から何かするから、とにかく顔を伏せて!何があっても息を止めてなさい!!」


 「その“何か”の時点で死ぬほど怖いですけどぉぉぉぉ!!」


 「いいから黙って伏せろ!!」


 クルスは反射的に地面へ突っ伏した。その瞬間、ドレッドボアが最大級の唸り声と共に、無防備なクルスへと飛びかかろうとする。


 ゆうこは、全力で袋を振りかぶった。


 「これで終わりよ、この変態イノシシぃぃぃぃぃ!!」


 ばさぁぁぁぁぁっ!!


 七色の粉末が、カーテンのように穴の中へ豪快に降り注ぐ。


 一瞬の静寂。粉末が猪の鼻腔に吸い込まれた、その直後。


 「……ブギ?」


 ドレッドボアが、何かに気づいたように動きを止めた。そして――。


 「ブギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!」


 森全体が震え、木々の葉が落ちるほどの、凄まじい断末魔がとどろいた。それはもはや生物の出す声ではなかった。


 「うわっ!?」

 「きゃっ!?」

 「ひぃぃぃぃぃ!!」


 三人は反射的に耳を塞ぐ。

 穴の中では、ドレッドボアが正気を失ったようにのたうち回っていた。前脚をバタつかせ、鼻を地面に叩きつけ、激しい痙攣と共に涙と鼻水、そしてよだれを周囲に撒き散らす。


 「ブギィィ!!ブギッ!!ブギギギギギギィィィ!!」


 「え、何これ怖っ……」


 サクが思わず一歩引く。その顔から笑いが消えていた。


 「効きすぎでしょ!?ただの粉じゃないの!?」


 「“効く”っていう概念を完全に超えてるわ……」


 クルスは穴の底で、土に顔を埋めたままガタガタと震えている。


 「先生ぇ……っ、なんか上から地獄の匂いがするんですけどぉ……っ!」


 「息を止めてろって言ったでしょ!!」


 ドレッドボアは最後に、ぶるぶると全身を大きく痙攣させた。その目からは、もはや戦意の欠片も感じられない。


 「……ブ、ギ……」


 そして――どさっ、という重々しい音が響き、巨大な体は糸が切れた人形のように動かなくなった。

 

 静寂が、再び森を包み込む。

 風が木々を揺らす音だけが聞こえ、誰もすぐには言葉を発することができなかった。


 最初に沈黙を破ったのは、呆然とした表情のサクだった。


 「……死んだ?」


 クルスが恐る恐る顔を上げ、動かなくなった巨体を見つめる。


 「……死に、ましたね」


 ゆうこは穴の縁に立ったまま、数分間、石像のように固まっていた。

 そして、ひくりと右の頬を引きつらせる。


 「……え」


 ぽつりと、掠れた声が漏れる。


 「……本当に死んだの?あんな、ふざけた粉で?」


 ――『うむ♡』


 「うむ♡

じゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」


 ゆうこの魂の怒号が、今度こそ森を裂いた。


 「こっちは命がけで泥だらけになって穴掘って!無駄に胸を張らされて!神のせいで変態猪に執着されて!ポコちんまで発光させて!!最後は“からし粉”で死ぬのかよぉぉぉぉぉぉ!!」


 ――『結果オーライじゃろ?』


 「過程が地獄なんだよ!!」


 サクは再び、崩れ落ちるようにして笑い転げた。

 「っははははは!!だめ、もう無理!!最高だよゆうこ、あんたの人生!」


 「お前も原因の一端を担ってるんだよ!」


 クルスはようやく立ち上がったものの、その場にへたり込み、虚空を見つめてぼそりと呟いた。


 「……俺、今後たぶん“からし”っていう単語を聞くだけで泣くと思います……」


 「分かるわ」


 ゆうこが深く、真顔で頷く。


 「私は今後、“神”ってつく言葉を聞くたびに拳が勝手に動く自信があるわ」


 ――『ひどぉい♡』


 「可愛く言っても絶対に許さないからな!!」


 しばらくして、怒りと脱力感が一巡した頃。穴の底で完全に沈黙したドレッドボアを見下ろしながら、サクがにやりと唇を吊り上げた。


 「……まあ、でも。終わったのは事実ね」


 クルスも、ゴクリと唾を飲み込む。その目はすでに、恐怖から食欲へと切り替わっていた。


 「……ってことは」


 ゆうこも、無言で穴の中を見下ろす。そこには、多大なる苦難の果てに勝ち取った、輝かしい獲物が横たわっている。

 

その時、三人の空腹が、見事な三重奏となって響き渡った。


 ぐうぅぅぅぅぅぅぅ……。


 サクが、獲物を狙う狩人のような笑みを浮かべる。


 「……うん。もう話は一つしかないわね」


 クルスが静かに、しかし力強く拳を握った。


 「……食べましょう」


 ゆうこは、疲れきった瞳のまま、それでも口元だけをわずかに吊り上げ、低く響く声で告げた。


 「ええ。異論はないわ」


 穴の底のドレッドボアに対し、引導を渡すように言葉を投げかける。


 「――治療終了。次は解体よ」




挿絵(By みてみん)

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!


今回は――神の調味料でした。


苦労して穴を掘り、

命がけで作戦を立て、

ポコちんまで発光した結果、


最後はまさかのアルケラパウダー。


料理ではありません。兵器です。


ただ、結果だけ見ればドレッドボア討伐成功。(たぶん)


「神の調味料が怖すぎる」

「クルスは自業自得」

「でも肉は食べたい」


と思っていただけたら、


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