第005話:ギルド登録と放課後の清掃(デバッグ)
1.月曜放課後の査定と「福利厚生」
「佐藤くん! これ、もしよかったら……家で作りすぎちゃったから、食べて!」
月曜日の放課後。入学式を終えたばかりの教室で、机の上に甘いバニラとバターの香りを漂わせるクッキーが置かれた。差し出したのは、金曜夜に救出されて以来、想いを募らせていた神崎有栖だ。彼女の背後には、まるで順番待ちの行列を成すように、数人の女子生徒が熱い視線を送っている。
通は、指先でモノクルの位置をわずかに直し、三十二歳の経験に裏打ちされた、隙のない「営業スマイル」を浮かべた。
「これは丁寧にどうも。神崎さん、放課後だというのにマメだね。福利厚生として、ありがたく頂戴するよ」
「ぎょ、業務……? あはは、佐藤くんって面白い言い方するんだね!」
有栖が頬を上気させ、弾むように笑う。そして、少しもじもじしながら上目遣いで切り出した。
「佐藤くん、あの、もしよかったら……一緒に、帰らない?」
通はクッキーを鞄に収めると、完璧に計算された笑顔を崩さずに答えた。
「誘ってくれて光栄だが、あいにく先約があってね。またの機会に」
有栖は名残惜しそうに引き下がったが、通にとって現時点での「情報収集」と「軍資金の確保」は、女子高生の甘い誘いよりも遥かにクリティカルな最優先タスクだった。 (個体名:神崎有栖。好感度:92(心酔)。……警告:周辺女子の平均好感度が『70』を突破。金曜日の事変以来、あなたの『希少価値』が市場で過熱しています)
「OS、確率論で人の情を語るな。……それより、最寄りのギルド支部の混雑状況を表示しろ」
通はスマホを取り出し、網膜に投影されたナビゲートに従って、喧騒渦巻く校舎を後にした。
(了解。渋谷駅前・第3支部。現在の窓口待機数:3名。最適ルートを最短で提示します)
通はスマホを取り出し、網膜に投影されたナビゲートに従って、喧騒渦巻く校舎を後にした。
2. 偽装された実力と「デキる」男のオーラ
渋谷駅前の空気は、金曜夜の惨劇を無理やり洗い流したかのような、どこか空虚な活気に満ちていた。
だが、その活気の核はかつての流行発信地ではない。今や街の心臓として鎮座する、巨大な『探索者ギルド・渋谷本部』の、毒々しいほど鮮やかなネオンサインだ。
自動ドアをくぐると、そこには消毒液の匂いと、電子機器が放つ微かなオゾンの香りが漂っていた。洗練された銀行のロビーと、軍の作戦指令室が融合したような異質な空間。
大型モニターには、週末の混乱を経て乱高下する魔石の『CFレート』が、株価チャートのように残酷な数字を刻んでいる。
通は、最も待ち時間の少ない窓口へと歩を進めた。
「いらっしゃいませ。本日は新規のご登録でしょうか?」
受付嬢の名札には『早坂』とあった。
彼女は、モノクルを纏った神秘的な少年が目の前に現れた瞬間、長年の接客で培った鉄の笑顔をわずかに崩した。通が放つ、若さに不釣り合いな「酸いも甘いも噛み分けた重役級」のオーラに、無意識のうちに背筋を正したのだ。
「ああ。学生証で登録できると聞いたが」
「はい、承ります。では、こちらの測定端末に手をかざしてください」
彼女が差し出したのは、深淵のような黒い光を宿す水晶球。本来、これは魂の波長を深層まで暴き、正確なレベルとスキルを抽出する神の天秤だ。
(佐藤通。測定開始まで残り3秒。……偽装シーケンスを実行。実数レベル130を、この世界の平均的な新人レベルまで強制的にダウンサイジング。……出力10、固定)
通の掌から漏れ出そうとした膨大な魔力は、左目のOSによって緻密に濾過され、極小の電子信号へと変換された。
ピピッ、という無機質な電子音。
「……はい、確認できました。佐藤通様、レベル10。適性クラスは……『魔眼使い』および『格闘』ですね。新人としては、異例とも言える優秀な数値です」
早坂の眼差しに、職業的な興味を超えた「熱」が混じる。
金曜夜の覚醒からわずか三日。レベル10という数値は、将来の有望株であることを示すには十分すぎた。彼女の頭上に表示された『好感度:42(関心)』という数値が、一気に50の大台へと跳ね上がった。
「こちらがギルドカードです。専用アプリと連携すれば、魔石の即時換金も可能です」
「なるほど、UI(操作性)は悪くないな。助かるよ」
「……あの、佐藤様。もしよろしければ、弊社の専属スカウトと一度お話を……」
「今は結構だ。まずは、現場の空気を確認したい。業務はアプリで完結するんだろう?」
通は早坂の食い気味な誘いをスマートにいなし、カードをポケットに滑り込ませた。
三十代の経験則が告げている。組織の甘い蜜には、必ずと言っていいほど「不払い残業」のような裏がある。まずは自分の足で、この世界の「戦場」を査定すべきだ。
3. 効率的な「清掃」作業
渋谷地下ダンジョン。
かつての地下鉄半蔵門線の遺構。湿り気を帯びたコンクリートと、鼻を突く下水の腐臭、そして魔力が生み出すカビのような臭気が混じり合う迷宮だ。金曜日の事変以来、ここから溢れ出す魔力が周辺の空気を重く沈ませていた。
「ギギッ……!」「ギャハッ!」
奥底から反響するのは、ゴブリンたちの耳障りな金切り声。
数組の新米探索者たちが、重厚な鎧をカチャカチャと鳴らし、必死の形相で剣を振るっていた。
「危ない! 左だ!」「くそっ、全然当たらない!」
その不格好な立ち回りを、通は通路の陰から、まるで不良在庫を眺める検品業者のような冷めた目で見つめていた。
「……さて。邪魔にならない程度に、奥の『汚れ』を落としていくか」
通はカバンから、道中のホームセンターで購入した折り畳み式の警棒を取り出した。
冷たい鉄の重み。レベル130のステータスが加圧されれば、この千円足らずの鉄棒は、万物を等しく砕く「因果の槌」へと昇華する。
モノクルが怪しく七色に脈動した。
(敵対個体:ゴブリン・ソルジャー×24、ホブゴブリン×2。……脆弱ポイント、強調表示完了)
通の体が、一条の黒い雷光となって爆ぜた。
他の探索者たちの網膜には、ただ風が吹き抜けた残像しか映らなかっただろう。
一撃。
最前列のゴブリンの頭蓋が、乾いた音を立てて粉砕される。
二撃、三撃。
通は立ち止まらない。流れるような歩法は、死の舞踏というよりは、冷徹な事務作業のようだった。
三十二歳の魂が持つ空間把握能力と、イービルアイの未来予測。敵の攻撃を紙一重の数ミリで回避し、最短距離で急所を貫く。
「ギ……!?」
ホブゴブリンが、巨体に似合わぬ速度で棍棒を叩きつけた。
だが、通はそれを鼻先でいなすと、警棒を逆手に閃かせ、魔物の脊髄の隙間――唯一の構造的欠陥へと、正確無比な一撃を叩き込んだ。
――ゴガァッ!!
肉が爆ぜる湿った衝撃音。
ホブゴブリンが膝を突き、その胸元から、宝石のように輝く魔石がこぼれ落ちる。
「……解析通りだ。この世界の魔物は、中心核の強度が著しく低い」
通は落ちた魔石を拾い上げ、スマホのレンズにかざした。
『――鑑定完了。魔石:グレードD。含有魔力量:45CF。推定市場価格:56,000円』
「ふむ。時給に換算すれば、前世の深夜残業代の十倍か。悪くないコストパフォーマンスだ」
それから数十分、通はダンジョンの最深部直限までを文字通り「清掃」して回った。
彼が通り過ぎた後には、一滴の血も、一片の遺恨も残らない。ただ、効率的にコアだけを摘出された魔物の残骸が、事務的に積み上げられているだけだった。
(警告:後方より『氷室冴香』の魔力波形を確認。……急接近中。接触を回避しますか?)
「生徒会長か。……入学式に続いて、熱心な出勤だな。だが、今の俺は『定時退社』を希望している」
通は、自分が討伐した痕跡を消すために、異世界の知識を応用した魔力中和剤を撒くと、裏ルートから地上へとスマートに離脱した。
4. 逆探知と、挨拶代わりの爆弾
通が去った数分後。
氷室冴香と彼女の側近たちが、絶句しながらその現場に立ち尽くしていた。
彼女たちが挑もうとしていた「中層の精鋭」が、すでに事務的な骸に変わっていたからだ。
「な、何これ……。誰かが、一人でやったっていうの?」
「傷跡が一箇所しかない。それも、急所をピンポイントで打ち抜いている。魔法の余波も、スキルの残光もない。……ただの物理攻撃よ、これ」
冴香のスマホに、一通の秘匿通知が滑り込む。
「佐藤通……レベル10。一時間前に入館し、すでに退館。……レベル10で、これが可能だとでも言うの?」
彼女の脳裏に、あの「捕食者」の目が過る。金曜夜の生存者が、月曜の放課後にこの惨劇を引き起こしたのか。
その評価は、彼女の中で「興味深い新人」から「底知れない怪物」へと、決定的に上書きされた。
一方、通は近所のスーパーで、母に頼まれていた牛乳と、妹が欲しがっていた新作のアイスクリームをカゴに入れていた。
冷たいレジの電子音が響く。
(警告:外部より不正アクセスを検知。あなたのプロファイルへのハッキングを特定しました。……バックドアを構築中)
「……礼儀を知らない取引先がいたものだな」
通はレジ袋を片手に下げながら、空いた手でスマホの画面を滑らかに叩いた。
異世界の魔道演算をハッキングコードへと変換し、侵入者の経路を逆に遡る「ストラックバック」を開始する。
「OS、侵入経路を完全にトレースしろ。こちらのデータはダミーの『レベル1の無職』に差し替え、相手のサーバーには『挨拶代わりの論理爆弾』を置いてこい」
(了解。逆探知完了。……送信元は氷室冴香ですが、中継サーバーのIPが本学園C組の端末を経由しています。極めて高度な暗号化です)
『……身内に優秀なクラッカーを飼っているのか、あるいは……野良の天才が遊んでいるのか。いずれにせよ、うちのIT部門にヘッドハンティングしたい腕前だな』
通の唇に、冷徹な大人の笑みが浮かぶ。
彼はスマホをポケットにしまい、アイスが溶ける前に歩調を速めた。
ハッキングしてきた相手の画面には今頃、鼓膜を劈くようなエラー音と共に「NO UNINVITED GUESTS(招かれざる客はお断りだ)」という真っ赤な警告が躍っているはずだ。
最強の帰還者の、日常と非日常を往復する日々。
その「業務量」は、彼の予想を遥かに超えて増大しようとしていた。
【現在の佐藤通:レベル130。今日の純利益:18万円。氷室冴香(および謎の協力者)へのカウンター完了】




