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処刑された侯爵令嬢は、二度目の人生で幸せを知る  作者: ぽかぽか


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7/8

7.

 午後の柔らかな陽射しが庭を照らしていた。

 侯爵家の温室では、色とりどりの花に囲まれながら、オリビアは母と向かい合って座っていた。

 紅茶の香りが漂う。


「最近、元気がないわね」


 不意にそう言われ、オリビアは顔を上げた。


「そんなことは……」

「あるわ」


 母は優しく微笑む。


「母親ですもの」


 その言葉に、オリビアは何も返せなくなった。

 最近の自分はおかしい。

 婚約の話を聞いてから、ずっと心が落ち着かない。

 理由も分かっている。

 認めたくなかっただけだ。


「婚約のお話が進んでるでしょう?」


 母はそっと尋ねる。


「ええ」

「なのに、嬉しそうではないのね」


 胸が痛んだ。

 図星だった。

 オリビアは俯く。

 膝の上で手を握り締めた。


「私は……」


 声が震える。


「どうしたらいいのか分からないんです」


 母は何も言わない。

 ただ静かに待ってくれている。

 だから、今まで胸の奥に押し込めていた言葉が溢れた。


「婚約するものだと思っていました」


 幼い頃からそうだった。

 王子と婚約する。

 それが自分の役目。

 疑問を抱いたことはなかった。


「でも……」


 言葉が詰まる。

 視界が滲んだ。


「婚約してしまったら」


 一粒の涙が零れる。


「きっと後悔する気がするんです」


 母は驚かなかった。

 責めもしなかった。

 ただ席を立ち、オリビアの隣へ移動する。

 そしてそっと肩を抱いた。


「好きな人がいるのね」


 その言葉に、オリビアは目を閉じた。

 否定できなかった。

 頭に浮かぶのは一人だけだったから。


「……はい」


 小さな声だった。

 母は優しく髪を撫でる。


「オリビア」

「はい」

「婚約は断ってもいいのよ」


 オリビアは息を呑んだ。

 その言葉は、今まで考えたこともなかった。


「でも」

「あなたの人生だもの」


 母は微笑む。


「誰かに決められるものではないわ」


 胸の奥で何かがほどけていく。

 気付けば涙が止まらなかった。


◇◇◇


 翌日。

 オリビアは学園の中庭へ向かっていた。


 手が冷たい。

 心臓もうるさいほど鳴っている。

 それでも足は止めなかった。

 リチャードは東屋にいた。

 書類を読んでいたが、オリビアを見ると表情を和らげる。


「オリビアか」


 その笑顔は以前よりずっと優しい。

 だが今のオリビアの心は動かなかった。


「お話があります」


 真剣な声音に、リチャードは本を閉じた。


「何だ?」


 オリビアは息を吸う。

 そして真っ直ぐに彼を見る。


「婚約のお話ですが」

「ああ」


 リチャードは当然のように頷く。


「年内には正式なものになるだろう」


 その口調には迷いがなかった。

 まるで決まった未来を話しているようだった。

 オリビアは唇を結ぶ。

 そして。


「お受けできません」


 静寂が落ちた。

 風の音だけが聞こえる。


 リチャードは瞬きをした。

 一度。

 二度。

 まるで意味が分からないというように。


「……何だと?」

「婚約はお受けできません」


 オリビアはもう一度言う。

 今度ははっきりと。

 リチャードの顔から笑みが消えた。


「なぜだ」


 理解できない。

 そんな表情だった。


(私は前とは違うはずだ。以前より気を遣っているし、お前を大切にしている)


 リチャードは本気でそう思っていた。

 だからこそ分からない。


「何が不満なんだ」


 オリビアは悲しそうに目を伏せる。

 やはり、リチャードは最後まで気付いていない。

 自分が何を望み、何を考えているのか。

 一度も聞こうとはしなかったことに。

 オリビアはゆっくりと顔を上げた。


「殿下」


 その瞳は静かだった。


「私は、殿下に選ばれたいのではありません」


 リチャードは言葉を失う。

 オリビアは続けた。


「私自身の意思で、未来を選びたいのです」


 その言葉に、リチャードは初めて、自分の知らない何かが動いていることを感じていた。


◇◇◇


 訓練場には木剣の打ち合う音が響いていた。

 エリックは一人で剣を振っていたが、不意に足を止める。

 見慣れた姿が視界に入ったからだ。

 リチャードだった。

 だが様子がおかしい。

 いつもなら真っ直ぐ歩いてくるはずなのに、今日は苛立ちを隠そうともしていない。


「殿下」


 エリックは木剣を下ろして頭を下げた。

 リチャードは短く頷く。


「手合わせを頼めますか」

「いや、今日はいい」


 即答だった。

 エリックは眉をひそめる。

 よほど機嫌が悪いらしい。


「何かあったのですか」


 少しの沈黙。

 そしてリチャードは吐き捨てるように言った。


「オリビアが婚約を断った」


 エリックは目を見開いた。


「……そうですか」


 驚きはした。

 だが表情には出さない。

 リチャードは苛立ったように髪をかき上げる。


「理解できない」


 その声には本気の困惑が滲んでいた。


「私は以前とは違う」


 まるで自分に言い聞かせるようだった。


「気を遣った。贈り物もした。時間も作った」


 エリックは黙って聞いている。


「それなのに、なぜだ」


 リチャードは拳を握り締めた。


「何が不満なんだ」


 その言葉に、エリックは小さく目を伏せる。

 リチャードは続けた。


「オリビアは優秀だ。外交も得意だ。書類仕事も正確だ。周囲との調整もできる」


 聞けば聞くほど胸が重くなる。

 リチャードは気付いていない。

 自分が何を口にしているのか。


「前の人生で思い知った」


 低い声だった。


「あいつがいなくなって全て狂った」


 エリックは静かに目を閉じる。


「貴族たちとの関係も仕事も何もかもだ」


 そして。


「あいつがいないと困る」


 その一言を聞いた瞬間、エリックは理解した。

 やはり何も変わっていない。

 優しくなった。

 態度も変わった。

 だが根本は同じだった。


 オリビアを一人の女性として見ていない。

 自分に必要な存在としてしか見ていない。

 前の人生と同じように。


「殿下」


 エリックは静かに口を開く。


「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「何だ」

「殿下はなぜ、やり直したかったのですか」


 リチャードは怪訝そうな顔をした。


「決まっている」


 答えは迷いなく返ってくる。


「失敗したからだ」


 エリックは何も言わない。


「やり直せば失わずに済んだ。私はそう思った」


 リチャードの言葉を聞きながら、エリックは遠い日のことを思い出していた。


 処刑台。

 最後まで気高く立っていたオリビア。

 何もできなかった自分。

 そして……あの日抱いた願い。


 エリックはゆっくりと顔を上げた。


「私は違います」


 リチャードが眉をひそめる。


「何がだ」

「やり直したい理由です」


 風が吹く。

 訓練場の旗が揺れた。

 エリックは静かに続ける。


「私はただ」


 一度言葉を切る。


「オリビア様に生きていてほしかった」


 リチャードが目を見開く。

 その反応を見ても、エリックの表情は変わらない。


「幸せになってほしかった」


 それだけだった。

 今も前の人生も変わらず。


 リチャードはしばらく何も言わなかった。

 まるで理解できないものを見るような目だった。

 エリックはそんな彼を見つめながら思う。

 オリビアが婚約を断った理由。

 その答えは、もう目の前にあるのかもしれないと。

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