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渋谷ダンジョン事変。レベル130で帰還した元中間管理職、無能なギルドを『デバッグ』して現代社会を経営する 〜女子高生の弁当は経費で落とし、不良はOJTで精鋭騎士団へ〜  作者: トール
第一章:統制者の創業と、渋谷ダンジョンのデフラグメンテーション

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第003話:家族という名の異邦人と、魔眼の調律

 


 1. 偽りの帰宅と、金曜夜の残響


 渋谷の耳を刺すような悲鳴と怒号から、電車で数駅。

 深夜の住宅街に漂う雨上がりの土の匂いと、家々の窓から漏れる穏やかなテレビの音は、数時間前に血溜まりの中で繰り広げられた地獄が質の悪い白昼夢であったかのように平穏だった。


 佐藤通さとう・とおる――その肉体に宿る三十二歳の「帰還者」は、見慣れぬ一軒家の門扉の前で立ち止まった。

 街灯の青白い光に照らされた表札には、『佐藤』と端正な文字で刻まれている。

 この身体の本来の持ち主が愛され、育まれてきた、彼にとっての聖域だ。


「……ふぅ。命懸けの最終商談より、よほど胃にくるな」


 通は自嘲気味に冷たい吐息を漏らし、ポケットから金属の鍵を取り出した。

 指先にはまだ、ゴブリンの首を跳ね飛ばした際の硬い衝撃と、乾き始めた返り血の微かなこわばりがこびりついている。

 レベル $130$ という人知を超えた暴力を掌に秘めながらも、今の彼は、他人の平穏な日常を音もなく盗み取った泥棒のような居心地の悪さを感じていた。


 ガチャリ、と重い音を立てて扉が開く。


「ただいま」


「通!? お帰りなさい、遅かったじゃない。……って、その顔、どうしたの!?」


 廊下を駆けてきたのは、エプロンを翻した女性。佐藤恵美――この身体の母親だ。

 彼女の背後からは、スマートフォンの青白い光に顔を照らされていた少女、妹の華乃かのんが怪訝そうに顔を出した。


「兄貴、遅すぎ。……っていうか、何その格好? 渋谷でコスプレ大会でも……え、血!?」


 華乃の手からスマホが滑り落ち、乾いた音を立てて床を跳ねた。

 画面の中では、SNSで拡散された『金曜夜の渋谷・緊急事態』のライブ映像が、手ブレの激しいカメラワークで地獄の有り様を映し出している。


 通の左目は、実体のない魔力の奔流が編み上げた、淡く輝くモノクル状の円環に覆われていた。

 その奥に鎮座するのは、粉砕されたはずの眼球が再生し、怪しく蠢く七色の虹彩だ。


「……渋谷で、ダンジョンの発生に巻き込まれてね。少し派手に怪我をしたから、応急処置をしたんだ。この『目』は、その時に覚醒した能力の影響らしい」


 通は、異世界で磨き上げた「鉄のポーカーフェイス」で、淀みなく嘘を紡いだ。

 華乃が慌てて拾い上げたスマホのトレンドには、すでに『渋谷の亡霊』という不穏な単語が、金曜夜の狂乱と共に浮上し始めている。


「大丈夫だ、痛みはない。むしろ、前より視界が鮮明なくらいだよ」


 恵美の狼狽を、通は三十二歳の大人としての包容力で、静かに、だが拒絶を許さぬ密度で受け流した。

 今の彼が放つのは、数多の死線を潜り抜けた者だけが纏う、凪のように静かで重厚な熱量。


「母さん、華乃。心配をかけてすまない。でも、俺は見ての通り元気だ。……少し、自分の部屋で整理をさせてほしい」


「あ、……ええ。わかったわ。すぐに温かいスープを作るからね」


 母親が呆然と立ち尽くす中、妹の華乃は、兄の背中を、まるで異世界の怪物を見つめるような眼差しで追っていた。

 彼女の頭上に浮かぶ『好感度:$25$(当惑)』という無機質な数値が、通の左目には残酷なほどはっきりと視えていた。


 2. 土日の経済戦略


 自室に戻った通は、ベッドに腰を下ろし、机の上に置かれていたスマホを手にした。

 指紋認証は弾かれる。当然だ。魔力によって組織そのものが変質している。


「……OS。これのロックをバイパスしろ。土日のうちに市場調査を済ませる必要がある」


(了解。システム権限を強制取得。プロトコル・バイパスを実行。……完了しました)


 左目から溢れた魔力の糸がスマホに侵入し、一瞬でセキュリティを無効化する。

 画面を埋め尽くしたのは、現代社会の悲鳴のような通知群。

『金曜夜の惨劇、CFクリスタルフュージョン先物価格が週末を控えて急騰』

『政府、首都圏の警戒レベルを引き上げ』


 通は慣れた手つきでブラウザを走らせ、この世界の「経済の理」を検索した。

 掌の上で鈍く光るゴブリンの魔石を、スマホのカメラ越しにかざす。


(解析を開始します。画像認識および魔力波形を同期……。対象:魔石(微細)。純度:$8.4\%$。標準的な一般家庭の電力一ヶ月分に相当します。現在の週末特別レートを照合……。この規模の魔石一粒で、都内の高級ディナー三回分の価値に相当)


「アプリで魔石の残高を管理する時代か。前世の銀行口座より、よほど生々しいな」


 通は苦笑した。この世界において、魔石の保有量はそのまま個人の、そして国家の生命線に直結している。

 だが、今のままでは月曜日からの「初出勤(入学式)」に支障が出る。

 鏡に映る自分の左目は、魔力のモノクルが常に強烈な燐光を放ち、あまりに目立ちすぎるのだ。

 魔眼の力を完全に封じ込め、かつ日常生活において自然な形で「常時発動」させるための物理的な媒体が必要だった。


 3. 深淵のモノクル


 土曜日の夜、通は再び街へと繰り出した。

 週末の静寂が広がる裏通り。スマホの地図アプリ上、現在地を示すGPSポイントが、通の異常な移動速度に追いつけず、小刻みに震えている。

 辿り着いたのは、路地裏にひっそりと佇むアンティークショップだった。


「いらっしゃい。……ほう、これはまた、珍しいお客様だ」


 店主は、古書のような香りを纏った灰色の髪の老紳士だった。

 通の左目から漏れ出る「不気味な光」を目の当たりにしても、彼は驚くどころか、慈しむような目でそれを見つめた。


「左目に合う、モノクルのフレームを探している。……できれば、時の洗礼を受けた、古いものがいい」


「モノクルとは、また風変わりな。今はコンタクトレンズ型の魔導具が全盛の時代ですが?」


「最新の技術は、往々にして情緒に欠ける。俺は、物語のあるものが好きでね」


 通の落ち着いた、そしてどこか冷徹な口調に、店主は深く目を細めた。

 店主が奥から取り出したのは、銀のフレームが繊細に施された、芸術品のような一品だった。


「十九世紀の貴族が愛用していたとされる、銀製のフレームです。レンズは失われておりますが……」


「問題ない。レンズは、俺が『造る』から」


 通がそのフレームを手に取り、左目に当てた。

 その瞬間、彼の中から膨大な魔力が溢れ出し、銀のフレームに猛烈な勢いで吸い込まれていく。

 空中に漂う魔力の粒子が超高密度で圧縮され、物理的な実体を持った「レンズ」へと硬化していく。


 ――バキィッ!!


 空間そのものが軋むような、硬質な衝撃音。

 モノクルのレンズが七色に爆ぜるように輝き、やがて極北の氷河を切り出したような、透き通った透明度へと落ち着いた。

 店主が息を呑む。

 モノクルを装着した通の姿は、冷徹な理知と、底知れない神秘性を放つ「異界の貴族」そのものだった。


「いくらだ?」


「……代金は結構です。その代わり、時折その『眼鏡』をメンテナンスさせてください。あれの成長を、見ていたい」


「交渉成立だ。助かったよ」


 4. 月曜日、学園という名の戦場へ


 週が明け、月曜日の朝。

 佐藤家の食卓では、通のスマホが、絶え間なく震えていた。


「兄貴……。スマホ、鳴りっぱなしだよ? 学校のグループLINE、エグいことになってるけど」


 華乃が、トーストの香ばしい匂いをさせながら通を指差した。

 月曜日からの入学式に備え、糊のきいた制服の襟を正し、銀のモノクルを揺らす通の姿は、金曜日までの「冴えない兄」の面影を完全に払拭していた。


「ああ。金曜夜の現場周辺の監視カメラに、俺が映っていたらしくてね。生存者リストに載ったせいで、質問攻めに遭っているらしい」


 通は無造作にスマホを操作し、通知を一括消去した。

 三十二歳の精神を持つ彼にとって、同級生との幼稚な承認欲求の交換は、優先順位の極めて低い「ノイズ」だ。


「兄貴……。それ、マジで芸能人みたい。そのモノクル、バズりそうだね」


 華乃の頬が、わずかに朱に染まる。

 左目のモノクル越しに視る、彼女のステータス。

『華乃の好感度:$65$(尊敬・混濁)』


「モテるのも仕事のうち、か。……まあ、円滑な人間関係の構築(コネ作り)だと思えば悪くない」


 通はスマホをポケットにしまい、立ち上がった。

 週末の休息と装備の調律を終えたレベル $130$ の帰還者が、現代の「学園」という名の戦場へ、ついに初出勤する。

 ポケットの中で、スマホがまた一回、重く震えた。

 それは、彼を監視し始めた未知の勢力からの、最初の宣戦布告だったのかもしれない。


【現在の佐藤通:レベル $130$。装備:深淵のモノクル。デバイス:ハッキング済みスマホ】

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