第021話:送り届けるまでがミッション:初デートの閉会式と、週末のバグ
午後六時。
空は深い群青色に溶け始め、渋谷の街にはクリスタルフュージョン(CF)の街灯が、人工的な星のように瞬き始めていた。
代々木公園の「再生エリア」を後にした通と有栖は、駅へと向かう遊歩道を、ゆっくりとした足取りで歩いていた。
通の右手には、空になった重箱が入ったバッグ。そして左手には、先ほど売店……を装ってインベントリから取り出した、小さな銀色の小箱が握られている。
「……あ、あのね、トールくん。今日は本当に、……楽しかった。一生、忘れないと思う」
有栖が、少し名残惜しそうに歩調を緩める。
通は、モノクルの度数を『対人・鎮静モード』に固定したまま、穏やかに頷いた。
「俺にとっても、予測を上回る有意義な『オフサイト・ミーティング』だったよ。……有栖。これは今日の、いわば参加報酬だ。受け取ってくれ」
「えっ……? プレゼント?」
有栖が驚いて目を見開く。通が手渡したのは、今朝、特Aランク『銀翼の覇者』を討伐した際に得た、銀色の鱗を加工したヘアクリップだ。通の雷魔法で分子構造を安定させ、今はただの「非常に高価なシルバーアクセサリー」にしか見えないようデバッグされている。
だが、その実態は、通がしれっと施した多重の防護結界――あらゆる物理攻撃を減衰させ、有害な魔法干渉を無効化する『物理・魔法両面防御』を組み込んだ、特Aクラスの自律型魔道具と化していた。
「……すごく綺麗。……いいの? こんな高価そうなもの」
「……路地裏の『ジャンク品』を少し調整しただけだ。君の今日の献身(お弁当)に比べれば、原価など微々たるものだよ」
32歳の精神を持つ通は、さらりと嘘を吐いた。実際には、ギルドが血眼になって探すであろう超希少素材を贅沢に使い、一国の防衛システムに匹敵する演算を詰め込んだオーパーツだが、有栖の笑顔という「プライスレスな価値」の前では、確かに端材に等しかった。
二人は有栖の自宅がある静かな住宅街へと差し掛かった。
だが、平和に見えるこの街の裏側でも、夜の訪れと共に「バグ」は発生する。
(警告。……右前方、電柱の影にCランク個体『影の追跡者』を検知。……さらに左側の屋根裏に、Dランクの群れ。……これらは、あなたの漏れ出た魔力に惹かれた『残業代』候補です)
「……やれやれ。日曜の夜にまで呼び出されるとはな」
通の瞳が、環境音のように冷たく細まった。
有栖は、通の隣で幸せそうにヘアクリップを眺めている。彼女に、この醜悪な魔物の姿を見せる必要はない。
「……あ、見て、トールくん! あそこのお花、夜になると光るんだよ!」
「……ほう。……OS、標的をロック。有栖の視線が外れるコンマ三秒の間に、すべて『消去』しろ」
有栖が街路樹の花に目を向けた、その瞬間。
バチッ……!
通の指先から、目に見えないほど細く、誠に鋭い雷電が放たれた。
音速を超えた雷の針が、暗闇に潜んでいた影の魔物たちの核を、音もなく、一瞬で、分子レベルまで焼き切った。
魔物たちは悲鳴を上げる間もなく霧散し、ドロップ品は【無限インベントリ】が事務的に回収していく。
「あ、……今、なんかバチって言わなかった?」
有栖が不思議そうに振り返る。通は何食わぬ顔で、彼女の肩を優しく守るように位置を変えた。
「……静電気だろう。空気が乾燥しているからな。……気にするな、有栖。君の家の門は、もうすぐそこだ」
「……うん。……そうだね」
有栖の足が、止まった。
街灯の下。有栖の自宅の門扉。
そこは、今日という夢のような時間の「終着点」であり、明日という「日常」への入り口。
有栖は通の手を、ぎゅっと握りしめた。
彼女の体温が、通の手のひらを通じて、レベル131の冷徹な回路に流れ込む。
「……トールくん。……私ね。……どうしても、伝えたいことがあって」
有栖の声が、微かに震えている。
彼女は、うつむいていた顔をゆっくりと上げた。
その瞳には、夜の闇も、ギルドの脅威も、世界の危機も、すべてを跳ね返すほどの『決意』が宿っていた。
「……私は、あなたのメイン・ベンダーで、……それだけで、いいって思ってたけど。……でも、やっぱり、……それだけじゃ、嫌だよ」
有栖が一歩、踏み出す。
街灯の光が彼女を照らし、通の心拍数が、今日初めて「計測不能」を記録した。
「……私を、本当の『特別』に、してほしいの」
有栖が背伸びをする。
彼女の柔らかい唇が、通の唇に重なろうとした、その時――。
ガチャンッ!! ドォォォン!!
「――待たせたなァ! 愛娘の帰還ッ! および、不審なオスの検問を開始するッ!!」
凄まじい勢いで玄関のドアが開き、そこから「巨大な何か」が飛び出してきた。
「「…………え?」」
そこにいたのは、身長二メートル近い筋骨隆々の大男。
だが、その格好はあまりにも異常だった。
頭には、なぜか『渋谷の亡霊』を模したと思われる、段ボール製の不格好なモノクル。
刻み込まれたかのような筋肉質な胸板には、マジックで大きく『有栖・命』と書かれている。さらに、ピンク色のフリルがついたエプロンを着用し、右手にはなぜか「大型の肉叩きハンマー」を握っていた。
「……父、さん?」
有栖の声が、絶望に染まる。
神崎有栖の父、神崎剛。元・肉体派探索者であり、現在は「過保護すぎる主夫」として近所でも有名な男だ。
「有栖! 遅いぞ! パパの特製・プロテイン入り唐揚げが冷めてしまうだろうが! ……振って、貴様ッ! 貴様が、我が家の純潔な市場を荒らそうとしている新規参入者かァッ!!」
剛が、通に向けてハンマーを突きつける。
(……解析。……個体名:神崎剛。……推定レベル:22。……しかし、娘を想う『精神的バフ』により、一時的に威圧感がAランク級に跳ね上がっています。……結論:極めて面倒なタイプのバグです)
通は、数秒間フリーズした。
異世界の魔王も、特Aランクの巨神も、これほどまでの「不条理」は持ち合わせていなかった。
「……パ、パパ……! やめて! 何その格好! 死ぬ! 恥ずかしすぎて私が死ぬ!!」
有栖が顔を真っ赤にして、父親の背中をポカポカと叩く。
「フンッ! これが親父の正装だ! ……佐藤、と言ったか! 貴様のそのモノクル……本物だな! だが、俺の自作モノクル(段ボール製)の愛には勝てんぞ!!」
剛が段ボールのモノクルをずらし、鋭い眼光を通に向ける。
通は、深いため息を漏らした。
そして、いつものようにモノクルの位置を直すと、32歳の営業マンとしての、完璧な会釈を披露した。
「……初めまして、お父上。……佐藤通です。……娘さんの『業務品質』の向上には、いつも助けられております。……本日の接待は、これで終了させていただきます」
「……ぜ、接待だとォッ!? 有栖を接待ゴルフか何かと同じに扱うかァッ!!」
「トールくん、ごめん! 本当にごめん! ……あとでLINEするから! パパ、もう中に入って!!」
有栖が半泣きで、巨体の父親を家の中に押し込んでいく。
閉まりかけるドアの隙間から、有栖が申し訳なさそうに、でも少しだけ寂しそうにこちらを見た。
通は、彼女に向けて、短く手を振った。
「……じゃあ有栖、また明日な。……レシート(思い出)の整理は、ゆっくりやってくれ」
バタンッ!!
静寂が戻った。
住宅街の夜に、一人残された通。
彼は、左目のモノクルを外し、夜空を見上げた。
「……OS。……神崎有栖の父親の精神構造を、改めて分析しろ」
(解析不能。……人間の『親心』という変数は、レベル131の演算能力でも解決できない複雑なスパゲッティコードです)
「……だろうな。……やれやれ、デートの終盤で、とんだ『不測の事態』に遭遇した」
通は、少しだけ楽しそうに独りごちると、自分の家へと歩き出した。
明日からは、また戦場のような一週間が始まる。
ギルドの監視、氷室冴香の誘惑、および佐藤組の訓練。
だが、あの賑やかで温かな玄関の光を見た後では。
どんな魔王の再来も、大した残業にはならないだろうと、彼は確信していた。
【現在の佐藤通:レベル131。初デート、神崎父の乱入により終了。……有栖に贈った『特A級ヘアクリップ』が彼女を完全守護。……明日から『合同演習編』突入】




