第012話:記録される蹂躙と、家族の要求
4月11日木曜日
午前六時四十五分。
通勤客で溢れ返る前の渋谷ストリーム、その地下数百メートル。一般の地図には決して記されない、廃棄された地下貯水槽のさらに奥にある「虚空の断層」に、佐藤通は立っていた。
目の前には、漆黒の体躯から紫の魔力を滴らせる、巨大な三つの頭を持つ獣がいた。
――特Aランク個体:『虚空の番犬』。
その咆哮一つで、周囲の空間がガラスのようにひび割れる。かつて異世界で「魔神の番犬」と呼ばれたそれの亜種だ。プロの探索者パーティが三個大隊で挑んでも、全滅の二文字を免れない「災厄」そのもの。
だが、通はモノクルの位置を指先で微調整し、時計を確認した。
「……残り二十五分か。シャワーの時間を考えれば、ここでのロスは五分が限界だな」
(個体名:ヴォイド・ハウンド。……戦闘開始。推奨スキル:【雷魔法:極位】。……記録機能をバックグラウンドで起動しますか?)
「ああ。……一真(親父)への『手土産』だ。付加価値は高い方がいい」
通が静かに一歩を踏み出す。
その瞬間、番犬の三つの口が同時に開き、空間そのものを削り取る「虚空の息」が放たれた。
ドォォォォォォン!
地下空間が激しく揺れ、コンクリートが分子レベルで崩壊する。
だが、そこにはもう通の姿はない。
「……甘いな。座標の固定が遅すぎる。前世のサーバーメンテナンスの方が、よっぽど迅速だったぞ」
通の声は、番犬の背後から響いた。
レベル131。物理法則すら彼の「演算」の支配下にある。
通の指先に、青白い雷光が収束していく。それは今朝の訓練で手に入れたばかりの、神の雷。
「――『雷魔法:極位・天霆』」
一筋の雷。
それは爆発ではなく、静かな「貫通」だった。
番犬の三つの心臓を、一条の雷光が同時に、かつ正確に撃ち抜いた。
巨獣は悲鳴を上げる間もなく、その巨体を内側から焼き切られ、紫の霧となって霧散した。
(戦闘終了。所要時間:三十八秒。……特Aランク魔石、および『虚空の牙』を自動収集しました。……記録データの保存、完了)
「……よし。ノルマ達成だ。……さて、急いで『出社』の準備をするとしよう」
通は踵を返し、誰もいない地下から音もなく姿を消した。
午前七時三十分。
佐藤家の食卓。トーストが焼ける香ばしい匂いと、炊き立てのご飯の湯気が、日常の平和を象徴していた。
シャワーを浴び、清潔な制服に袖を通した通は、何食わぬ顔で席に着いた。
目の前には、相変わらず新聞に目を落とす父・一真と、眠そうにスマホをいじっている妹・華乃。
「……はい、親父。今日の『お土産』だ」
通がポケットから無造作に取り出し、テーブルに置いたのは、直径十センチを超える、透き通った紫色の巨大な結晶。
一真の手が、ぴたりと止まった。
新聞を折り、彼はその結晶を――『虚空の番犬』の核を、食い入るように見つめた。
「……通。これをどこで手に入れた」
一真の低い声。それは父親としてではなく、『アーク・フュージョン』の重職にある、クリスタルフュージョンの権威としての響きだった。
「近所の地下に『ノイズ』があったからな。散歩ついでに、デバッグしておいた」
「……『虚空の番犬』の核か。それも、傷一つない極上品だ」
一真は溜息を漏らし、眼鏡を直した。その瞳には、息子への驚嘆と、それ以上に「ビジネスマン」としての苦悩が混じっていた。
「通、今度からお土産を持ってくるときには、これにその映像も一緒に頼む。あまりに頻繁に特Aを持ち込んだものだから、顧客先から入手時の映像提供を求められてしまってな。……『アーク・フュージョン』が正体不明の怪物を雇っているのでは、と勘繰られている」
「……なるほど。エビデンス(証拠)の提出か。了解だ。既にモノクルで記録済みだ。後で親父のサーバーにアップロードしておく」
通は平然と応え、トーストを口に運んだ。
32歳の精神にとって、エビデンスの重要性は身に染みている。どれほど優れた成果を上げても、そのプロセスが不透明であれば、組織内での「評価」は「疑惑」に変わる。
その時、横でスマホをいじっていた華乃が、弾かれたように顔を上げた。
「あっ、お父さん。それ私にも! その映像、私にもちょうだい! SNSにアップしてもいい?」
「華乃。これは機密情報の部類だぞ。一般に公開すれば、騒ぎが大きくなりすぎる」
通が釘を刺すが、華乃の目はキラキラと輝いていた。
「いいじゃん! 兄貴の顔は映さないように、カッコいい攻撃のシーンだけ編集するから! 『渋谷の亡霊の最新リーク映像』とかタイトルつければ、一瞬でミリオン再生だよ? 兄貴のブランディングにもなるし!」
「ブランディング、か」
通は少し考えた。
確かに、自分の実力を「正体不明の謎のヒーロー」として適度に露出させておくことは、将来的なリスクヘッジ(抑止力)になる。実力を隠しすぎるのも、時として無能な敵を呼び寄せる原因になるからだ。
「……いいだろう。ただし、場所が特定される背景はボカせ。それから、投稿前に俺の検閲を通せよ。これはビジネスだ」
「やったぁ! 兄貴、大好き! ……これで私のチャンネルも特Aランクだわ!」
華乃が歓喜の声を上げ、通に抱きつこうとする。
通はそれをひらりとかわし、鞄を手に取った。
「……時間だ。行ってくる」
「通」
一真が呼び止めた。
彼は机の上の魔石をそっと鞄にしまい、息子を真っ直ぐに見つめた。
「顧客が求めているのは、映像だけじゃない。……その『力』の正体だ。……覚悟はしておけよ。近いうちに、ギルドの上層部や、財閥の連中が動く。……お前が望む『平穏』を維持するには、それなりの代償が必要になるだろう」
「……分かっているさ、親父。……代償なら、昨日の残業代(魔石)で十分に払っているつもりだ」
通は不敵に笑うと、家を出た。
渋谷代々木学園高等部の校門前。
そこには、昨日までとは明らかに違う光景が広がっていた。
「佐藤さん、お早うございます!!」
阿部大輝率いる『佐藤組』の面々が、門の両脇に整列し、通を迎える。
そしてその中心、少し離れた場所には、昨日通の言葉に涙した神崎有栖が、昨日以上に心を込めて作ったであろう、重厚な三段重ねの弁当箱を持って立っていた。
さらに、校舎の二階。
生徒会室の窓から、氷室冴香が鋭い視線をこちらに向けている。
通は、モノクルの度数を「学園モード」へと切り替えた。
(個体名:佐藤通。……本日のスケジュール:午前・有栖とのランチ交渉。放課後・佐藤組の合同研修。夜間・映像データの編集および一真への納品。……非常にタイトなスケジュールです)
「……やれやれ。異世界で魔王を倒した時より、現代の『過密スケジュール』の方が、よっぽど体力を削られるな」
通は溜息を一つ吐くと、自分を待つヒロインたちと、崇拝する舎弟たちの待つ戦場へと、優雅な足取りで踏み出した。
最強の帰還者の、記録に残る(レコード・ブレイキング)日々。
その「業務」は、今、世界を巻き込む大きなうねりへと変わり始めていた。
【現在の佐藤通:レベル131。特Aランクの映像を華乃に提供。……学園無双のステージが、SNSを通じて世界へと拡散される予感】




