↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
128/175

第128話『完全包囲』

 だが確かに、効いている。

 歴戦の魔獣である大蛇が初めてその巨体のバランスを、明確に崩した。


 「今よ!」

 戦場の空気を切り裂くように、サクの鋭い声が響き渡る。


 その指示に呼応し、ゆうこは手にした万能シャベルを荒れた地面へと力強く突き立てた。


 ざざっ、と土煙が舞う。

 彼女は右手を、ふらふらと体勢を持ち直そうとする大蛇へとまっすぐ向けた。


 周囲の空気が、急激に歪む。

 一極集中。

 大気中のすべての分子を、眼前のわずかな一点へと強制的に圧縮していく。


 ぎゅうううううううっ!!

 耳鳴りを誘発するほどの高周波とともに、不気味な透明の球体が掌の前へみるみる形成されていく。


 「圧縮玉《コンプレス・ボール》!」

 絶叫とともに、圧縮された空気の塊が放たれる。


 ドンッ!!

 一直線。

 空間を抉るような軌道を描き、大蛇の強靭な胴体へ直撃する。


 ズドォォォォン!!

 「シャァァァァァァ!!」


 断末魔のような怒号が夜の森を揺らす。

 大蛇の巨体が衝撃に耐えきれず、激しく地面を滑った。


 周囲の分厚い木々を折り曲げながらなぎ倒し、ついには背後の黒い岩壁へと凄まじい勢いで激突する。


 ドガァァァァン!!

 「入った……!」


 手応えを確信したように、ほかてんが歓声をあげる。


 視界を覆うほどの濃密な土煙がもうもうと舞い上がり、巻き上げられた小石が乾いた音を立てて降り注ぐ。

 岩壁が崩落し、その瓦礫の向こう側で大蛇の巨大な姿がかき消えた。


 「…………」

 しかし、ゆうこは右手を下ろさない。

 緊迫した空気は微塵も緩んでいなかった。


 「まだ、終わってない」

 サクもまた、一歩も引かずに引き絞った弓を構えたまま。


 クルスも微動だにせず、鋭い眼光で闇の底を見据えている。


 そして次の瞬間だった。もうもうと立ち込める土煙の中闇を切り裂くように、二つの不気味な金色の光が浮かび上がる。


 ぎらり。

 底知れない殺意を湛えて、それが輝いた。


 「シャァァァァァァァァ!!」

 瓦礫を吹き飛ばし、傷だらけの大蛇が再び狂乱の勢いで飛び出してくる。


 「嘘でしょ、やっぱりぃぃぃ!!」

 ゆうこが冷や汗を流しながら叫ぶ。


 しかも、先ほどまでの荒々しいだけの動きとはわけが違う。


 速い。

 負傷しているはずの巨体が、信じられないほどの敏捷性で肉薄してくる。


 「っ!」

 反射的に、サクが矢を放つ。

 だが、怒りに狂った大蛇は蛇行するように身体を華麗にくねらせた。


 するり。


 殺意の込められた鋭い一撃を、まるで虫でも払うかのように軽々とかわしていく。


 「嘘、今のを避けた!?」

 そのままの勢いで、大蛇は一直線に突進していく。

 狙いは――ゆうこではない。


 「……え?」

 思考の追いつかないほかてん。


 そして、その背後で無邪気に固まっている大量の麹精霊たち。


 「まずい、みんなのところへ行く気だ!」

 ゆうこの焦燥を含んだ絶叫が響く。


 大蛇がガタリと巨大な顎を開き、トドメの一撃を叩き込もうと牙を剥き出しにする。


 「シャァァァァァ!!」

 「みんな、逃げてっ!」


 ほかてんは恐怖に足がすくみながらも、必死に腕を広げて麹精霊たちの前へと立ち塞がる。

 けれど、圧倒的な巨体の突進スピードには到底間に合わない。


 誰もが絶望を予感した、そのコンマ数秒のことだった。


 「どこ行こうとしてんだ、トカゲ野郎」


 突如として、大蛇の側面から気怠げで、しかし底冷えするような低い声が割り込んだ。


 「…………」

 ゆうこの瞳が、驚愕に見開かれる。

 そこに立っていたのは、紛れもなくおゆだった。


 「おゆ……!?」

 おゆは、狂乱する大蛇の進路を遮るように仁王立ちしている。


 その両目は完全に据わっており、全身からは未だに湯気が立ち上っている。

 どうやら、頭のてっぺんまで完全に覚醒しているらしい。

 まだ、完全にお湯が抜けきっていない状態だ。


 「てめぇの相手はなぁ」

 おゆはバキバキと音を立てて、両手の拳を強く鳴らす。

 ごきっ、と不気味な乾燥音が周囲に響く。


 「こっちだろうがよ」


 「シャ……?」

 猛進していた大蛇が、その圧倒的な圧力に思わずピタリと動きを止めた。


 ほんの一瞬、静寂が訪れる。

 冷徹な金色の瞳と、焦点の定まらないおゆの虚ろな目が真っ向からぶつかり合った。


 「…………」

 「…………」


 数秒の沈黙のあと。

 大蛇の全身の鱗が逆立ったかと思うと、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。


 大蛇が、きびすを返すように、すっ、とほかてんとは全く反対の方向へと哀れに顔を背けたのだ。


 「ビビって逃げたぁぁぁぁぁ!!」

 あまりのシュールな展開に、ゆうこの容赦ないツッコミが戦場に炸裂する。


 「待てやコラァァァァ!!」

 「シャァァァァァァ!?(化け物だこいつ……!)」


 恐怖に駆られたように、大蛇が再び必死の形相で逃走を始める。

 その背後を、湯気を纏ったおゆが凄まじい殺気で追いかけ回す。


 「なんなのこれ、また始まったぁぁぁぁ!!」

 サクは腹を抱え、笑いすぎて涙を浮かべながら地面に崩れ落ちる。


 「あははははっ、もう駄目! あの最強の大蛇がおゆから逃げ回る絵面、面白すぎるでしょ!」


 「呑気に笑ってる場合じゃないでしょ!」

 だが、ツッコミを入れながらも、ゆうこはその脳裏で冷静に状況を分析していた。


 ――いや、待って。

 彼女はすぐさま気付く。

 逃げ惑う大蛇の軌道が、あの無防備な麹精霊たちの群れからどんどん離れていく。


 蛇行しながら、見晴らしのいい開けた荒地へと誘導されている。


 「…………」

 ゆうこの細められた目が、冷たく光る。


 ねえ、サク。

 「なに?」

 「あれ、見てよ」


 恐怖で目を白黒させながら逃げ回る大蛇を、シャベルの切っ先で指し示す。


 「今なら、絶好の的じゃない?」

 その言葉に、サクの爆笑がぴたりと止まった。


 「…………」

 動きを止めたサクの視線が、的確に大蛇を捉える。

 麹精霊たちの安全圏からは十分に離れている。

 周囲の木々もまばらで、余計な障害物は何もない。


 「……確かにね」

 サクは息を整えると、再びゆっくりと、しかし確実に弦に矢をつがえて弓を構えた。

 隣でその様子を見ていたクルスも、すぐに状況を察知して頷く。


 「承知しました。今なら全力を叩き込めます」

 「でしょ?」


 ゆうこは不敵に微笑むと、手にした万能シャベルを再び地面へ深く突き刺した。


 そして、両腕を大きく前方へ突き出す。

 彼女の周囲の空気が、先ほどを上回るほどの猛烈な勢いで渦巻き始める。


 ぎゅううううううううううっ!!

 目に見えるほどの高密度な酒気が一点に収束していく。


 先ほどよりもさらに小さく、さらに凝縮された、致死性の圧縮玉が形作られていく。


 サクもまた、心眼を開いたように限界まで弓を引き絞る。

 クルスは音もなく地面を蹴り、大蛇の逃げ道を完全に塞ぐ位置へと回り込んでいく。


 そして、包囲網が完成した瞬間ゆうこが野太い声で叫んだ。


 「おゆ!」

 「なんだぁぁぁ!!」


 「そのままこっちの真ん中に追い込んで!」

 「最初からそのつもりだボケェェェァ!!」


 「絶対あと付けの嘘ぉぉぉぉ!!」

 文句を言い合いながらも、結果としてその連携は完璧だった。


 怯えて逃げる大蛇。

 それを鬼気迫る表情で追い立てるおゆ。

 その逃走の先には、待ち構える三人の精鋭が牙を研いでいる。


 「シャ……?」

 異変に気付いた大蛇が、ようやく足を止めて周囲を見回す。


 前方――ゆうこ、サク、クルスの冷徹な眼差し。

 後方――血走った目で追ってくるおゆ。


 「…………」

 大蛇の誇り高き金色の瞳が、この旅で初めて、紛うことなき「絶望」の色に染まった。


 「…………」

 逃げ場などどこにもない。

 前方には、静まり返った絶望の布陣。

 ゆうこ、サク、クルスの三人が無言で道を塞いでいる。


 そして後ろからは、轟音を立ててあの女が迫る。


 「逃げんなやコラァァァァ!!」

 おゆの怒声が背筋を凍らせる。


 「シャ……」

 冷や汗を流すように、大蛇は右へと首を振る。


 そこには険しくそびえ立つ断崖絶壁。

 今度は左を見る。

 そこには人の通らぬ鬱蒼とした深い森。

 逃げ道はない。意を決してもう一度、正面を直視する。


 ゆうこの掌の上では、すでに暴発寸前の圧縮された空気の塊が不気味にうねっている。

 サクの構えた弓には、限界まで引き絞られた死の矢がつがえられている。

 クルスは無言のまま、ただ静かに重心を落として拳を構えている。


 そして、背後からは――。


 「どこ見てんだぁぁぁぁ!!」

 おゆの容赦ない鉄拳が迫る。


 「シャァァァァァァァ!!」


 「一番行きたくない方向に叫びながら逃げたぁぁぁぁ!!」

 ゆうこの的確なツッコミが空気を切り裂く。


 その刹那、追い詰められた大蛇が最後の賭けに出た。


 「シャァァァァァァ!!」

 絶叫とともに、巨大な身体をバネのようにしならせ、手近な横の森へと強引に飛び込もうとする。


 「そこは、逃がしません」

 静かな声とともに、クルスが地面を爆発的に蹴り飛ばした。


 ドンッ!!

 凄まじい加速で大蛇の進行方向の木々を飛び越え、完璧なタイミングで回り込む。


 「シャァッ!」

 焦った大蛇が、身を守るように巨大な尾を力任せに振り抜いた。


 ブォォォォン!!

 凄まじい風圧が周囲の枝葉を吹き飛ばす。


 しかし、クルスは臆することなくタイミングを合わせ、寸前で身体を低く沈める。

 頭上のわずか数ミリを、破壊の尾がすれすれに通過していく。


 「危なっ……!」

 固唾を呑んで見守るゆうこの声が漏れる。


 だが、クルスの動きはそこで止まらない。

 一歩、さらに大蛇の懐へと踏み込む。


 重心を完全に拳に乗せ、逃げ場のない大蛇の硬質な胴体へ渾身の一撃を叩き込んだ。


 ドゴォォォォン!!


 「シャァァァァァ!?」

 衝撃波が広がり、大蛇の巨体が物理法則に逆らうように反対側へと大きく押し戻される。


 「今です、サクさん!」

 「分かってる!」


 「貫月《かんげつ》!」

 バシュンッ!!


 意思疎通のいらない阿吽の呼吸で、極限の矢が放たれた。

 大蛇の鼻先をかすめ、その進路を完全に塞ぐように、矢は数歩先の岩壁へと深く突き刺さる。


 ドガァァァァン!!


 岩石が粉々に砕け散り、崩落した瓦礫が巨大な壁となって退路を完全に断った。


 右には、冷徹に構えるクルス。

 左には、無慈悲に崩落した岩の壁。

 前には、必殺の酒気を溜めるゆうこ。


 そして後ろには――。


 「待てやぁぁぁぁぁ!!」

 殺意に満ちたおゆが、すぐ背後まで迫っている。


 「シャァァァァァァァ!?」


 「これにて、完全包囲完了!」

 ゆうこが勝ち誇ったように、そう言い放った。


 だが、その気の抜けた勝利宣言の次の瞬間だった。

 絶望に沈んでいたはずの大蛇の金色の瞳が、再び、異常なまでの異彩を放ってぎらりと輝いた。



挿絵(By みてみん)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。