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渋谷ダンジョン事変。レベル130で帰還した元中間管理職、無能なギルドを『デバッグ』して現代社会を経営する 〜女子高生の弁当は経費で落とし、不良はOJTで精鋭騎士団へ〜  作者: トール
第一章:統制者の創業と、渋谷ダンジョンのデフラグメンテーション

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第004.5話:高校入学と「悲劇の生存者」

 


 1. 桜下の喧騒と、金曜夜の残響


 二〇二四年、四月。月曜日。

 渋谷代々木学園高等部の正門は、薄紅色の雪のように舞い散る桜の花びらと、それ以上に重苦しく湿り気を帯びた「視線」の渦に包まれていた。

 本来なら希望という名の輝きに満ちているはずの入学式。しかし、今年に限っては、春の芳香の中にさえ、どこか鉄錆のような……あの「金曜日の夜」の血の記憶が混じっている。


 わずか三日前、この街を蹂躙した『渋谷事変』。

 週末の二日間、テレビやSNSを埋め尽くしたのは、逃げ惑う人々と緑色の怪物の映像だった。その恐怖の余韻は、真新しい制服を纏った少年少女たちの強張った表情に、生々しく刻まれている。


「……おい、あれじゃないか?」

「嘘だろ、本物かよ……? 金曜のニュースに出てた、代々木公園の……」

「佐藤通だ。生存者リストの筆頭に載ってた、あの『奇跡の子』だろ……」


 新入生たちのひそひそ話が、波紋となって広がっていく。

 その喧騒の中心を、佐藤通さとう・とおるは一歩、また一歩と、音もなく、だが確かな重みを持って歩いていた。

 三十二歳の老練な精神は、周囲の好奇心を「不要なバックグラウンドノイズ」として淡々と処理している。

 だが、その外見が放つ強烈な磁力までは否定できなかった。


 仕立ての良い紺のブレザーを纏い、すらりと伸びた背筋は、周囲の怯えた子供たちとは一線を画す「完成された大人」の風格を醸し出している。そして何よりも、人々の目を釘付けにするのは、左目に鎮座する銀のモノクルだ。

 朝日に反射する硬質な輝きが、知的な、それでいてどこか浮世離れした美青年の相貌に、神秘的な陰影を落としていた。


「……注目を浴びるのは、社運を賭けたプレゼン以来だな」


 通は、指先でモノクルの縁をわずかに直した。

 左目のOS――『イービルアイ・カスタム』が、瞬時に視界をマッピングし、脳内に無機質な情報を展開する。


(周囲のターゲット:214名。平均レベル:3。……興味関心レベル:極大。警告:あなたの『生存者』としてのラベルが、周辺の心理的バイアスを強化しています)


 通にとっては、異世界での「残業」の果てに手にしたレベル130という暴力的な実力も、世間から見れば「凄惨な事件で左目を失った、可哀想な被害者」に過ぎない。


「悲劇の生存者サバイバー、か。……悪くない肩書きだ。情報収集の盾にはなる」


 掲示板で自分のクラスを確認し、1年B組へと向かう。

 廊下を歩く通の姿を認めると、生徒たちはモーゼの十戒のように左右へ分かれ、道を開けた。

 恐怖と好奇心が混濁した、耳が痛くなるような静寂。

 教室の扉を開けた瞬間、それまで騒がしかった空間が、まるで酸素を奪われた真空のように一瞬で静まり返った。

 通はそれを気にする素振りも見せず、一番後ろの窓際の席へと向かい、静かに腰を下ろした。


 2. 静寂の教室と、三日前の記憶


「あ、の……佐藤、くん……?」


 前の席に座っていた女子生徒が、震える声を絞り出した。

 短く切り揃えられたボブカットに、零れ落ちそうなほど大きな瞳。

 左目のモノクルが、即座に彼女のステータスを弾き出す。


(個体名:神崎有栖かんざき・ありす。レベル:5。好感度:ERROR(計測不能な高揚)。……補足:彼女の網膜には、三日前の金曜夜、あなたが彼女を救った際の残像が記録されています)


 通は、わずかに眉を寄せた。

 有栖。その名に記憶はなかったが、左目の演算機能が、彼女を「金曜夜、代々木公園の噴水付近でゴブリンに追い詰められていた少女」であると特定した。


「……何か用かな」


 通が静かに問いかけると、有栖はびくりと小鹿のように肩を震わせた。

 彼女の瞳には、恐怖ではない、もっと別の……焦がれるような「熱」が宿っている。


「やっぱり……あの時の……。真っ暗で、よく見えなかったけど、でも……その、冷たい声と、……」


 彼女の震える言葉を遮るように、入学式の開始を告げるチャイムが、硬質な音を立てて校舎内に鳴り響いた。


 体育館で行われた式典は、通にとって退屈の極みだった。

 校長が説く「困難に負けない不屈の精神」だの「新しいエネルギー社会(CF)の担い手」だのという美辞麗句は、異世界の地獄で神々の臓物を踏み越えてきた男にとって、中身のない広告チラシにしか聞こえない。


(佐藤通。あなたの心拍数が低下しています。睡眠モードへの移行を防止するため、周囲の『敵意』をスキャンしますか?)


「……いや、いい。これでも元サラリーマンだ。役員会議の退屈さで磨いた忍耐力を舐めるな」


 通は薄目を開け、視線だけを動かして周囲を観察した。

 その時、教壇の袖、来賓席の近くに立つ一人の少女が、彼の意識を捉えた。

 渋谷代々木学園高等部の生徒会長。そして、この界隈では知らぬ者のいない若き天才探索者。


 ――氷室冴香ひむろ・さえか


 彼女は壇上から、新入生という名の「商品」を検品するように眺めていた。

 最後列に座る通のモノクルと視線がぶつかった瞬間、彼女の氷のような瞳に、わずかな疑念の火花が散った。


(対象:氷室冴香。レベル:42。……警告。彼女はあなたの『カモフラージュ』を見抜こうとしています。魔力波形を0.02%調整し、出力を『レベル10』相当に偽装します)


 通はモノクルの奥で、口角をわずかに釣り上げた。

 高校生の分際でレベル42。この世界の常識に照らせば、確かに「天才」の部類だろう。


『解析。……レベル42の個体が二名。生徒会長の氷室冴香、および1組の神代煌。……後者は周囲の視線を魔力に変換する極めて特異な燃費構造エコシステムを保有しています』

『……ほう。学園には、ずいぶんと高価な『看板商品』が二つも並んでいるようだな』


 だが、レベル130という遥かなる高嶺に立つ者からすれば、それはまだ産声を上げたばかりの赤子に等しい。


 3. 中庭の誓いと、屋上の捕食者


 式が終わり、退場する列の中で、通の横を通り過ぎる生徒たちが口々に囁き合う。


「見たか、今の氷室先輩の視線……」

「佐藤通と、一瞬だけ火花が散ってたぞ……」

「金曜の生き残りと、氷の令嬢か。……不謹慎だけど、絵になりすぎる」


 通はそれらの雑音を背中で聞き流し、中庭へと出た。

 そこには、先ほどの少女――神崎有栖が、待ち構えたように立っていた。


「佐藤くん!」


 彼女の小さな手は、小刻みに震えている。

 だが、その足は逃げ出すことなく、しっかりと地面を踏みしめていた。


「あの時、助けてくれたのは……あなただよね? 金曜の夜、鉄パイプで……」


「……何のことかな。俺はただの被害者だ。左目を失って、運良く生き残っただけの、ただの少年だよ」


 通は歩みを止めず、彼女の横を無機質に通り過ぎようとした。

 三十二歳の魂は、残酷なほど冷徹に知っている。ここで「救い」を認めれば、彼女の人生を背負う義務が生じる。そして、今の自分が最優先すべき「静かな現状把握」は瓦解する。

 だが、有栖は通の制服の袖を、ぎゅっと、強く掴んだ。

 手のひらの熱が、薄い布越しに伝わってくる。


「嘘だよ。だって、あの時……私の前に立っていたあなたの背中、すっごく……大人だった。今のクラスのみんなみたいに、ただ怯えてるだけの子供じゃなかった!」


 通は足を止め、モノクルの奥に潜む、七色の虹彩を持つ瞳を彼女へ向けた。

 その超越的な視線に射抜かれ、有栖は一瞬、息をすることさえ忘れた。

 冷徹で、合理的で、圧倒的な格上のオーラ。


「……神崎さん。過度な神格化は、判断を曇らせる。君が見たのは、死の淵で見せた脳の防衛本能……ただの幻覚だ」


 通は、氷のような優しさで、だが拒絶の意思を込めて彼女の手を外した。


(個体名:神崎有栖。好感度:85(崇拝)。……アドバイス:これ以上の強い否定は、かえって彼女の『執着』を加速させる恐れがあります)


「……チッ。OS、もっとマシな管理プランを提示しろ」


「えっ……?」


「独り言だ。……それから、神崎さん。モノクルの光軸がズレるから、あまり服を引っ張らないでほしい。……それじゃあ」


 通はそれだけ告げると、颯爽と校舎の闇へと消えていった。

 残された有栖は、赤くなった自分の掌を胸に当て、熱い吐息を漏らした。その瞳には、すでに消えない執着の炎が宿っていた。


 校舎の屋上。

 その様子を、冷酷な品定めをする鑑定士のような眼差しで見下ろす人影があった。

 生徒会長、氷室冴香だ。

 彼女の手には、最新型のスマートフォン。画面には、佐藤通の入学願書と、金曜夜の監視カメラが捉えた、ノイズまみれの映像が並んでいる。


「……レベル10。数値上は、ただの『目覚めたて』の新人。でも、あの眼差し……。あれは、数千の死を喰らってきた者だけが持つ、捕食者の目よ」


 彼女はスマホを握りしめ、愉悦とも警戒ともつかぬ微笑を浮かべた。

 この春、渋谷代々木学園に、一人の「亡霊」が紛れ込んだ。

 その事実は、彼女の野心に、そしてこの世界のエネルギー利権を巡る醜い争いに、決定的な亀裂を入れようとしていた。


 通は教室に戻り、窓の外に広がる渋谷の空を見上げた。

 雲一つない青空。だが、その裏側には、無数のダンジョンという名の穴が開いている。


「さて。放課後は、どのダンジョンを『清掃』しに行こうか……。高校生っていうのも、意外と業務が詰まっているものだな」


 高校入学、初日。

 最強の帰還者の、無自覚なハーレムと学園無双の幕が、静かに、そして劇的に上がった。


【現在の佐藤通:レベル130(偽装レベル10)。ヒロイン1(神崎有栖)の執着を確認。生徒会長(氷室冴香)にマークされる】

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