第100話『蒸留酒大陸へ』
一夜明け、夜の帳が上がった日本酒の国。
広場には国中の人々が集まり、期待に満ちた熱気が渦巻いていた。朝の静寂を切り裂くように、力強い太鼓の音が鳴り響く。
ドンドン!!
ドン!!
ドンドン!!
そのリズムに合わせて、子どもたちが無邪気に広場を駆け回り、大人たちは祝宴の準備に精を出している。
新酒を運ぶ屈強な職人たちの掛け声と、香ばしい屋台の匂いが混ざり合い、祭りの幕開けを告げていた。
その賑わいの中を、しゅわ丸が「おまちゅり!」と声を上げ、ピョンピョンと弾むように駆け回る。
子どもたちもその後を追いかけて、「しゅわ丸だー!」「待ってー!」と広場を縦横無尽に走り抜けた。
やぁ子がその光景を見て、満面の笑みで叫んだ。
「みんなー!! 祭りの準備が整ったよーー!!」
その言葉に呼応するように、広場全体から「おおおおおーーー!!!」と地響きのような歓声が上がる。
ソラマルが広場の中央に鎮座する巨大な酒樽の上へ軽やかに飛び乗り、空へ向かって拳を突き上げた。
「野郎ども!! 今日は何の日だぁぁ!!!」
「「「日本酒の国復活祭だぁぁぁ!!!」」」
歓声は大地を揺らし、雲を散らす勢いだ。
杜氏はその様子を、感慨深げに、そして静かに新酒の入った樽を見つめながら見守っている。
「今年も無事に、この酒が造れた……。これも皆のおかげじゃ」
杜氏の言葉に、職人たちは一斉に頭を下げた。その背中には、職人としての誇りが滲んでいる。
パカンッ!!
酒樽の蓋が勢いよく開け放たれる。ふわりと、新酒の芳醇で優しい香りが、祭りの広場全体へ優雅に広がった。その芳香に、しゅわ丸は嬉しそうに身体を揺らして喜ぶ。
「いいにおい!」
「乾杯だぁぁぁぁ!!!」
ソラマルの合図とともに、全員が一斉に木製の盃を掲げた。
「「「かんぱーーーい!!!!」」」
カンッ!! という澄んだ音が広場中に響き渡り、人々の笑顔が溢れる。
待ってましたとばかりに、やぁ子が威勢よく声を張り上げた。
「みんな、ご飯もできてるよーー!!」
屋台の布が一斉に外される。そこには色鮮やかなご馳走の数々が並んでいた。焼き魚、香ばしい串焼き、揚げたての天ぷらに煮物、そして漬物。しかし、ひときわ目を引くのは、山と積まれた「おにぎり」の山だ。
おにぎり。おにぎり。おにぎり。
どこを見渡してもおにぎりだらけの光景に、しゅわ丸の目がきらきらと輝く。
「おにぎり、しゅき♪」
その様子を見たクルスが、呆れと感心が混ざった表情で苦笑いした。
「やっぱり今日もおにぎりなんですね」
やぁ子は胸を張って言い切る。
「今日は三千個握ったよ!」
「数がおかしいんですよ!!」
クルスのツッコミも虚しく、笑い声が広場いっぱいに広がっていく。その時、ナミキが大ジョッキを掲げて叫んだ。
「よぉぉぉし!! 今日は祝いだ!! 全員踊れぇぇぇぇ!!!」
太鼓と笛の音がテンポを上げ、祭りの熱気は最高潮に達する。ソラマルが踊りの先頭に立って叫んだ。
「始めるぞ!! ポコちん音頭だぁぁぁ!!」
やぁ子が先導するように歌い始める。
「ポコちん音頭で〜♪」
ナミキが陽気に続く。
「酒がうまいぞ〜♪」
ソラマルが堂々と胸を張る。
「守る男は〜♪」
「ポコちんポンポコポーン♪」
広場中の人々が拳を突き上げ、一体となって舞う。子どもも、職人も、杜氏も、おじいちゃんもおばあちゃんも、誰もが笑顔の渦の中にいた。
しゅわ丸もぴょんぴょんと楽しそうに跳ね、子どもたちが「こっちこっち!」とそれを囲む。
クルスは頭を抱え、天を仰いだ。
「またですかぁぁぁぁ!!」
やぁ子がクルスの手を強引に掴む。
「ほら、クルスさんも!」
「え!? ちょっ!!」
ソラマルがクルスの背中を力強く押す。
「応援団長!! 出番だぞ!!」
すると、しゅわ丸もクルスの肩へぴょこんと飛び乗った。
「くるしゅ、がんばれ♪」
「しゅわ丸までぇぇぇぇ!?」
観念したクルスは、輪の真ん中で踊り始めた。
「ポコちんポンポコポーン♪」
「……もうどうにでもなれぇぇぇぇ!!」
開き直ったクルスは、誰よりも大きく、キレのある動きで踊り始めた。
その肩の上で、しゅわ丸もリズムに乗って楽しそうに跳ねている。一人と一匹の完璧なコンビネーションに、周囲の人々は腹を抱えて笑い転げた。
ゆうこは盃を傾けながら、その光景を微笑ましく見つめる。
「最初はあんなに恥ずかしがってたのにね」
サクも隣で優しく頷く。
「いい顔するようになったわ」
青空へ向かって響く笑い声。それは祭りという枠を超え、一つの国が未来を取り戻した歓喜の宴そのものだった。
祭りが終わろうとする頃、ソラマルが再び酒樽の上に立った。
「静かに!」
その一声で、広場はゆっくりと静まり返る。ソラマルはゆうこたち三人へ向き直り、深々と頭を下げた。
「ありがとう」
その一言を皮切りに、杜氏も、職人も、やぁ子も、ナミキも、そして広場にいた全員が、一斉に深々と頭を下げた。
「「「ありがとうございました!!」」」
何百人もの感謝の声が重なり、しゅわ丸もペコリと身体を倒す。クルスは慌てて両手を振り、照れ隠しに頭をかいた。
「や、やめてください! 俺たちはそんな……!」
やぁ子は笑顔のまま、嬉し涙を拭う。
「皆さんが来てくれなかったら、この国は本当に終わってたんだよ」
ナミキが深く頷く。
「本当に……ありがとう」
杜氏も目を細め、穏やかに言葉を紡ぐ。
「酒蔵も、酒も、この国の誇りも。全部守ってくれた」
ソラマルはクルスの肩を力強く叩く。
「胸張れ。今日は、お前がこの国の英雄だ」
クルスは照れくさそうに笑いながら答えた。
「英雄なんて柄じゃありませんよ。俺は、仲間がいたから戦えただけです」
しゅわ丸がクルスの肩へぴょこんと飛び乗る。
「みんな、がんばった」
その一言に、ゆうことサクが顔を見合わせて微笑んだ。
「そうね。みんなで守った国だもの」
ゆうこが優しくしゅわ丸の頭を撫でた、その瞬間だった。
ひらり。
一枚の紙切れが、青空の彼方から舞い降りてきた。風に乗って、まるで狙ったかのようにゆうこの目の前へ落ちる。
「……なにこれ?」
ゆうこが紙を拾い上げた瞬間、脳内にいつもの調子のアルケラの声が響いた。
――『おーい、聞こえとるか』
「聞こえてるよ、アルケラ。ほんと、相変わらず唐突ね」
――『唐突なのは今に始まったことではないわい』
ゆうこは苦笑いしながらため息をつく。
――『それにしても、三人とも息が合っとるのう。昔から変わらん。まずは日本酒の国、お疲れさんじゃ!三人とも、よくやったのう』
飄々とした声の中に、どこか楽しげな響きがある。ゆうこたちは自然と顔を見合わせた。
――『さて、そろそろ次の目的地を教えてやろうかの』
ゆうこが紙を広げると、そこには簡単な地図が描かれていた。《蒸留酒大陸》という文字が目に飛び込む。
――『次はそこじゃ。酒の世界でも、ひときわ癖の強い連中が住んどる場所じゃぞ。覚悟しとけ。おぬしらの常識なんぞ、初日で吹き飛ぶからの』
「毎回そう言ってるけど、だいたい初日でろくな目に遭ってないのよね……」
ソラマルの表情が真剣に引き締まる。
「いよいよ、蒸留酒大陸へ向かうのか」
ゆうこは力強く頷いた。
「ええ。私たちの旅は、まだ終わってないわ」
杜氏が重々しく口を開く。
「蒸留酒大陸は、この大陸とはまるで違う。酒の力も、文化も。そして……住む者たちもな」
三人が旅支度を整え、門の前へ立つ。ソラマル、やぁ子、ナミキ、杜氏、そして国中の人々が見送りに集まっていた。
子どもたちの輪の真ん中で、しゅわ丸がぴょんぴょん跳ねる。
「またねー!」
子どもたちが一斉に手を振り、しゅわ丸も嬉しそうに身体をふりふり揺らした。
ソラマルが豪快に笑い、門出を祝う。
「達者でな!」
「はい!」
クルスも清々しい笑顔で頷いた。ゆうこが最後に皆へ向かって手を振る。
「みんなも元気でね」
サクが優しく微笑み、最後の一言を添えた。
「また必ず来るわ。」
その時だった。
広場の喧騒にふと影が差し、やぁ子の肩が小刻みに震え始める。その予兆を察したクルスが不安げに覗き込む。
「……やぁ子?」
ゆうこが不思議そうに首を傾げた、その直後だった。やぁ子はうつむいたまま、ぽろり、と一粒の涙を零した。それが引き金だったかのように、堰を切ったような大粒の涙が彼女の頬を伝い落ちる。
「えーんえんえん(´;ω;`)」
突然の号泣にゆうこが目を白黒させる。
「え? ちょっと、急にどうしたの?」
「どーるどるどるぅぅぅぅ(´;ω;`)」
「いや、泣き声の癖が強すぎるでしょ!」
クルスが即座に突っ込むが、やぁ子は涙を撒き散らしながら三人へ飛び付いた。
「ぺーそぺそぺそぉぉぉぉぉ(´;ω;`)」
「だから何語なんですか、その言語は!?」
クルスの制止も聞かず、やぁ子は彼の胸元に顔を埋める。瞬く間に、クルスの服が涙でびしょ濡れになっていく。
「うわぁぁぁ!! 袖が! 俺の袖がもうびちゃびちゃです!!」
クルスが慌てふためくのも気に留めず、やぁ子は必死の形相でしがみ付く。
「帰っちゃやだぁぁぁぁぁ!! まだおにぎり百種類も食べてもらってないのにぃぃ!!」
「そこが基準なんですか!?」
絶叫するクルスを横目に、ソラマルが腕を組みながら豪快に笑い飛ばした。
「がっはっはっは! やぁ子は昔から、別れ際になるとこうなんだ!」
ナミキも豪快に笑い声を加える。
「ああ、見てろ。あいつ、三日は泣き止まねぇぞ!」
「そんなに長いんですか!? 勘弁してくださいよ!」
やぁ子は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、もはや何を言っているのか判別不能な言語を叫び続けた。
「うぉーんうぉんうぉん(´;ω;`)」
「げーんげんげん(´;ω;`)」
「ペーリカペリカペリカ(´;ω;`)」
「誰か! 誰か翻訳してください!!」
クルスが悲痛な叫びを上げる。
その窮地を救ったのは、しゅわ丸だった。やぁ子の肩へぴょこんと飛び乗り、ぷるぷると身体を揺らしながら、やぁ子の涙を不思議な力で優しく吸い取っていく。
「しゅわ♪」
その温もりを感じたのか、やぁ子は少しだけ泣き笑いの表情を浮かべた。
「しゅわ丸ぅ……」
ゆうこは慈しむような眼差しで苦笑しながら、やぁ子の頭をそっと撫でる。
「そんなに泣かなくても、また来るよ。約束するから」
「ほんと……?」
「うん。約束」
しゅわ丸も元気よく頬を膨らませて頷く。
「やくそく!」
やぁ子はぐすぐすと鼻をすすりながら、ようやく小さく笑った。
「……じゃあ、次来るまで、おにぎりもっといっぱい練習しとくからね!」
「……まだ増やす気なんですか!?」
クルスのツッコミにサクが堪えきれずに吹き出す。
「あはは! 百種類じゃ足りないみたいね」
「うん、千種類作る!」
「増えてるぅぅぅぅ!!」
クルスの悲鳴にも似たツッコミが広場に響き、しゅわ丸も嬉しそうにその場で跳ね回る。
先ほどまでの悲痛な空気が嘘のように、広場は再び温かな笑い声に包まれた。
やぁ子は最後に、名残惜しそうに大きく手を振る。
「またねーーー!!!」
涙を流しながらも、彼女は今の自分にできる精一杯の笑顔を浮かべていた。三人もまた、その笑顔に応えるように手を振り返す。
しゅわ丸も身体いっぱいに手を振るように身体を揺らし、愛らしく叫んだ。
「またねー!」
子どもたちも声を揃えて追いかける。
「しゅわ丸ー! また来てねー!」
「しゅわぁ!」
こうして三人と一匹は、日本酒の国の人々の温かな眼差しに見送られながら、新たな冒険の地――蒸留酒大陸へ向けて歩き始める。
その先で待つ未知の出会いも、待ち受ける試練も、今はまだ誰も知らない。
ただ一つ確かなのは、三人と一匹の絆が、ここからさらに大きく動き始めるということだった。




