第026話:『レギュレーター』の影武者たちと、静かなる創業評議会
四月十五日、月曜日。午後九時。
渋谷の喧騒を足元に敷き詰めた、駅直結型タワーマンションの一室。三木怜の自室を占拠していたのは、年頃の少女が好む芳醇なアロマの残り香ではなく、サーバー室を思わせる乾燥した空気と、張り詰めたような緊張感だった。
デスクの上では二枚のタブレットが青白い光を放ち、怜の瞳に冷徹な「市場データ」を刻み込んでいる。
一つは、広報兵站部長として共有された、佐藤組の蹂躙映像『沈黙の騎士団』。編集画面の中で、阿部たちが放つ暴力が芸術的なまでに洗練されていく。もう一つは、クラス内の女子たちの動向を分単位でプロットした「佐藤通に対する需要曲線」だ。
(……加熱しすぎている。このままだと、情報の価値が暴落するか、無秩序な羨望という名のバグが組織を侵食するわ)
怜は冷えたハーブティーを一口含み、その苦味を舌の上で転がした。彼女が見つめているのは、恋慕という名の甘い幻想ではない。佐藤通という絶対的なリソースを、いかにして世界で最も価値のあるブランドへと昇華させるかという、乾いた勝算だった。
――翌、火曜日。午後四時。
トールから下された「休息」という名の強制命令。その直後、怜は選ばれた十二名の女子生徒を、資材倉庫の裏へと招集した。
そこは昨日まで、阿部たちが泥と汗にまみれ、自らの限界を削り取っていた「戦場」の跡地だ。微かに残る鉄錆と土の匂いが、これから始まる儀式の重みを強調している。怜はあえてこの剥き出しの場所を、自分たちの「旗揚げの地」に選んだ。
「――注目。これより、我々は『S.G.サポーターズ・プレミアム』としての本稼働を開始します。追加人員を含めた、公式のキックオフよ」
怜の声には、十五歳の少女の皮を被った「経営者」としての威厳が宿っていた。彼女は傍らに置いた黒いアタッシュケースを音もなく開き、十二名分、一ミリの狂いもなく整列した『モノトーンの腕章』を提示した。
「この組織の行動規範は、ただ一つ。……『ボスの描くビジョンのため、個を消し、システムの一部となれ』」
少女たちの間に、冷たい水が流れたような沈黙が広がる。怜の瞳は、一人一人の甘えを検閲するように鋭く射抜いた。
「黄色い声で応援したいだけなら、今すぐあっちの他校の連中のところへ行きなさい。ここに残る者は、佐藤くんが世界をデバッグするための『部品』としての誇りを持ちなさい。……遥、飲料の配合は?」
「昨日のフィールドワークで採取した佐藤組十五名の発汗量と魔力消費ログを解析済みよ。明日の合同演習に向けて三パターンの最適解を用意したわ。誤差は〇・一パーセント以内に封じ込めているわ」
工藤遥の声には、調理師の矜持を超えた、科学者としての冷徹さが混じっていた。
「理奈、撮影ポジションは?」
「昨日のドローン撮影の経験を活かして、明日の会場でギルドのカメラマンが入る死角を三箇所確保したよ。華乃ちゃんへの生データ転送ラインは、三重の暗号化を完了。一瞬の隙も逃さない」
「結衣、レシートの回収フローは?」
「阿部くんたちの手首にRFIDタグを埋め込みました。決済と同時に私の端末へ同期されます。……不正支出は一円たりとも、私の検閲を通りません」
怜は満足げに頷くと、自らの左腕に、一番大きな『Manager』の文字が刻まれた腕章を装着した。指先に触れる布地の質感は、彼女にとってどんなドレスよりも誇らしい「制服」だった。
「よろしい。佐藤くんは言ったわ。『佐藤組は、これよりクラン化する』と。……なら、私たちが創るのはファンクラブじゃない。世界で最も効率的で、世界で最も冷徹な、最強の『後方支援軍』よ」
その時、怜のタブレットが短く震えた。トールからのショートメッセージ。
『三木さん、クラン名は決まったか?』
不意に、鉄の仮面が剥がれ落ちそうになる。心臓が跳ね、頬に熱い血が上るのを感じた。だが、彼女はわずか数秒でその熱を「デバッグ」し、広報兵站部長の顔へと戻った。
「……ボス。名前は決まりました。明日の合同演習、私たちがあなたの『世界』を、完璧に統制してみせます」
――四月十七日、水曜日。午前八時。
合同演習会場は、早朝から熱を帯びた喧騒に包まれていた。他校の女子たちが「トール様!」と喉を枯らし、スマートフォンの画面を無秩序に振り回す。
その熱狂の最前列に、異質な静寂を纏う漆黒の集団がいた。
整然と列をなし、手に持ったタブレットと高精度センサーにのみ意識を集中させる少女たち。彼女たちの左腕には、朝陽を反射して銀色に光る『REGULATOR - Support Unit』の刻印があった。
「……怜っち、ボスが来たよ」
理奈の囁き。怜はモノクルのフレームを指先でなぞり、呼吸を整えた。
ゲートをくぐり、空間そのものを威圧するような重圧を伴って現れる、自らの主――佐藤通。
(佐藤くん。見ていて。あなたの隣に立つのは、有栖さんのような『癒し』だけじゃない……。私たちが作り上げた、この完璧な『組織』こそが、あなたの最強を証明する翼になるんだから)
三木怜の瞳が、かつてないほどの鋭さと、静かな熱を帯びて燃え上がった。
新興クラン『レギュレーター』。その栄光の軌跡を数値で支配する少女たちの、果てなき「残業」の火蓋が切って落とされた。




