第055話:枯渇領域(デッドゾーン)の特級兵站と、暴かれたメイン・ベンダー
1.官製マーケットの公開処刑場
二〇二四年、六月。
日本の探索者業界の頂点を決める『全国高校生探索者大会』が、ついに開幕の日を迎えた。
舞台は、探索者ギルド本部が総力を挙げて構築した、東京ドーム特設ダンジョン。
本来のグラウンド部分には、鬱蒼と生い茂る原生林と、廃墟と化した都市のセットが入り混じる広大な位相空間が形成され、ドームの観客席には数万の観衆と、世界中のメディア、そして有力クランのスカウトたちがひしめき合っている。
「……素晴らしい。これこそが、我々ギルドが管理する『秩序』だ」
VIP席の最奥で、ギルド本部長・御堂島宗厳は、分厚い葉巻の煙を吐き出しながら、腹の底から湧き上がるような笑みをこぼした。
彼の隣には、獅子王権のトップ・獅子王烈と、その息子にして帝都探索者学院の生徒会長・獅子王凱が、傲慢な笑みを浮かべて座っている。
ホログラムモニターには、すでに演習エリアへ降下した各校の生徒たちのバイタルデータが表示されていた。
だが、その大半は、開始わずか数十分で「オレンジ色(警告)」から「赤色(危険)」へと変色している。
「フン。関東の自称エリートどもが、見苦しく這いつくばっているな」
凱が冷笑する。
それもそのはずだった。今回の大会、ギルドは「レギュレーターを合法的に抹殺する」という裏目的のため、環境マナを極限まで希薄化させた『デッドゾーン』を演習場全体に適用していたのだ。
大気中のマナに依存して魔法を行使する一般の探索者にとって、この空間は文字通り「酸素の薄い高山」に等しい。少し剣を振るうだけで魔力枯渇(ガス欠)に陥り、満足なスキルすら発動できないのだ。
「……さて。我らが『主賓』、クラン・レギュレーターの様子はどうだ?」
御堂島がモニターを切り替える。
映し出されたのは、最も環境条件が劣悪な「エリアZ」に配置された、漆黒のアビス・カーボンを纏う十五名の少年たちと、その中心で椅子に座る佐藤通の姿だった。
「……ほほう。見ろ、奴ら、一歩も動いていないぞ」
獅子王烈が、勝ち誇ったように身を乗り出した。
「マナが極端に薄いこの空間では、アーク・フュージョンの最新魔導兵器もただの鉄屑だ。……機械に依存したガキどもが、外部からのエネルギー供給を絶たれ、絶望して固まっているのだろう」
「ハハハ! 傑作ですね、父上。……奴らの化けの皮が剥がれるのも時間の問題です。そろそろ、あのエリアに『特大のバグ(罠)』をけしかけてやりましょう」
彼らは疑っていなかった。
画面の中で動かないトールたちが、「魔力枯渇による機能停止」に陥っているという自らの都合の良い解釈(確証バイアス)を。
だが、現実は全く異なっていた。
2.デッドライン前の最高品質証明
「……よし。阿部、陣形の維持は完璧だ。周辺の雑魚は視界に入れるな」
エリアZ。
岩陰に設置された簡易キャンプ用の折り畳みチェアに深く腰掛け、トールは銀のモノクルを調整しながら、淡々と部下たちに指示を出していた。
「はっ! マナの希薄化、想定内です! 我々『沈黙の騎士団』の体内魔力極限圧縮循環に、外部環境のデバフは一切影響いたしません!」
阿部大輝が、微塵の疲労も感じさせない声で応じる。
彼らが一歩も動いていなかったのは、絶望していたからではない。「まだ『業務開始(出撃)』の定刻ではない」という、トールの徹底したタイムマネジメントに従っていただけだった。
「……ボス。間もなく、第一陣の『兵站』が到着します」
影森蛍が、空間の歪みから音もなく姿を現して報告する。
「ご苦労。……通せ」
トールが指を鳴らすと、ギルドが厳重に敷いたはずの空間隔離結界の一部が、まるで正規のパスワードを入力されたかのようにスムーズに開き、一人の少女が姿を現した。
「トールくん! お待たせしました!」
淡いピンク色の特製エプロンを纏い、両手に巨大な重箱を抱えた神崎有栖だ。
彼女の背後では、三木怜や工藤遥たち『S.G.サポーターズ・プレミアム』の面々が、ギルドの監視カメラの死角を完璧に計算したフォーメーションで、外部からの視線を遮断している。
「……よく来てくれた、有栖。この劣悪なマナ環境のフィールドを抜けてくるのは、骨が折れただろう」
「ううん! 三木さんたちが安全なルートを確保してくれたし、それに……トールくんに一番美味しい状態で食べてほしかったから!」
有栖が、満面の笑みで重箱の蓋を開けた。
瞬間。
極端にマナが希薄化し、淀んでいたデッドゾーンの空気が、爆発的な「甘い香気」と「生命力」によって一気に押し流された。
「――っ」
周囲を警戒していた阿部たちでさえ、その芳醇な匂いに一瞬だけ肩を震わせる。
重箱の中に鎮座していたのは、最高級の黒毛和牛を使用した特製ステーキ重。そして、色鮮やかな副菜の数々だ。
だが、特筆すべきは単なる食材の高級さではない。
(解析。……神崎有栖・全国大会特化型『勝負弁当』。……カロリー、栄養素、および魔力含有量が、以前の測定限界値をさらに300%突破。……この空間の希薄なマナを補うため、彼女の『愛情(感情エネルギー)』が食材の分子構造にまで浸透し、超高密度の魔力結晶体へと昇華しています)
モノクルの警告音が、歓喜の悲鳴のようにトールの脳内に響き渡った。
「……有栖。……君というメイン・ベンダーは、どこまで俺の期待値を超えてくるつもりだ」
トールは、箸を手に取り、ステーキを一口、口へと運んだ。
咀嚼した瞬間。
レベル131という、この世界における神域の肉体に、莫大なエネルギーが「暴力的なまでの癒やし」となって叩き込まれた。
それはただの魔力回復ではない。精神の疲労、他者の悪意、そしてこのデッドゾーンがもたらす不快感のすべてを、根源からデバッグ(浄化)していく絶対的なバフ。
「……っ……美味い。……完璧な仕事だ」
トールの左目、七色の虹彩が、抑えきれない魔力の奔流によって怪しく、そして圧倒的な輝きを放ち始めた。
彼の全身から溢れ出した魔力が、エリアZの希薄なマナを強制的に塗り替え、その場にいる阿部たち十五名の体内回路にまで「恩恵」として循環していく。
「うおおおおおっ!! ボスの魔力が、俺たちの中にも……! 腹の底から、無限の力が湧き上がってくる!!」
阿部たちが、狂信的な瞳で咆哮を上げる。
「あはは……。よかったぁ、トールくんのお口に合って」
有栖は、自らが創り出した「奇跡」に全く無自覚なまま、ただトールが美味しそうに食べてくれたことへの至福の笑みを浮かべていた。
「……よし。これでコンディションは常に最高値で固定された」
トールは弁当箱を丁寧に包み直すと、立ち上がり、漆黒のハーフコートを翻した。
「……さて、有栖。君は三木部長たちと安全なVIPルームで待機していてくれ。……ここからは、不当な労働要請を敷いた旧体制どもへの、監査の時間だ」
「うん! いってらっしゃい、トールくん!」
3.西の覇者による「真実」の解析
その狂気とも言える「兵站補給」の光景を、誰にも知られず、冷徹に観測している者たちがいた。
東京ドームの地下、ギルド本部のシステムから完全に独立した暗号化回線で結ばれた、西の覇者『芦屋シンジケート』の専用VIPルーム。
総帥の息子・芦屋龍牙は、ソファに足を投げ出しながら、巨大なモニターに映る『レギュレーター』の動きを睨みつけていた。
「……水無月。どういうこっちゃ。さっきまでピタッと止まっとった佐藤通のバイタルが、急に天を突き破る勢いで跳ね上がりおったぞ」
龍牙の問いに、情報分析部門のトップ・水無月は、キーボードを叩く指を止めず、血走った目でモニターの解析データを食い入るように見つめた。
「……見つけました、若様。ギルドのポンコツどもは『魔導兵器が停止した』などと間抜けな確証バイアスに浸っていますが、我々の解析AIは、その真実を完全に捉えました」
水無月がエンターキーを叩くと、モニターの映像が拡大され、トールの陣地で「重箱」を開ける神崎有栖の姿が鮮明に映し出された。
さらに、その映像の上に、サーモグラフィーのような魔力波形の分布図が重なる。
「ご覧ください。……あの女子高生が持参した『弁当』の蓋が開かれた瞬間、エリアZのマナ濃度が、通常の数千倍という異常な数値へと跳ね上がっています。……そして、それを摂取した佐藤通の肉体は、限界値という概念を無視して魔力を無限に生成し始めている」
「なんやと……?」
龍牙が身を乗り出した。
「間違いない。関東の連中が『軍事兵器』だの『ハッキング』だのと勘違いしていた、レギュレーターの異常な継戦能力と圧倒的な出力の根源。……その兵站の要(サプライチェーンの心臓)は、機械でもシステムでもない。……あの、ただの女子高生です」
水無月の言葉に、龍牙の瞳が、獲物を見つけた肉食獣のように獰猛に細められた。
「……あの小娘が、どんな環境でも最強のバフを供給できる『規格外の特級調合師』っちゅうわけか。……カカッ! ギルドのアホどもが『デッドゾーン』なんてセコい罠を張ったおかげで、逆に奴らの最大の機密が炙り出されたっちゅうことやな!」
「若様。あの少女――神崎有栖を我々の陣営に引き抜く、あるいは強制的に『買収』できれば。佐藤通という怪物の燃料は枯渇し、我々芦屋シンジケートは、世界最強のバフアイテムの製造ラインを独占することになります」
水無月の冷徹な計算に基づく報告に、龍牙は自らの巨大な戦斧を肩に担ぎ上げた。
「最高や。……関東のジジイどもが佐藤通と泥仕合をやっとる間に、俺たちはその『聖域』を根こそぎ奪い取る。……おい、黒服ども! 今すぐあの小娘の素性と、日常の仕入れルート(行動範囲)を完全に洗い出せ! 関西の全資本を投じてでも、奴の『兵站』を断ち切るで!!」
関東の旧体制が、自らの用意した「デッドゾーン」という滑稽な罠に酔いしれている裏で。
西の覇者たちは、トールの強さの「真の根源」へと、その冷酷な牙を静かに、そして確実に向け始めていた。
4.圧倒的な品質証明の開始
「――定刻だ。……レギュレーター実行部隊、業務を開始しろ」
エリアZ。
有栖の弁当によって、細胞の隅々まで最高値の活力を満たされたトールが、静かに宣告した。
「「「御意!!!」」」
阿部たち十五名の『沈黙の騎士団』が、漆黒のアビス・カーボンを翻し、一斉にデッドゾーンの荒野へと爆発的な踏み込みを見せる。
彼らの前方に、ギルドが「処刑用」として放ったAランク魔物の群れが立ち塞がる。通常であれば、マナの薄いこの環境下で高校生が勝てる相手ではない。
だが、極限圧縮された魔力と、ボスの「恩恵」を十二分に受けた彼らにとって、それはもはや処理の対象ですらなかった。
青白い光の刃が、音もなく魔物の群れを切り刻む。
悲鳴を上げる間もなく、ギルドの用意した『絶対的な罠』が、事務的な流れ作業のようにデバッグされていく。
「……さて。……まずは、この窮屈なレギュレーションごと、会場の空気を『換気』してやるとしようか」
トールは、VIP席でほくそ笑む御堂島たちの顔を遠くに見透かしながら、右手の指先を天へと向けた。
指先から放たれた極小の雷光が、ドームの天井を覆うギルドの隔離結界へと真っ直ぐに昇っていく。
「雷魔法:極位――『強制解放』」
次の瞬間、東京ドーム全体を覆っていた『デッドゾーン』の結界が、ガラスが砕け散るような轟音と共に粉々に粉砕された。
全国大会という名の、巨大な「企業買収(TOB)」の舞台。
旧体制の驕りと、西の覇者の野望が交錯する中。
最強の帰還者とその愛する少女による、世界を揺るがす圧倒的な品質証明が、今、劇的にその幕を上げた。




