第14話「解体開始」
数秒の沈黙が場を支配した。
その言葉の意味を、最初に理解したのはサクだった。彼女は信じられないものを見る目で、返り血を浴びたままの友人を見つめる。
「「……え?」」
二人の戸惑いをよそに、ゆうこ自身がシャベルを肩に担ぎ直した。
「放っておいたら鮮度が落ちるでしょ。血抜き、内臓処理、可食部の切り分け。急ぐわよ」
サクが呆れと感心が混ざったような溜息を吐く。
「ちょっと待って。今の口調、完全に“夜勤明けで残業追加された看護師”のそれなんだけど」
「だいたい合ってるわ」
ゆうこは真顔で即答した。現役時代の殺伐とした空気感が、異世界の森の中で再現されている。
そこへ、穴の底から恐る恐る一本の手が挙がった。
「……あの」
「何?」
「俺、まだ穴の中なんですけど」
「知ってるわ」
「助けてから解体に入ってくださいよ!!」
クルスの必死な訴えに、ゆうこは穴の縁から底を覗き込み、心底面倒くさそうに頬杖をついた。
「だってあんた、さっきまでドレッドボアと密室でイチャついてたじゃない」
「してません!!命がけの押し問答でした!!」
サクがくすくす笑いながら、穴の中を見下ろして援護射撃を加える。
「でも確かに、先に引き上げないと邪魔ね」
「“邪魔”って言わないでくださいよ!?」
クルスの抗議を無視して、サクは指先を軽く弾いた。
パキン、という硬質な音が響く。空中に透明なガラス板が数枚現れ、それが魔法の意思に従うように、するすると細長く変形していった。
ゆうこが眉をひそめて、その未知の技術を観察する。
「……何それ」
「即席の足場と引っ掛けフック。便利でしょ?」
「そのスキル、地味にインフラ寄りよね」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
サクがガラスを何本も組み合わせると、透明なハシゴのような構造体が、するすると穴の底へ伸びていった。
その神々しい輝きに、クルスが救いを見出したように目を輝かせる。
「おおっ!助かっ――」
直後、バキッ、と無情な破壊音が森に響いた。
「えっ」
ハシゴの途中の強度が足りなかったのか、見事に折れ曲がっている。
クルスが静止する。サクも静止する。そして、ゆうこが無言で冷ややかな視線をサクに向けた。
「……」
「……試作品よ?」
「出す前に試せ!」
「俺の希望を返してください!!」
クルスの悲痛な叫びが穴の底から反響する。
結局、ゆうこは深いため息をつき、手にした万能シャベルの柄を逆さにして差し出した。
「ほら、これ掴みなさい。離したら置いていくわよ」
「最初からそうしてくださいよぉ!!」
クルスが涙目で柄にしがみつく。ゆうこは細い腕からは想像もつかない剛腕で、そのままぐいっと一気に引き上げた。
「ぬおっ!?」
驚くほどあっさり、クルスの身体が宙に浮く。
「軽っ」
「人を荷物みたいに言わないでください!!」
「いや、あんたの体重が軽いんじゃなくて、このシャベルの補助機能がバグってるのよ」
――『神具じゃからのぅ♡』
不意に脳内に響いた暢気な声に、ゆうこの血管がピクリと跳ねる。
「今しゃべるな酒クズ神!!」
怒声とともにシャベルを地面に突き立てると、クルスは穴の縁に這い上がり、その場に崩れ落ちた。
全身土まみれで、髪はぼさぼさ。顔は青ざめ、服のあちこちが魔物の爪で無駄に裂けている。そのあまりに情けない姿を見て、サクが耐えきれずに肩を震わせた。
「……っ、ふふっ」
「笑わないでください」
「ごめん、でも……っ、その見た目で真顔やめて……っ」
「笑ってるじゃないですか!!」
「はい、生還おめでとう。じゃあ次、解体」
ゆうこは情け容赦なくクルスの腕を引っ張って立たせると、すでにドレッドボアの巨体の前にしゃがみ込んでいた。
その表情は、先ほどまでの呆れた顔ではない。獲物の構造を見極めようとする、職人、あるいは術者のような真剣な眼差しだった。
「……ふむ」
「えっ、先生?」
「まず頸部の状態確認。死後硬直はまだ弱い。熱も残ってる。今なら十分いける」
「“いける”の言い方が怖いんですよ。何がどういけるんですか」
ゆうこはドレッドボアの前脚を持ち上げ、関節の可動域を確認するように軽く動かした。
「筋肉の付き方は良好。脂もそこそこ乗ってる。これ、ちゃんと処理すればかなり美味しいわね。捨てるところがほとんどないわ」
サクが引きつった笑顔で、一歩身を引く。
「なんでそんなに食材チェックが自然なのよ」
「人間だって動物だって、構造の基本は似たようなものよ」
「今の発言、食堂のおばちゃんと解剖学の教授の中間にいたわ。怖いからやめて」
クルスもじりっと後ずさりする。
「……先生、なんか目がマジです。獲物を狙う目じゃなくて、肉を捌く目になってます」
ゆうこは真顔で、諭すように振り返った。
「命をいただくなら、ちゃんと使い切るのが礼儀でしょ。それができないなら、最初から殺すべきじゃないわ」
その重みのある一言に、二人が少しだけ沈黙する。元医療従事者としての、彼女なりの生命倫理なのだろうか。
……が、感動の余韻はすぐに打ち砕かれた。
「サク、細い刃物作れる?」
「え? うん、できるけど」
「じゃあ、解体用に三種類。皮を剥ぐ用、筋を切る用、骨の隙間を通す用。あと、滴る肉汁を受け止める丈夫な大皿も何枚かお願い」
「注文が職人泣かせすぎるわよ!?」
文句を言いつつも、サクは正確だった。
ぱきん、ぱきん、と指先から次々とガラスの道具が生まれていく。
光を反射する薄く鋭い刃。安定感のある幅広のプレート。そして、透明なトレーのような皿。
それらがずらりと並んだ光景を見て、クルスがぽかんと口を開けた。
「……なんか急に、野外手術室みたいになってませんか?」
「言われてみればそうね。照明が足りないかしら?」
「照明の話じゃないんですよ!!」
ゆうこはガラスナイフを一本手に取った。その瞬間、指先にぞくりとするような感覚が走る。
「……うわ」
「どう?」
「すごいわこれ。切れ味が異常。ほぼ外科メスじゃない。これなら靭帯も一撫でね」
「やったわね!私の構成力も捨てたもんじゃないでしょ!」
サクが嬉しそうに胸を張る中、ゆうこはナイフを構えたまま、ドレッドボアの腹側にそっと手を当てる。
「じゃ、いくわよ」
「えっ、心の準備が――」
スッ、と迷いのない音がした。
クルスが絶句する。ゆうこの刃は、驚くほど滑らかに肉の表面を走った。
余計な力みが一切ない。無駄な動きもない。血飛沫を最小限に抑え、ただただ効率的に「解体」が進んでいく。その手際は、残酷さを通り越して一つの芸術のようでもあった。
「皮膚、脂肪、筋膜……うん、入りやすい。このガラス、脂に負けないわね」
「こっっっっわ!!」
クルスが全力で叫んだ。
「何その“慣れてます”みたいなテンション!!初めて魔物を捌く人の反応じゃないですよ!」
「いや、普段は人間にやらないわよ!?誤解しないで!」
「“普段は”って何ですか!やっぱりやってるじゃないですか!!」
サクが横で腹を抱えて吹き出す。
「ふふっ、でもほんとにうまいわね……これならギルドに持っていっても最高評価じゃない?」
「笑ってる場合じゃないですよ!この人、絶対前世で暗殺者か何かでしたよ!」
ゆうこは淡々と、血に汚れたナイフを置かずに作業を続ける。
「クルス、立ってるだけなら手伝いなさい。前脚押さえて。そこを広げないと刃が入らない」
「えっ、俺!?この血塗れの現場に参戦しろと!?」
「誰が他にいるのよ。サクは皿の補充。ほら、早く」
「今この場で最も“向いてない人材”が俺なんですけど!血を見るの苦手なんですけど!」
「いいから押さえろ。さもないと、あんたの指も一緒に捌くわよ」
「は、はいぃ!!」
クルスは半泣きになりながら、ぬるりと温かい前脚を両手で押さえた。
その間にも、ゆうこの手は止まらない。
「サク、その皿。内臓は分ける。レバーは傷つけないで」
「はいはい。心臓はどうする?」
「それもキープ。そこ押さえて」
「はい先生」
「先生って呼ぶな。……よし、いいわ。次はこっち」
気づけば、三人の動きが妙に噛み合っていた。
クルスが重い四肢を支え、サクが状況に応じた道具を供出し、ゆうこが電光石火の速さで解体を進める。なんだかんだで、彼らの連携は悪くなかった。
数十分後。
かつて凶暴な魔物だったものは、地面に整然と並べられた「素材」へと姿を変えていた。
美しい赤身のロース。適度にサシの入ったバラ。弾力のある脚肉。真っ白な脂身。そして、綺麗にされた骨。
サクが思わず感嘆の声を漏らす。
「……すご。これ、プロの解体師より手際がいいんじゃない?」
クルスも呆然と、自分の血に汚れた手を見つめている。
「……先生、ほんとに何者なんですか。看護師って、魔物の解体まで習うんですか……?」
ゆうこは額の汗を、比較的綺麗な二の腕の部分で拭った。
「言ったでしょ、ただの元看護師よ」
「看護師の守備範囲じゃないんですよ、もう!!」
サクがくすくす笑いながら、積み上がった肉の山を検分した。
「これだけあれば、ギルドに納品してもかなりの額になるわね。肉質も最高だし」
「えっ」
その言葉に、クルスの目がぴくっと、敏感に反応した。
「……額?お金、ですか?」
「ええ。ドレッドボアって普通に危険種だし、その分肉も需要があるの。これだけ状態がいいなら、冒険者一人分の月収くらいにはなるんじゃないかしら?」
「報酬……」
クルスの目に、失われていた生気が、希望の光として宿る。
「つまり……ちゃんとした、温かいご飯が食べられる……?」
ゆうことサクが顔を見合わせ、同時に力強く頷いた。
「食べられるわ。ステーキでもシチューでも」
「食べられるわよ。ビールもつけちゃう?」
その瞬間。
クルスの腹が、ぐううぅぅぅぅぅぅぅぅ……と、今日いちばん切実で、地響きのような音を立てた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
今回は――解体開始でした。
ドレッドボア討伐完了。
クルス救出完了。
そしてそのまま始まる、ゆうこ先生の野外解体。
なぜか三人の連携が噛み合ってしまいました。
「ゆうこ、手際よすぎ」
「サクのガラス生成が便利」
「クルスに早く肉を食べさせてあげたい」
と思っていただけたら、
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あなたの一押しが、今夜のステーキを厚切りにします。
感想も大歓迎です。
なお、解体は安全第一でお願いします。




