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渋谷ダンジョン事変。レベル130で帰還した元中間管理職、無能なギルドを『デバッグ』して現代社会を経営する 〜女子高生の弁当は経費で落とし、不良はOJTで精鋭騎士団へ〜  作者: トール
第一章:統制者の創業と、渋谷ダンジョンのデフラグメンテーション

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第020話:休日のオフサイト・ミーティングと、春の陽光のバグ

 


 四月十四日、日曜日。

 昨夜、華乃が全世界に放流した『銀翼の覇者シルバーウィング・ロード』の動画は、地球を十周しても足りないほどの熱狂を生み出していた。インターネットという名の電子の海は、正体不明の『渋谷の亡霊』を巡る推測と解析で溢れかえり、主要国のギルド本部は緊急対応に追われている。


 だが、その騒動の元凶である佐藤通は、自室の鏡の前で、三十二歳のサラリーマン時代にもしたことがないほど真剣に「身だしなみ」を整えていた。


「……OS、服装の整合性は?」


(解析。対象:ライトグレーのサマーニットに黒のスラックス。……清潔感:98%。……威圧感:3%。……結論:極めて自然な『無害な高校生』を偽装できています)


「……よし。モノクルの反射も抑えてある。あくまで『非戦闘員』としてのロールプレイを完遂する」


 通は、愛用の『深淵のモノクル』を指先で叩き、設定を【休日・プライベートモード】へと切り替えた。

 今日は、有栖との約束の日。

 彼にとってこれは、いかなる特Aランクの討伐よりも予測不能で、いかなる国家交渉よりも失敗が許されない『重要ミッション』だった。


 リビングに降りると、一真がコーヒーを飲みながらニヤリと笑った。


「通。今日の『業務』は、随分と華やかな場所のようだな。……相手の『心』という名のダンジョンは、レベル131でも攻略不能だぞ。心してかかれ」


「……余計なアドバイスだ、親父。……行ってくる」


「お兄ちゃん、GPS切らないでよね! 広報として、ベストショットを……」


「……二度とカレーを食べられなくなりたいのか、華乃」


 通は妹の冗談を冷徹に受け流し、家を出た。


 午前十時。渋谷駅、ハチ公前広場。

 そこには、数日前の事変の爪痕を消し去るように、多くの人々が週末を謳歌していた。


 待ち合わせ場所に、彼女はいた。


「……佐藤、くん……。ううん、トールくん!」


 有栖が駆け寄ってくる。

 春らしい淡いベージュのワンピースに、白のカーディガン。いつも校内で見る制服姿とは違う、柔らかくて、どこか守りたくなるような少女の姿。


(個体名:神崎有栖。……解析。魅力度:測定不能。……心拍数:155。……補足:彼女はこの日のために、三日前からコーディネートをシミュレーションし、今朝は五時からメイクの『デバッグ』を行っています)


「……待たせたかな、神崎さん。いや、有栖」


「ううん、今来たところ! ……あ、トールくん、今日の格好、すごく……かっこいい」


 有栖が顔を赤らめ、はにかむ。

 通は、32歳の精神でさえ、彼女の放つ圧倒的な「ヒロイン・オーラ」に一瞬だけ呼吸を忘れた。


「……今日は君の『アジェンダ(案内)』に従おう。どこへ向かえばいい?」


「うん! ……あそこ。昨日、一部だけ開園した『新生・代々木公園』。……一番綺麗な場所を、予約しておいたの」


 代々木公園。

 それは、数日前に通が再覚醒し、イービルアイを喰らった惨劇の地。

 だが、現在のそこは、クリスタルフュージョン(CF)技術による大規模な空間浄化が行われ、春の名残の桜が、魔力の干渉によって「奇跡の満開」を維持している特殊な観光特区となっていた。


 二人は、再開発された桜の並木道を歩く。

 有栖は時折、通の袖を遠慮がちに掴み、楽しそうに学園の話をした。通はそれを「良好な協力関係の維持」として聴き、時折、大人の余裕を持って相槌を打つ。


「……見て、トールくん! あの桜、CFの光を反射して、夜じゃなくても七色に光ってる!」


「……不自然な魔力干渉による色収差ノイズだが、……視覚的なプレゼンテーションとしては、悪くないな」


「もう、トールくんは相変わらずだね。……あ、あそこ! あの木の下、あそこが私の『予約席』だよ」


 有栖が指差したのは、池のほとり、満開の桜がアーチのように覆いかぶさる、人目を忍んだ美しい場所だった。

 二人はレジャーシートを広げる。

 有栖がカバンから取り出したのは、昨日以上に気合の入った、三段重ねの特製重箱だ。


「……本日の『メイン・ミッション』だな」


「うん。……今日はね、トールくんが好きだって言ってた和食をベースに、デザートも付けてみたの」


 蓋が開けられた瞬間。

 有栖の真心と、今朝の銀龍の魔力を無意識に味方につけたかのような、芳醇な香りが広がった。


「……では、監査(試食)を開始する」


 通が箸を伸ばす。

 出汁巻き卵、西京焼き、そして春野菜の炊き込みご飯。

 一口ごとに、レベル131の肉体に「癒し」という名のプラスのステータスが蓄積されていく。


「……美味しい。……有栖。……君の提供する『価値』は、もはや既存の市場価格では換算できない域に達している」


「えへへ……。トールくんがそうやって、難しい言葉で褒めてくれるの、……私、大好きだよ」


 有栖は、自分の分のおむすびを口に運びながら、幸せそうに微笑んだ。

 通は、そんな彼女を見つめながら、ふと思った。

 異世界で血に塗れていた時、自分が求めていた「帰還」の答えは、この瞬間のためにあったのではないかと。


 だが。

 その平和な「アジェンダ」を乱す存在を、モノクルが逃さなかった。


(警告。……周辺空間に『位相のバグ』を検知。……座標、背後の池の深部。特Aランク級の『隠れ個体』が、あなたの魔力に惹かれて顕現しようとしています)


 通の瞳が、一瞬だけ冷徹な「王」のものに変わった。

(……休日出勤か。予定にはなかったが……『顧客』の安全を脅かすノイズは、即座に排除するのが仕事だ)


「有栖。……少し喉が渇いたな。あそこの自販機で、何か飲み物を買ってきてくれないか?」


「あ、うん! 了解です、トールくん! ……何がいいかな?」


「……君のセンスに任せる。それが今日の『追加注文』だ」


 有栖が楽しげに走り去る。

 彼女の背中が完全に見えなくなった、コンマ二秒後。


「――出社時間タイムカードだ。姿を現せ、不法侵入者」


 通が静かに立ち上がると、池の静水が逆流し、巨大な水の竜――特Aランク個体『静寂の捕食者サイレント・リバイアサン』が姿を現した。

 この個体は、完全に気配を消し、犠牲者が気づく前に空間ごと飲み込む「静かなる天災」。ギルドが総出で挑んでも、その隠密性の前に手も足も出ない難敵だ。


 だが、通のモノクルは、そのコアを完全にロックオンしていた。


「……有栖が戻るまで、残り六十秒。……十五秒で終わらせる。……あいにく、俺はデートの『残業』はしない主義でね」


 通の指先が、空間をピアノのように弾く。


「――雷魔法:極位・『千の雷針サウザンド・ニードル』」


 音はしなかった。

 ただ、空から降り注ぐ不可視の雷の針が、リバイアサンの核を、分子レベルで千回貫いた。

 巨躯は咆哮を上げる暇もなく、ただの「ただの水」へと還り、池の中へと静かに崩れ落ちた。


(討伐完了。所要時間:十二秒。……ドロップ品『水神の涙(特A魔石)』を自動収集。……現場の空間修復、完了。……有栖の帰還まで残り三十秒)


「……ノルマ達成だ。……ふぅ」


 通は再びベンチに座り、何食わぬ顔でモノクルをプライベートモードに戻した。

 一国の危機を秒殺した直後だとは、誰も気づかない。


「お待たせ! はい、トールくんにはこれ。……なんか、今の飲み物……迷っちゃった」


 有栖が戻ってきた。手には、通が好きだと言っていた冷たい緑茶。


「……ありがとう。……いいタイミングだ、有栖。……少し風が吹いたが、景色は変わっていないな」


「え? 風なんて吹いた? ……あ、本当だ。池の波紋が、すごくキラキラしてる」


 有栖は通の隣に座り直し、お茶を一口飲んだ。

 そして、勇気を出したように、そっと通の手の上に、自分の手を重ねた。


「……トールくん。……私ね。……今日、トールくんとこうして歩けて、……本当に幸せ。……あなたが誰であっても、何を隠していても。……私には、今こうして私と笑ってくれるトールくんが、……本物だよ」


「……有栖」


 通は、重ねられた手の温もりを感じながら、モノクルの奥で小さく息を吐いた。

 レベル131。

 神に等しい力。

 世界を書き換える演算。

 そんなものは、この小さな手の温もりの前では、なんの価値もない『データ』に過ぎない。


「……ああ。……俺も、この『プロジェクト』の継続を、強く希望する」


「……あはは、また仕事みたいな言い方。……でも、嬉しい」


 夕暮れが迫る。

 CFの光に彩られた桜が、二人の影を優しく包む。

 最強の帰還者の、初めての「休日」。

 それは、いかなる激戦よりも彼の魂を癒し、そして、守るべき「日常」の重みを彼に教えた。


 翌日から始まる、地獄の『合同演習』。

 迫りくるギルドの陰謀。

 だが、佐藤通の隣には、彼を「人間」に繋ぎ止める、最強のメイン・ベンダーが微笑んでいた。


【現在の佐藤通:レベル131。特A『静寂の捕食者』をデート中に秒殺(ステルス処理)。有栖との好感度が『運命』の領域へ。……月曜日、佐藤組との合流に向けて気合を入れ直す】









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