第056話:聖域の調達網(サプライチェーン)と、忍び寄る西の敵対的買収(M&A)
1.西のアナリストによる身辺調査
時計の針を、東京ドームでの『強制解放』が炸裂する数日前に戻す。
五月某日。関東の旧体制が『全国大会』という名の罠を編み上げることに腐心していた裏で、西日本を牛耳る巨大クラン『芦屋シンジケート』は、すでに冷徹な情報戦を開始していた。
「……ターゲット、神崎有栖。……渋谷代々木学園高等部一年。……現在、恵比寿中央市場にて『仕入れ』を行っている模様」
市場の入り口付近に停められた黒塗りのバンの中で、芦屋シンジケートの情報部員が、超小型の魔導ドローンから送られてくる映像を睨みつけていた。
通信の向こう側、大阪・中之島の本社ビルにいる情報分析部門トップ・水無月から、無機質な声が届く。
『……監視を継続しろ。佐藤通という怪物を限界突破させる「特級のバフアイテム」。その製造プロセスの秘密は、彼女の『調達網』に隠されているはずだ。いかなる魔導錬金術を駆使しているのか、すべて記録しろ』
「了解しました。……しかし、水無月様。ターゲットの周辺警備が、予想以上に強固です」
工作員が、モニターに映る映像を拡大する。
そこには、買い物かごを下げる一人の可憐な女子高生――有栖を中心に、完璧なフォーメーションで周囲を警戒する、複数名の少女たちの姿があった。
2.完璧な兵站と、鉄壁のバックオフィス
恵比寿中央市場。
かつては下町の風情を残す活気ある商店街だったが、大発生以降、魔力の影響を受けて進化した「高栄養価・高魔力食材」が取引される、都内有数の高級市場へと変貌していた。
その喧騒の中を、クラン『レギュレーター』の広報兵站部長・三木怜は、左腕の『Manager』の腕章を揺らしながら、鋭い眼光で周囲を牽制していた。
「……遥、十二時方向の不審な視線、遮断して。理奈はドローンの死角をカバー。……ボスの命綱である『メイン・ベンダー』に、不確定なノイズを近づけさせないで」
「了解、怜っち。……完璧にマスキングするよ」
「栄養管理も抜かりないわ。今日の有栖さんの献立プラン、必要な魔力値とカロリーの計算は私の端末に同期済みよ」
S.G.サポーターズ・プレミアムの精鋭たちが、インカムを通じて秒単位の連携を見せる。
彼女たちにとって、有栖の「お買い物」は単なる日常ではない。クランのCEOである佐藤通のコンディションを最高値に固定するための、最も重要な『兵站任務』なのだ。
「……三木さん、遥ちゃん。いつも重い荷物持ってもらって、ごめんね。SPみたいで、なんだか申し訳なくて……」
有栖が、申し訳なさそうに眉を下げる。
「気にしないで、有栖さん。私たちは『組織のバックオフィス』として、当然の業務を遂行しているだけよ。それに、ボスから支給されている『ランチ・レギュレーションの経費』は潤沢すぎるわ。最高の食材を、最高の鮮度でタワーに持ち帰るのが私たちの使命だから」
怜は完璧な営業スマイルで応えつつ、周囲の不審な気配――芦屋シンジケートの工作員の視線を、的確に牽制していた。
3.無自覚な目利きと、ホーム・マーケットの温もり
「あ、八百屋のおじさん! こんにちは!」
有栖が、行きつけの八百屋の店先に駆け寄る。
「おお、有栖ちゃん! 今日も友達連れて、大所帯だねぇ。……どうだい、今朝採れたばかりの『魔力特化型の春キャベツ』。甘みが強くて最高だよ!」
店主が、ほんのりと緑色の燐光を放つ立派なキャベツを差し出す。
だが、有栖はそれをじっと見つめ、少しだけ首を傾げた。
「うーん……おじさん、こっちの奥にある『魔力が少し暴れてる』お野菜の方をもらってもいいかな? トールくん……あっ、私がご飯を作る相手は、すごく強い雷の魔法を使うから、これくらいパンチがある食材の方が、彼の魔力と綺麗に混ざり合うと思うの」
「ほう! 相変わらず、恐ろしいほどの『目利き』だねぇ。一流の魔導調合師でも、そこまで食材の波長は読めないよ!」
八百屋の店主が舌を巻く。
有栖は、自覚していなかった。
彼女が「トールくんのお口に合うように」と無意識に選んでいる食材は、すべてトールの『レベル131の雷魔法の波形』に完全にシンクロする、極めて特異な魔力特性を持ったものばかりなのだ。愛という名の絶対的なチューニングが、彼女を『特級のバフアイテム製造機』へと引き上げていた。
続いて魚屋。
「今日は立派なブリが入ってるよ! ギルドの連中が買い占めようとしたヤツを、有栖ちゃんのために取っておいたんだ!」
「わぁ、ありがとう! ……じゃあ、このブリと、お肉屋さんで和牛を……。三木さん、経費、大丈夫かな?」
「問題ないわ。ボスのブラックカード(経費枠)の限度額は、この市場を丸ごと買い取れるくらいあるから」
怜がタブレット端末で、スマートに電子決済を完了させる。
商店街の人々は、有栖を「いつも笑顔でたくさん買ってくれる良い子」として、そして彼女の背後にいるクラン『レギュレーター』を「この市場の経済を潤してくれる最高の顧客」として、家族のように温かく迎え入れていた。
この日常の温かな交流と、良質な食材の供給網。
それこそが、トールが何よりも重んじ、守り抜こうとしている『聖域』だった。
4.過保護な防壁と、資本の暴力
その様子をバンの中から監視していた工作員は、歯噛みしていた。
「……ダメです、水無月様。あの少女自身は無警戒ですが、周囲の護衛の警戒が厳しすぎます。それに、彼女の『目利き』の基準が全く読めません。あれでは、拉致して製造法を吐かせたところで、我々には再現不可能です」
『……ならば、兵站そのものを物理的に断ち切るまでだ』
通信越しの水無月の声が、絶対零度の冷酷さを帯びる。
『彼女が利用している仕入れルート、あの市場の仲卸業者をすべてリストアップしろ。我が芦屋シンジケートの全資本を投じ、市場の流通経路に圧力をかけ、彼女が一切の食材を買えないように市場を干上がらせる(ショートさせる)。……あるいは』
工作員が、ゴクリと唾を飲み込む。
『護衛の隙を突き、彼女の家族――身内を人質に取り、彼女を我々の専属ベンダーとして強制的に「敵対的買収(M&A)」する』
「……りょ、了解しました。今、彼女の背後に隙が……」
工作員が、市場の裏路地を歩く有栖の背後へと、気配を殺して接近しようとした、その時だった。
「――おーい! 有栖ゥゥゥッ!!」
ズシンッ!!
地響きと共に、工作員の目の前に巨大な「壁」が降り立った。
「……な、なんだ貴様は!?」
工作員が後ずさる。
そこに立っていたのは、身長二メートル近い筋骨隆々の大男。両手に巨大なエコバッグを抱え、ピンク色のフリルエプロンを纏い、段ボール製の不格好なモノクルを装着した男――神崎有栖の父、神崎剛だった。
「パ、パパ!? どうしてここに!?」
有栖が驚いて振り返る。
「フンッ! 愛娘の重大な仕入れ任務に、この神崎剛が同行せんでどうする! その細腕で、愛する男(敵)への重い弁当を持たせるわけにはいかんからなァッ!」
剛は、凄まじい大声で吠えながら、有栖の荷物を軽々と奪い取った。
その瞬間、彼から無自覚に放たれた『娘を想う過保護なオーラ(Aランク級の威圧感)』が、接近しようとしていた工作員を物理的に壁まで吹き飛ばした。
「……ぐ、はっ……!? なんだこの化け物は……!? 護衛の少女たちだけじゃない、親父まで規格外なのか……!?」
工作員は、気絶寸前の意識の中で、芦屋の計画が容易ではないことを思い知らされていた。
「……チッ。逃げられたか。でも、パパさんの威圧のおかげで、不審なノイズは排除できたわね」
怜が冷ややかな視線で、裏路地へと逃げ去る工作員の影を睨みつける。
彼女はタブレットを取り出し、トールへの日報に一行を追加した。
『――関西方面からの不当な市場介入の兆候あり。メイン・ベンダーの保護レベルを、さらに一段階引き上げます』
5.崩壊する結界と、迫る次期決算
そして、時間は現在――六月の『全国高校生探索者大会』、東京ドーム特設ダンジョンへと戻る。
「雷魔法:極位――『強制解放』」
トールの指先から放たれた極小の雷光が、ドームの天井を覆っていたギルドの『デッドゾーン』の隔離結界を、ガラスが砕け散るような轟音と共に完全に粉砕した。
「な、なんだとォォォッ!?」
VIP席のギルド本部長・御堂島と、獅子王凱が絶叫する。
彼らが「確証バイアス」に塗れて用意した絶対的な処刑場は、トールの圧倒的な『品質証明』の前に、わずか数分で無残に解体された。
「……さて。空気の換気は済んだ。……阿部、業務を再開しろ。ギルドの用意した『不正な資産』を、すべて差し押さえるぞ」
「「「御意!!!」」」
漆黒のアビス・カーボンを纏う十五名の騎士たちが、圧倒的な蹂躙を再開する。
その傍ら、安全なVIPルームでは、有栖が空になった重箱を抱え、トールの戦う姿を祈るように見つめていた。
彼女はまだ知らない。
自らの純粋な愛情が生み出した「特級の弁当」が、トールを無敵の王たらしめる最大の原動力であり、同時に、西の覇者『芦屋シンジケート』が全資本を投じてでも奪い取ろうとする、次なる巨大な「企業戦争」の火種となっていることを。
血を流さぬ企業戦争。
関東の旧体制が崩壊の音を立てる中、最強の帰還者の聖域を巡る、最も過酷で、最も冷徹な「次期決算」の足音が、西の空から静かに、だが確実に迫っていた。




