第101話『地図の先にある七つの国』
「……で?」
ゆうこは腕を組み、怪訝な視線を隣を歩く二人へと向ける。
「蒸留酒大陸って、どうやって行くのよ?」
その率直な疑問に、サクとクルスが申し合わせたようにぴたりと足を止めた。
「あっ」
「…………」
二人が気まずげに顔を見合わせる。
背筋を冷たいものが走るような、嫌な沈黙がその場の空気を支配した。
「え、まさか」
ゆうこの美しい頬が、信じられないものを見るようにぴくぴくと引きつる。
「行き方、考えてなかったの?」
「……考えてませんでした」
クルスが情けないほどの申し訳なさで、首を垂れて頭を下げる。
「私は、歩けば何とかなると思ってたわ」
一方のサクは、自身の失態にもかかわらず、どこまでもマイペースに悪びれる様子もなく答えてみせる。
「ならないわよ!」
堪忍袋の緒が切れたゆうこは、思わず鋭いツッコミを炸裂させた。
「大陸よ!? 海よ!? 徒歩でどう渡るっていうのよ!」
「えへへ」
当のペット枠であるしゅわ丸は、呑気に可愛らしい照れ笑いを浮かべるばかり。
「しゅわ丸まで呑気に笑ってる場合じゃないの!」
怒りの矛先を変えたゆうこは、大きく重い溜息を吐き出すと、白い白衣のポケットをごそごそと探り、一枚の古びた羊皮紙の地図を取り出した。
「そういえば……アルケラにもらった地図があったわね」
手触りの良い紙でできた、世界全体を俯瞰する一枚の地図。
その端には、かすれたインクで小さな酒瓶の印が丁寧に押されている。
ゆうこが両手でそれを広げると、興味を惹かれた三人が自然と身を寄せ合い、その小さな紙面に群がった。
「えっと……」
地図の上には、これまで彼らが命がけで旅してきた『ぽしゃけ大陸』、そして激闘を繰り広げた『醸造酒大陸』の文字が緻密に描かれている。
そのさらに先。
果てしない青色で表現された広大な海を越えた場所に、ひときわ大きく記されていた。
《蒸留酒大陸》
その未知の大陸の内部には、細やかな線で区切られたエリアが広がっている。
『焼酎の国』
『ウイスキーの国』
『ジンの国』
『ウォッカの国』
『ラムの国』
『テキーラの国』
『ブランデーの国』
と、それぞれの国名が美しい円を描くように配置されていた。
「構造が複雑というか……結構広そうなところね……」
ゆうこが感嘆と呆れが入り混じった声で呟く。
すると、地図の右下という隅っこに、やけに小さな文字で注意書きが書かれていることに気付いた。
『※蒸留酒大陸への渡航には、飛行手段を強く推奨します』
「飛行手段?」
ゆうこは首をかしげ、思考の海に沈む。
「船じゃダメなの?」
サクもまた、不思議そうに顔を近づけて文字を覗き込む。
その瞬間。
それまで沈黙していたクルスが「あっ」と何かを思い出したように、間抜けな声を漏らした。
「そういえば……」
「?」
「俺達、飛べました」
「……は?」
耳を疑う発言に、ゆうこの動きが完全に停止する。
クルスは静かに、自身の右腕へと視線を落とした。
そこには、戦いの名残であるかのように、まだ薄っすらと妖しく黄金色に輝く『ポコちんの紋様』が刻み込まれている。
「日本酒の国で顕現した【ポコちん龍】の力を使えば、あの蒸留酒大陸まで空を飛んでいけるかもしれません」
あまりの天然ボケな回答に、ゆうこは数秒間、完全に無言のまま硬直した。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「最初からそれを言いなさいよーーーっ!!!」
ビシィィッ!!
キレたゆうこの美しい手刀が、音を立ててクルスの頭頂部へと綺麗に炸裂する。
「痛っ!」
「最初から飛べるって分かってるなら、こんな無駄に悩む必要なかったじゃない!」
「す、すみません……。あまりのスケールの大きさに、すっかり忘れていました……」
クルスは両手で頭を押さえながら、地面に額がつきそうなほどの勢いで深々と頭を下げる。
その横でサクは、おかしそうに肩を細かく震わせ、くすくすと上品な笑声を漏らしていた。
「ふふっ、怒られちゃったね。それじゃあ、さっそくお願いできる?」
「任せてください!」
サクの催促に気を取り直したクルスは、力強く一歩前へ踏み出すと、静かに右腕を大空へ向かってまっすぐ掲げた。
衣服の擦れる音とともに、右腕に刻まれた神秘的な紋様が、再び強烈な黄金色の光を放ち始める。
最初は闇夜の蛍火ほどだった小さな光が、次第に意思を持つかのように激しい鼓動を刻み、規則正しく脈打ち始めた。
ドクン。
ドクン。
血管を伝う血流の音さえ聞こえそうなほど、右腕そのものが禍々しくも神々しい生き物へと変貌していくような、奇妙で圧倒的な感覚。
周囲に漂う大気が震え、黄金色の濃密な酒気が渦を巻きながら、まるで吸い寄せられるようにクルスの腕へと収束していく。
ごうごうと不気味な音を立てて、周囲の風が急激に変わり始めた。
足元の草木が激しくざわめき、乾いた地面に落ちていた枯れ葉が、目に見えないエネルギーに引っぱられるようにふわりと宙へと舞い上がる。
「く、クルス……?」
ただ事ではない気配の強さに、ゆうこは思わず一歩、二歩と後ろへ足ずさった。
ついさっき目の前で見た光景だというのに、肌を刺すようなこの異様なプレッシャーには、どうしてもまだ慣れることができない。
対照的に、サクは唇の端に余裕の笑みを浮かべたまま、悠然と腕を組んでその様子を高みの見物のように眺めている。
「始まったわね」
クルスは決意を込めた足取りでさらに前へ踏み出し、掲げた右腕をさらに天高く突き立てる。
その瞳の奥が、冷徹かつ妖しく黄金色に輝いた。
普段の気弱で優柔不断な真面目青年としての面影は微塵もなく、そこに立っているのは、世界の命運をたった一人で背負って立つ伝説の勇者そのもの。
本人も自覚しているのか、完璧に仕上がった全力の厨二病モード全開である。
「……聞こえるぞ」
喉の奥を這うような低く渋い声で、クルスは呟く。
「永き封印と眠りの果てより、この俺を呼び覚ます神獣の血潮と鼓動が……!」
右腕の限界を超えて溢れ出した凄まじい酒気が、眩い黄金の奔流となって蒼穹へ向けて駆け上っていく。
ゴォォォォォォォッ!!
天高くどこまでも伸びていく光の柱が、上空の白い雲を無残に突き抜けた。
そのあまりに派手すぎる光景を目撃した日本酒の国の人々が、あちこちで一人、また一人と足を止めて空を仰ぎ見る。
「あっ!」
「おい見ろ、また始まったぞ! 例のアレだ!」
「あの例の龍のやつだな!」
「おーい、みんな集まれー! またあのポコちん龍が出るぞー!」
ほんの数瞬の間に、周囲には野次馬の大きな人だかりが形成される。
まるで村の一大祭りが突然始まったかのような、圧倒的なお祭りムードの賑わい。
「おい誰か、そこの屋台から焼き鳥持ってこい!」
「酒も追加でどんどん回せ!」
「特等席の場所取りはこっちだぞー!」
「いやいや、これから出陣するんだから花火大会じゃないんだからね!」
野次馬たちの勝手な盛り上がりに、ゆうこは呆れたようにすかさず激しいツッコミを入れる。
しかし、興奮しきった群衆の耳には、彼女のまっとうな声など届くはずもない。
無邪気な子どもたちはキラキラと目を輝かせながら地面を飛び跳ね、陽気な大人たちは手にした酒瓶を誇らしげに掲げながら空を見上げている。
「頑張れー! 負けるなポコちん龍ー!」
「もっと派手に派手に炎でも吐いてやれー!」
「……なんか、すごい応援されてるわね、私たち……」
ゆうこはあまりのシュールな状況に、ぐったりと複雑怪奇な表情を浮かべるしかなかった。
一方のクルスは、周囲の歓声や喧騒などまるで耳に入っていないかのように澄まし、右腕を天へ突き出したまま、さらにボルテージを上げて高らかに叫び声をあげる。
「覚醒の刻は再び巡り来たり! 我が右腕の深淵に封じられし禁忌の神獣よ! 世界を隔てる蒼穹の壁を喰らい尽くし、新たなる大陸へと通じる道を今こそ切り拓け!」
呪文の詠唱と共に、黄金の酒気が爆発的な勢いで周囲へと膨れ上がっていく。
視界のすべてを覆い隠すほどの巨大な魔法陣が空中に展開され、その中心から空間を引き裂くような轟音が響き渡った。
ゴォォォォォォォォォォッ!!
眩い光が弾け飛ぶ。
そして訪れた、静寂を切り裂く次の瞬間。
太陽の光を凝縮したかのような黄金色の巨大な龍が、分厚い雲の層を豪快に突き破り、その雄大な全貌を現実の世界へと現した。
どこまでも続くかのように長大な胴体。
燦々と降り注ぐ陽光を浴びて、幾千の宝石のように眩しく乱反射する黄金の鱗。
天を突くように鋭く伸びた一対の角と、知性と威厳に満ち溢れた冷徹な双眸。
現れた龍は大空を悠然と美しく旋回すると、日本酒の国の隅々までがなり立てるように、地鳴りのような咆哮を放った。
ゴォォォォォォォォォォッ!!
「おぉぉぉぉぉぉぉーーーっ!!」
町中のあちこちから、割れんばかりの割れ鐘のような歓声が巻き起こる。
「すげぇぇぇぇ! 相変わらずの迫力だぜ!」
「やっぱ何回生で見てもこの格好良さは異常だな!」
「ポコちん龍さまぁぁぁ! こっち見てくれぇ!」
「……名前のセンスだけ、どうにかならなかったのかしら、本当に……」
ゆうこは遠い目をして、こめかみを押さえながら天を仰いだ。
周囲の熱狂をよそに、黄金の龍は三人と一匹の立つ目の前へと、巨体に似合わない優雅な身のこなしでゆっくりと舞い降りる。
その圧倒的な巨体があるだけで、まるで目の前に新しい山が一つポツリと出現したかのような、圧倒的な存在感が周囲を圧倒した。
しかし、あれほど凶悪な咆哮をあげていたにもかかわらず、龍は至って従順に静かに大きな頭を垂れ、その巨大な鼻先をクルスの体に優しく寄せた。
「ふっ……、よくぞ応えてくれた」
クルスは満足げに片手で前髪をカッコよくかき上げる。
「やはり来たか、我が不世出の盟友よ。交わした契約は今なおこの世界で有効ということだ! さぁ、共に往こうぞ! 我らが目指す新たなる戦場……『蒸留酒大陸』の地平へ!」
「ゴォォォォッ!」
主の言葉に呼応するかのように、龍が短く力強く一声鳴いた。
「しゅわ♪」
呑気なしゅわ丸は、これから未知の大陸へ行くという緊迫感を微塵も感じさせず、嬉しそうにパタパタと跳ねて龍の硬い頭の上へと勢いよく飛び乗る。
「気に入るスピード早すぎないかしら……」
ゆうこは苦笑いを浮かべながら、その巨大な龍の背中へとよいしょとよじ登る。
実際に触れてみると、見た目のごつい鱗の硬さとは裏腹に、驚くほど滑らかで温かく、まるで最高級の革張りで仕立てられた特等席のような極上の座り心地だった。
「これ、想像以上に乗り心地がいいわね……」
「でしょう? 見た目によらず快適ですよ」
ゆうこの感想に同調するように、サクも軽やかな身のこなしでひらりと飛び乗ってくる。
最後にクルスが堂々と龍の首元へと立ち上がり、前方を見据えてゆっくりと右手を力強く突き出した。
「全軍、発進する。……飛ぶぞ」
その低く響く号令と同時に、ポコちん龍は背中の巨大な翼をバサリと大きく広げた。
ドォォォォォンッ!!
周囲の空気を切り裂くような猛烈な風圧が爆発的に巻き起こり、足元に生い茂っていた草花が一斉に激しくなびく。
「いってらっしゃーーい!」
「道中気をつけて、またいつでも遊びに来いよーー!」
「旅先でも酒はほどほどに飲み過ぎるなよーー!」
日本酒の国の人々が送ってくれる温かな声援を背中に心地よく受け止めながら。
黄金の龍は、強靭な脚力でしっかりと大地を蹴り飛ばした。
ズゴォォォォォォォォォッ!!
一瞬の静寂ののち、凄まじい推進力で空の彼方へと一気に舞い上がる。
出発点となった日本酒の国の街並みが、みるみるうちに豆粒のように小さくなっていく。
果てしなく広がる澄み渡る青空の向こう側。
三人と一匹を乗せた誇り高き黄金の龍は、蒸留酒大陸を目指して、一直線にその翼を羽ばたかせ続けるのだった。




