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渋谷ダンジョン事変。レベル130で帰還した元中間管理職、無能なギルドを『デバッグ』して現代社会を経営する 〜女子高生の弁当は経費で落とし、不良はOJTで精鋭騎士団へ〜  作者: トール
第一章:統制者の創業と、渋谷ダンジョンのデフラグメンテーション

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第004話:食卓の麒麟児と、眠れる獅子の父親

 


 1. 朝餉の香りと、週末の残響


 二〇二四年、四月。

 窓から差し込む春の柔らかな陽光が、宙を舞う微かな埃を黄金色に透かしていた。

 佐藤家の食卓には、こんがりと焦げ目のついた塩鮭と、出汁の香りが鼻腔をくすぐる味噌汁の湯気が立ち上っている。テレビの中では、ニュースキャスターが金曜夜の『渋谷事変』から明けた週末の動向を、感情を削ぎ落とした無機質な声で読み上げ続けていた。


「……トール、本当にもう大丈夫なの? 病院、今からでも予約できるけど」


 母、恵美が心配そうに身を乗り出してきた。小鉢を握る彼女の指先が、微かに震えている。

 その視線の先にあるのは、息子の左目に鎮座する銀色のモノクルだ。アンティークの輝きを放つそのフレームは、平凡な朝の風景の中で、そこだけが切り取られた異世界のように浮き上がっていた。


「ああ。この土日で十分に休んだよ。痛みはまったくないし、視界も驚くほどクリアだ。母さんの肌のキメまでよく見えるよ」


「もう、変なこと言わないの」


 通は軽口を叩き、ふっくらとした白米を口に運んだ。

 金曜の夜に地獄から帰還し、この週末を市場調査と休息に充てたことで、三十二歳の魂はようやくこの平穏な日常に「同期」し始めていた。噛み締めるたびに広がる米の甘みが、かつての異世界で泥水を啜っていた日々を、遠い悪夢へと追いやろうとする。


 左目のモノクルが、視界に入る情報を自動的に処理し、半透明の文字を網膜に投影していく。


(個体名:佐藤恵美。好感度:92(深い慈愛)。健康状態:良好。……血管の拍動に微かな乱れ。金曜夜の衝撃による心因性ストレスを検知。推奨:塩分を控え、安らぎを与える会話を優先してください)


「……親切なことだ」


 通が小さく独りごちた、その時だった。


 2. 獅子の帰還と、解析不能の深淵


「――お早う」


 低く、だが重低音の地鳴りのように腹に響く声。

 一人の男がリビングに現れた瞬間、部屋の空気の密度が、まるで一気に数倍に跳ね上がったかのような錯覚を覚えた。

 佐藤家の主、佐藤一真。

 皺一つない純白のワイシャツに紺のネクタイを締め、手には最新型のタブレット。

 表向きは次世代エネルギー企業『アーク・フュージョン』の技術管理課長を務める、どこにでもいる「組織の重鎮」の風体だ。


 だが、通の左目がその男を捉えた瞬間。


 ――ビ、ビジッ……!!


(警告。警告。対象の解析を阻害する、強烈なジャミングを確認。……解析不能。推定脅威レベル:計測不能オーバーフロー


 通の持つ箸が、数ミリの狂いもなく空中で止まった。

 レベル $130$。異世界の魔王すら塵に帰す力を手に入れたはずの通の視界が、一真の周囲だけ、猛烈な「ノイズ」の砂嵐で埋め尽くされている。


 技術管理課長という表向きの役職は、どうやらギルドや国家の監視を逃れるための仮の役職であり、実質的には同社の全権を握る代表取締役(影のCEO)であるようだ。


「……親父、お早う」


「ああ」


 一真は通の左目を、あるいはその奥に潜む「何か」を一瞥したが、驚く様子も、問い詰める様子もなかった。

 彼は流れるような動作で椅子に座ると、タブレットで週末のクリスタルフュージョン(CF)市場の終値を読み取り始めた。


「金曜夜の事変以来、CFの供給網が完全に麻痺しているな。週末を挟んで価格は $12\%$ 高騰した。……経産省の連中が、今日から始まる臨時国会でまた吠え散らすぞ」


「あら、あなた。仕事の話はいいから、通を見てあげてよ。左目、こんなことになっちゃって……」


 恵美が困ったように夫に訴える。

 一真はタブレットから目を離すと、ゆっくりと、深く、通の瞳を射抜いた。

 その瞳は、すべてを飲み込む深淵のように静かで、同時にあらゆる虚飾を剥ぎ取るような鋭利な光を秘めていた。


「……いいモノクルだな。十九世紀のロンドン、サヴィル・ロウの細工師が手掛けた逸品か。アンティークショップの頑固親父、土曜日の夜によくそれを手放したな」


「……わかったのか」


「昔、少しかじった。……通。そのモノクルは、お前の溢れる魔力を抑える『安全弁』だ。外すタイミングは、自分で選べ。だが、今日からの学校では『ただの視力矯正具』だと言い張れ。いいな?」


 通の背筋を、氷の刃で撫でられたような戦慄が走った。

 三十代の老練な精神を持つはずの自分が、まるで入社初日の新人が、伝説のカリスマ会長に本質を見透かされた時のような圧迫感に喉を詰まらせている。


 一真はそれだけ告げると、恵美が差し出した味噌汁を、静かな音を立てて啜った。


 3. サラリーマンの仮面


「兄貴……。パパと兄貴の間、なんか空気がピリピリしてるんだけど」


 妹の華乃が、スマホのカメラを向けながら茶化す。

 画面の中には、入学式用の制服を纏いモノクルを直す通と、その横で泰然と新聞を捲る父の姿。


「……別に。親父の言うことが、あまりにも正論だったから驚いただけだ」


 通は平静を装い、スマホを取り出した。

 クラスのグループLINEは、金曜夜から鳴り止まない通知で地獄絵図だ。「佐藤通が生還した」「片眼鏡のキャラになってる」という噂が、監視カメラの粗いキャプチャ画像と共に乱舞している。


(……未読256件。この世界のSNSは、異世界の伝書鳩より騒がしいな。土日を挟んだせいで、尾ひれがつきすぎている)


「通、出発の時間だ」


 一真が立ち上がり、ジャケットを羽織った。

 その動作の一つ一つが、極限まで無駄を削ぎ落とした「武」の練達者のそれに見える。


 玄関へ向かう途中、一真は通の肩に、そっと手を置いた。

 ずっしりとした、だが温かい重み。


「通。アーク・フュージョンがいま最も求めているのは『純度$90%$以上の高純度魔石』だ。……もし、お前の『散歩ルート』にそんなものが落ちていたら、俺に連絡しろ。市場価格の二割増しで買い取ってやる」


「……親父、あんた、本当は何者だ?」


 通が声を潜めて問うと、一真は鏡の前でネクタイの結び目を整えながら、ふっと口角を上げた。


「ただのサラリーマンだ。……お前と同じようにな」


 その瞬間、通は確信した。

 この父親は、自分が「中身の入れ替わった異物」であること、そして「異常な力」を隠していることを、金曜の夜からすべて理解している。

 そしてこの男自身もまた、六年前の『大発生』という混沌の裏側で、何かを「終わらせた」側の人間なのだ。


 4. 戦場への初出勤


「……行ってくる。母さん、華乃」


「行ってらっしゃい! 友達たくさん作るのよ!」


「兄貴、カッコつけすぎて女子に刺されるなよー!」


 華乃の明るい声を背に受け、通は一真と共に家を出た。

 駅までの道中、二人は一言も交わさなかった。

 だが、並んで歩く父子の背中からは、周囲の通行人が無意識に道を空け、声を潜めるほどの圧倒的な覇気が漏れ出ていた。


「通。一つだけアドバイスだ」


 駅の改札前で、一真が足を止めた。


「何だ?」


「高校には、可愛い女の子が多い。魔眼でお前が彼女たちの『数値』を測るのは自由だが、……心までは測るなよ。それはビジネスじゃなく、人生の領域だ」


 一真はそれだけ言い残すと、殺人的な混雑の満員電車の中へと、事も無げに消えていった。


 通は立ち止まり、朝の冷たい空気の中でモノクルの位置を直す。


「……心、か。余計な世話だ、親父」


 左目のOSが、現在の通の心拍数と血流量を計測し、冷徹に告げる。


(個体名:佐藤通。精神状態:高揚。血流量増大。……結論:あなたは、この父親を強く尊敬しています)


「……黙ってろ。解析エラーの分際で」


 通はスマホをポケットに放り込み、自らの戦場――渋谷代々木学園高等部へと向かう電車に飛び乗った。

 入学式。

 金曜夜の惨劇を経て、週末の静寂を越えた先にあるその一日が、今、世界を震撼させる序章として幕を開けようとしていた。


【現在の佐藤通:レベル130。父親・佐藤一真の脅威度を「特A」に設定。学園無双の準備完了】

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