第031話:本社ビル(ヘッドクォーター)買収計画と、一ヶ月の『環境構築』
四月二十日、土曜日。
合同演習という巨大な「案件」を完遂した渋谷の街は、週末の解放感に浸っていた。だが、クラン『レギュレーター』のCEO、佐藤通にとって、これは単なる通過点に過ぎない。
「……あれね。ボスの探していた『未完の不良債権』は」
三木怜が、手元のホログラムマップを閉じ、見上げた。
宮下公園の北端。再開発中に「ダンジョン発生」という不測の事態に見舞われ、完成間近で九年も放置された十四階建ての雑居ビル。
通はモノクルを【構造監査モード】に切り替え、ビルの躯体をスキャンした。
「……躯体の強度は維持されているが、インフラが完全に死んでいるな。受水槽の交換、配管の全更新、エレベーターの制御基板の換装、および消防法の再適合……。やるべきことは山積みだ」
通の言葉は、まるで精密な積算見積を読み上げるかのように冷徹だった。
「三木さん。……渋谷の不動産と法規制に詳しいアセットを呼んでくれ。この物件を相場の三割以下で叩き売りさせ、かつ『最短の工期』で最高の拠点を創り上げるための交渉が必要だ」
怜は不敵に微笑むと、背後で待機していた一人の少女を手招きした。
渋谷代々木学園高等部一年生、不動 葵。実家は代々続く地主。情報の力で不動産価値を操作する、資産運用のスペシャリストだ。
「……佐藤さん。いえ、ボス」
葵は眼鏡を押し上げ、事務的にタブレットを提示した。
「このビルの登記簿とギルドの内部資料、既に洗ってあります。担当者はこの『事故物件』の損切りを焦っている。私が用意した『環境汚染監査報告書』を叩きつければ、今夜中に格安で契約可能です。……ただ、問題はその後です」
葵はビルの内部を見渡し、鋭く指摘した。
「内装、特注家具の搬入、阿部さんたちのためのプロ仕様のトレーニング機材、有栖さんのレシピを完璧に再現できる最新鋭のキッチン、および十四階のサーバー室……。これらを『レギュレーター』の規格で揃えるには、一ヶ月のメンテナンス期間が必要です」
「一ヶ月か。……妥当な納期だな」
通はモノクルを指先で叩いた。
「阿部くんたちの『入寮』、およびクラン本部の『グランドオープン』は一ヶ月後の月曜日とする。……葵さん、君には工事の進捗管理と、業者への『特別レギュレーション』の徹底を任せる。三木部長は内装のデザインと、広報用スタジオのレイアウトを」
「了解よ、ボス。……世界で最も洗練された『要塞』にしてみせるわ」
怜が目を輝かせる。
それからの週末、通は自ら現場に立ち、ビルの「根源的なバグ」をデバッグしていった。
地下に眠る小さな『特異点』を、通のレベル131の魔力で「無害な自家発電機」へと書き換える。
配管の奥に潜む魔力汚染を、超音波魔法で分子レベルまで浄化する。
物理的な工事は人間の専門業者に任せつつ、通はそこに「魔法的なセキュリティと効率」のパッチを当てていった。
「阿部くん。……一ヶ月後、君たちにはこのビルの六階から十三階、完全個室の寮を与える。……それまでは、今の環境で自分たちの『価値』をさらに高めておけ」
「……一ヶ月後に、渋谷の真ん中に俺たちの城が……! 了解しました、ボス! その日を最高の状態で迎えてみせます!!」
阿部たちが、期待に胸を膨らませて解散していく。
一週間、二週間と、ビルは着実に「脱皮」を繰り返していった。
一階から五階は、洗練されたガラス張りの店舗兼オフィス。
十四階のペントハウスには、三木怜がこだわった「モノトーンと銀」を基調とした戦略司令室が形作られていく。
屋上には、最新のドローンポートが三基、据え付けられた。
家具、家電、および有栖が通のために「これならトールくんも落ち着けるかな」と選んだ北欧風のソファ。
電化製品の一点一点に至るまで、葵が「ボスの魔力伝導を妨げない低ノイズ製品」を厳選し、搬入されていく。
「……順調ね、ボス。……あと三日で、全ての『セットアップ』が完了するわ」
五月某日。
完成間近の本社ビル最上階。三木怜は、搬入されたばかりの革張りのデスクに座る通を見つめた。
窓の外には、一ヶ月前とは違う、佐藤通によって「管理」され始めた渋谷の街が広がっている。
「……よろしい。葵さん、素晴らしい工期管理だった。三木部長、広報の準備も万全だな」
「ええ。月曜日の朝、このビルの屋上に『REGULATOR』のロゴが点灯する瞬間、渋谷の時価総額は塗り替えられるわ」
通は、有栖から届いた「新しいお部屋、楽しみにしてますね」というメッセージを眺め、微かに目を細めた。
「一ヶ月の待機は終わった。……さて、月曜日の午前四時十五分。……この『レギュレーター・タワー』で、全社員、最初の業務を開始するぞ」
通のモノクルが、夜明け前の空を反射して、かつてないほど鋭く輝いた。
渋谷宮下公園前、十四階建ての漆黒の要塞。
一ヶ月をかけて磨き上げられたその牙城は、現代社会という巨大なマーケットを「完全買収(TOB)」するための、最強の武器となっていた。
第031話:完




