表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
処刑された侯爵令嬢は、二度目の人生で幸せを知る  作者: ぽかぽか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/8

4.

 執務室の机に向かいながら、リチャードは一枚の書類を眺めていた。

 王太子教育の一環として与えられている課題だ。

 内容そのものは難しくない。

 前の人生の記憶がある今なら、なおさらだった。


「殿下、こちらもご確認を」


 側近が追加の書類を差し出す。

 リチャードは受け取りながら小さく頷いた。

 以前なら煩わしく感じていた仕事も、今は違う。

 未来を知っているという優位がある。

 失敗することはない。

 そう思うと自然と気分も良くなった。


 ふと、オリビアの顔が浮かぶ。

 試験では相変わらず優秀だった。

 礼儀も完璧。

 貴族たちとの付き合いも上手い。

 やはりオリビアは有能だ。

 前の人生では失って初めて、その価値が分かった。


(婚約が決まれば、外交関係は任せられるな)


 リチャードは考える。

 国内の貴族との調整も得意だった。

 書類仕事も正確だった。

 前回より早く補佐に入れば、事業の失敗も防げるだろう。

 そうなれば、自分の未来も変わる。

 リチャードは満足そうに頷いた。


(順調だ)


 前の人生とは違う。

 オリビアにも気を遣っている。

 関係も悪くない。

 このまま進めば問題ないだろう。

 彼女が何を考えているのか。

 何を望んでいるのか。

 そこまでは考えなかった。

 必要な時にそばにいてくれれば、それで十分だった。


◇◇◇


 数日後。放課後の図書室。

 オリビアは課題に取り組んでいた。

 あと少しで終わる。

 そう思った時、ぱきり、と小さな音がした。


「あ……」


 ペン先が折れてしまった。

 慌てて筆箱を開く。

 だが予備がない。

 今朝、机の上に置いたまま来てしまったらしい。


 周囲を見回す。

 けれど皆、自分の課題に集中していた。

 どうしようかと困っていると、机の端に一本のペンが置かれた。

 オリビアは驚いて顔を上げる。

 そこにいたのはエリックだった。

 本を借りにきていたらしい。


「お使いください」

「え……でも」

「予備ですので」


 それだけ言う。

 まるで大したことではないように。

 オリビアはそっとペンを受け取った。


「ありがとうございます」

「いえ」


 エリックは軽く会釈すると、そのまま離れていく。

 本当にそれだけだった。


 課題が終わった後。

 オリビアは借りたペンを見つめる。

 高価なものではない。

 特別な装飾もない。

 けれど不思議と手に馴染んだ。

 そして何より、自分が困っていることに気付いてくれたことが嬉しかった。

 オリビアは小さく微笑む。

 返さなくては。

 そう思いながら、丁寧にペンをしまった。


◇◇◇


 数日後。

 授業が終わった後、オリビアは借りたペンを大切にケースへしまった。

 あの日以来、返す機会を探していたのだが、なかなかタイミングが合わなかった。

 今日はようやく見つけた。

 廊下の向こうを歩くエリックの姿に、オリビアは小さく息を吸う。


「あの、エリック様」


 呼び止めると、エリックは足を止めて振り返った。


「オリビア様」

「先日はありがとうございました」


 オリビアはペンを差し出す。


「とても助かりました」

「お役に立てたなら何よりです」


 エリックは穏やかに受け取った。

 それだけで終わるはずだった。

 だがオリビアは少し迷った後、小さな包みを取り出す。


「こちらも」

「……これは?」

「お礼です」


 エリックは目を瞬いた。


「そんな、お気遣いなく」

「でも、お借りしたままでしたし……」


 オリビアは少し困ったように笑う。


「受け取っていただけると嬉しいです」


 その言葉に、エリックは包みを受け取った。

 中には焼き菓子が入っていた。

 決して高価なものではない。

 けれど丁寧に選ばれたことが伝わってくる。


「ありがとうございます」

「いえ。こちらこそ」


 オリビアはほっとしたように微笑んだ。

 その笑顔を見て、エリックの胸が少しだけ温かくなる。


 部屋へ戻った後、エリックは机の上の包みを見つめていた。

 焼き菓子は甘すぎず、素朴な味だった。

 気付けば、全部食べ終わっていた。


「……お礼、か」


 前の人生ではなかったことだ。

 そもそも、オリビアとこうして言葉を交わす機会すら少なかった。

 エリックは椅子にもたれながら考える。

 お返しをした方がいいだろうか。

 だが何を贈ればいいのか分からない。

 宝石は違う。

 アクセサリーも重すぎる。

 花も何となく違う気がする。


 考え込んでいるうちに、ふと一つの光景を思い出した。

 図書室。

 高く積まれた本。

 閉館時間ぎりぎりまで机に向かうオリビア。

 自然と答えは決まった。


◇◇◇


 数日後。

 オリビアは図書室へ向かう途中で呼び止められた。


「オリビア様」

「エリック様?」


 近付いてきたエリックは、少しだけ言いにくそうな表情をしている。


「先日のお礼です」

「え?」


 差し出されたのは、小さな包みだった。

 オリビアが戸惑いながら開く。

 中には繊細な細工が施された栞が入っていた。

 銀色の金具に小さな青い花が飾られている。


「綺麗……」


 思わず声が漏れる。


「お気に召したなら良かったです」

「でも、どうして栞を?」


 その問いに、エリックは少しだけ首を傾けた。


「本をよく読まれているでしょう」


 オリビアは目を見開く。

 本が好きなことは隠しているわけではない。

 けれど誰かに話したこともなかった。

 少なくとも、エリックには。


「覚えていてくださったのですか」

「図書室でお見かけすることが多かったので」


 さらりと言われる。

 まるで特別なことではないように。


 だがオリビアの胸は少しだけ高鳴った。

 リチャードからも贈り物をもらった。

 美しい髪飾りだった。

 けれど、今手の中にある小さな栞の方が、不思議と心に残る。

 それはきっと、自分が好きなものを覚えていてくれたから。そんな気がした。


「大切にします」


 オリビアがそう言うと、エリックは少しだけ目を細めた。


「それは良かったです」


 穏やかな声だった。

 オリビアは栞を胸の前でそっと握りしめる。

 そして気付かないうちに、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


◇◇◇


 ある日の昼休み。

 オリビアは図書室で借りた本を抱え、廊下を歩いていた。

 授業の参考資料ではない。

 純粋に興味があって借りた歴史書だった。

 厚みのある本だったが、気になる記述が多く、昨夜もつい夜更かしをしてしまったほどだ。

 角を曲がろうとした時、不意に足が止まる。


「オリビア様」

「エリック様」


 向こうから歩いてきたエリックが軽く会釈をした。

 オリビアも頭を下げる。

 以前ならそれだけで終わっていただろう。

 だがエリックの視線が、ふとオリビアの腕の中の本へ向いた。


「その本を読まれているのですか」


 オリビアは本の表紙を見る。


「はい」

「珍しいですね」

「ご存知なのですか?」


 思わず身を乗り出してしまう。

 その反応に、エリックは少し驚いたようだった。


「読んだことがあります」

「本当ですか?」


 オリビアの顔が明るくなる。


「この本、とても面白いんです」


 言った瞬間、自分でも少し驚いた。

 こんな風に話しかけたのは初めてかもしれない。

 けれど一度口を開くと止まらなかった。


「特に第三章の交易についての考察が興味深くて」

「なるほど」

「一般的な説とは違いますけれど、私はこちらの方が納得できる気がします」

「確かにそうですね」


 エリックも頷く。

 否定されないことが嬉しくて、オリビアはさらに言葉を続けた。


「あと、この著者は——」


 そこまで話したところで、はっと我に返る。

 気付けば自分ばかり話していた。


「申し訳ありません」


 慌てて頭を下げる。


「つい……」


 頬が少し熱い。

 恥ずかしくなって視線を逸らした。

 するとエリックは小さく笑った。


「いえ」


 穏やかな声だった。


「楽しそうにお話しされるのですね」

「……え?」


 オリビアは目を瞬く。

 そんなことを言われたのは初めてだった。

 優秀ですね。

 真面目ですね。

 努力家ですね。

 そう言われることはあっても、楽しそうだと言われたことはない。

 なぜか胸の奥がくすぐったくなった。


 その時だった。

 抱えていた本が少し傾く。

 慌てて持ち直した拍子に、本の間から栞が覗いた。

 青い花の飾りが揺れる。

 エリックがそれに気付いた。


「使ってくださっていたのですね」


 オリビアも栞を見る。

 少しだけ恥ずかしくなる。


「はい」


 小さく頷いた。


「とても気に入っていますので」


 自然と指先が栞に触れる。

 本を開くたび目に入るその栞は、すっかりお気に入りになっていた。

 エリックはその様子を見て、柔らかく微笑んだ。


「それは良かったです」


 その笑顔を見た瞬間。

 なぜだか胸が少しだけ騒ぐ。

 オリビアは慌てて視線を落とした。


「……ありがとうございます」


 小さな声でそう言う。

 エリックは何も言わなかった。

 ただ穏やかな表情のまま頷く。


 廊下の窓から柔らかな風が吹き込んだ。

 オリビアは本を抱え直す。

 胸の奥が少しだけ温かい。

 その理由は、まだ自分でも分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ