第011話:早朝のOJT(地獄)と、組織の基礎工事
4月11日木曜日
午前四時四十五分。
夜の帳が最も濃くなる直前、渋谷代々木学園高等部の裏門近くにある、再開発途中の広大な空き地。そこには、およそ高校生の朝とは思えない、異常な光景が広がっていた。
「……九百九十七! 九百九十八! 九百九十九! ……千ッ!!」
阿部大輝の絶叫に近いカウントが、朝霧の立ち込める空間に響く。
彼の後ろには、昨日まで「男子生徒連合」と称して通に反旗を翻していた十五名の少年たちが、一列に並んでスクワットの最終セットに挑んでいた。全員、服は泥と汗にまみれ、体からは蒸気のような熱気が立ち上っている。
「……終わりました! 課題、完了です!!」
阿部が膝をガクガクと震わせながらも、通に向かって直立不動で報告する。
その視線の先。通は、積み上げられたコンクリートブロックの上に優雅に腰を下ろし、モノクルの度数を「バイタルチェック・モード」に切り替えていた。
(個体名:阿部大輝。筋肉疲労度:82%。乳酸蓄積量:限界点。……補足:精神的昂揚により、通常の限界値を5%超えて駆動しています)
「……五分の遅刻だ、阿部くん。ビジネスにおいて、準備運動の遅れはプロジェクト全体の納期遅延に直結する。次はもっと余裕を持って『出社』したまえ」
「……は、はい! 申し訳ありません、佐藤さん!!」
阿部が深々と頭を下げる。
三十二歳の魂を持つ通にとって、彼らは「やる気はあるが無知な新人研修生」だ。
昨日、力で屈服させただけでは、本当の意味での『協力会社』としては機能しない。必要なのは、圧倒的な「格」の提示と、成長という名の「インセンティブ(報酬)」だ。
「よし、身体の『再起動』は済んだようだな。……では、今日のメイン・アジェンダに移ろう。……OS、周囲の結界強度を確認しろ」
(了解。隠蔽結界、出力安定。……周囲100メートルを『位相のズレ』に隔離完了。……本日、実地テスト(OJT)用のターゲットを解放しますか?)
「ああ。……諸君、注目しろ。君たちが昨日求めた『力』の、その端書きを見せてやる」
通が指をパチンと鳴らす。
瞬間、空き地の中央、虚空が歪み、ドロリとした黒い泥が溢れ出した。
そこから這い出てきたのは、数体の『シャドウスイーパー』――Cランク下位の、実体を持たない影の魔物だ。
「な、なんだよ、これ……」
「ギルドの訓練場にいるやつより、ずっとプレッシャーが……!教えられた通りにやらなきゃ殺される……!」
男子たちが恐怖に顔を強張らせる。
Cランク。それは、プロの探索者でも数人でチームを組んで挑む相手だ。まだレベルも一桁から十そこそこの彼らにとっては、本来なら死神にも等しい。
「恐れる必要はない。これは俺がインベントリから引き出し、出力を30%まで間引いたデバッグ用の個体だ。……阿部、木刀を構えろ。魔力循環のイメージは、昨夜の『宿題』で教えた通りだ」
「は、はい!」
阿部が震える手で木刀を握る。
昨日、通にコンクリートの壁ごと叩き斬られたその武器には、今、通の魔力による『一時的な強化』が施されていた。
「相手の『影』を見るな。モノクル……いや、心眼でその中心にある『魔力回路の結節点』を視ろ。そこがこの魔物のバグ(急所)だ」
通の言葉は、氷のように冷たく、しかし正確に阿部の脳内に突き刺さった。
阿部が踏み出す。
シャドウスイーパーが、物理法則を無視した角度から、鋭い影の触手を伸ばしてきた。
「今だ。右斜め前方へ15センチ移動、そこから垂直に振り下ろせ」
「おおおおおおおっ!!」
阿部が、通の指示通りに体を動かす。
吸い込まれるように、木刀が影の中心を貫いた。
パリン、というガラスが割れるような音。
Cランクの魔物が、一撃で霧散した。
「……倒した。俺が、Cランクを、一撃で……!」
「……それが『最適化』だ。無駄な筋力も、過剰な魔力も必要ない。正しい入力を、正しい座標に行う。……それがプロの仕事だ」
通はブロックから降り、驚愕に包まれる少年たちの中心へと歩み寄った。
彼の周囲には、いつの間にか『無限インベントリ』から自動排出された、昨日の戦果である『次元の刃片』が浮遊している。
「いいか、諸君。君たちは昨日まで、ダンジョンを『冒険』だと思っていた。だが、それは間違いだ。……これは、人生という名の企業経営における『資源採取』であり、『在庫管理』だ」
通のモノクルが怪しく七色に脈動する。
その威圧感は、もはや十五歳の少年のものではない。
数多の戦場を統括し、魔王の軍勢を効率的に殲滅してきた、冷徹な『CEO』のそれだった。
「俺に従え。そうすれば、君たちのレベルは飛躍的に向上し、市場価値は高騰する。……女子たちの視線、親の期待、将来の不安。……それら全てを、君たちは力で『マネジメント』できるようになる」
「佐藤さん……俺たち、どこまでもついていきます!」
阿部が跪き、他の男子たちもそれに続く。
昨日までの「嫉妬に狂ったガキ」はそこにはいなかった。
そこにいるのは、最強のリーダーに導かれ、自分たちの可能性に気づかされた、狂信的で精鋭な「兵隊」の卵たちだ。
(個体名:佐藤通。……男子生徒連合の忠誠心が『120%』に到達。……これは、もはや協力会社ではなく、あなたの『親衛隊』です)
「……大げさだ、OS。俺はただ、クラスの風通しを良くしたいだけだ」
通は、スマホを取り出し、画面を確認した。
午前六時三十分。
「時間だ。本日の訓練(OJT)を終了する。……各自、シャワーを浴びて制服に着替え、定時に登校しろ。……あ、それから」
通は、鞄から人数分のスポーツドリンク(昨日のボーナスで買った高級なものだ)を取り出し、彼らに放った。
「これは経費だ。……筋肉の修復に役立てろ。……明日も、遅刻は認めないぞ」
「「「はいっ!! ありがとうございましたっ!!!」」」
朝日が昇り始めた渋谷の街。
最強の帰還者の背中を追い、整然と解散していく少年たち。
通はモノクルを指先で叩き、日常の『佐藤通』へと戻るためのルーチンを組んだ。
「……さて。学校へ行く前に、親父への手土産でも調達しておくか。昨日の『次元魔石』で味を占められては困るが、機嫌を取っておくに越したことはないからな。OS、近場で『特A』の反応を洗練しろ」
(了解。スキャン範囲を拡大。……渋谷ストリームの地下深部、未登録の『特異点』を検知。個体名:『虚空の番犬』。推定ランク:特A。……その核は、極めて高いエネルギー伝導率を誇ります。手土産には最適です)
「虚空の番犬か。朝のコーヒー代わりには丁度いい刺激だな。……登校時間まで残り三十分、五分で終わらせるぞ」
学園の闇も、ギルドの腐敗も、まだ動き出したばかりだ。
だが、佐藤通の手の中には、彼を崇拝する『組織』と、最強の『武力』が着実に形を成しつつあった。
それが、現代というダンジョンを攻略するための、彼の最初の『インフラ整備』だった。
【現在の佐藤通:レベル131。佐藤組(男子生徒連合)の練度が向上。……親父への特Aランクの手土産を調達しに『渋谷ストリーム地下』へ】




